国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

タタリ
1983年 愛媛県
円通寺の恵林和尚は金に未練を残して病死した。その後、その金を狙った者に祟るようになったため、桜木明神として祀った。

類似事例(機械学習検索)

オショウ,タタリ
1985年 愛媛県
円通寺の恵林和尚は大の金満家だったが、金に未練を残して病死した。その金を狙った人に祟ったため、小祠を建てて桜木明神として祀り、旧暦七月八日に施餓鬼をした。
類似事例

オシンメサマ
1977年 福島県
和田家の庭の辺りにホイト小屋のような場所があり、オシンメ様という人が住んでいた。オシンメ様は門付けのようなことをしてお金を稼いでいた。あるとき、ある人がオシンメ様が金を数えているところを見て、刀で殺してしまった。後に殺した人に祟りがあったので、鎮めるために祠を作って供養をしたという。
類似事例

ウメゾノノテンジン
1975年 長崎県
元禄年中のこと。肥前国長崎丸山にある富の者がおり、普段から天満宮を信じ、大宰府の飛梅の枯木で聖僧を彫りこれを拝していた。あるとき喧嘩で殺されたが、夢のように生き返り、家に帰って次第を語った。神像を見ると、その体に刀傷があった。
類似事例

タタリ
1957年 熊本県
人吉の青井社脇の聖権現は廻国の聖が密通して室女を盗んだので遂に共に害せられ、その魂が祟りをなすので祀ったといわれた。
類似事例

カスガミョウジン,エンガクシヤウニン
1983年 奈良県
円覚上人の父母は子がないことを憂い春日明神に参籠した。すると夢で、夫婦の内1人の命が財宝にかわり子が生まれると告げられた。程なく懐妊して男子が生まれたが、夫婦には何も起きず夫が神を嘲ると、家に雷が落ち一族に悪病が起こり皆死んだ。盲目になった妻は神慮を恐れ子を春日の野辺に捨てた。
類似事例

ビャッコ
1989年 京都府
常富明神の由来。むかし、常富惣五郎という人が常照寺檀林の学僧として止住していたが、しばしば不思議のおこないがあるのでしらべると、1匹の白狐であることがわかった。そこで、今後このようなことを行わない旨のわび証文をしたためて能勢に至らしめたが、ふたたび当地へもどってきたので神として祀ったものである。
類似事例

タヌキ,オショウ
1931年 神奈川県
山門建立の寄附勧進に出かけた和尚が病気にかかった。狸がそれを聞き和尚を食い殺して和尚に化け、勧進に回ったという。
類似事例

テング
1969年 愛媛県
好色の住職が行方知れずになり、谷川の桜の大木の近くで首の骨を折って死んでいるのが発見された。以来桜の木の上には夜になると天狗が出ると言われ、和尚も好色が祟って天狗に投げ殺されたのだという。
類似事例

タタリ
1930年 山梨県
某という者が盗人をして困るので、村人たちは相談して村の辻で殺した。殺された者が祟るというので、辻に延通庵という御堂を建て、観音様を祀った。
類似事例

ミコ,ヘビ,ダイミョウジンサマ,カミサマ
2001年 青森県
結婚後に急に体調が悪くなったのだが、医者に診てもらっても治らず、その内声が聞こえてくるようになった。その声はヘビのものであったが、実はそのヘビは先祖の代から祀っている大明神様であった。そこでこの大明神様を拝むようになり、後にはカミサマとしての仕事を行うようになった。
類似事例

サトウガミ
1992年 宮崎県
座頭が上京の途中、峠で休んでいると、強盗が現れて金を奪った。座頭は「金は増えるが祟りがあるぞ」といい、その通りに強盗の子孫には不幸が続いたので、そこに座頭神を祀った。それは今の吉野宮神宮で、そこを座頭坂という。
類似事例

タタリ
1983年 愛媛県
正徳寺の和尚は政治向きの儀を誹謗したために家老らに簀巻きにされて海中に沈められた。後、藩主へ祟りをなしたので、怨霊神として祀られた。
類似事例

レイム,シンレイ
1973年 秋田県
大平山に鎮座する三吉大明神を信仰している者が怪しい夢を見た。それは山上で神人が人に日頃信仰により利益を与えるというものだった。妻も同じ夢を見たので急いで祠を建てると様々な願いが叶ったが、成就した時餅を供えなければ祟った。
類似事例

シュウネン,カミ
1976年 東京都
小野照崎明神は江戸の坂本にある。これは照崎という盗賊が、上野で往來の妨げをなし、遂に逮捕され坂本で処刑されたが、その執念が人を悩ませるため神に祭ったという。今は小野篁であると誤り伝えられているとの事である。全て片田舎で祭られる神には、このような類が多いだろう。
類似事例

ナガレボトケ
1952年 佐賀県
若い女の「流れ仏」を拾ったが、自家近くに埋めて祀らず、浜の納屋近くに捨ててしまった。ところが病気になり、法印様に見てもらうと、「流れ仏が祀ってもらいたがっている」という。そこで石の恵比寿さんを自宅に祀ると病気も良くなり、漁もうまくいくようになった。
類似事例

ヤマガミョウジン
1956年 宮城県
山家清兵衛公頼は伊達家に信任され、長子秀宗の懐守役となり、元和元年(1615)秀宗が宇和島十万石の封に就くとき、付け家老として従う。公頼の忠誠は上下の信頼を集めたが、家老桜田監物がそねみ讒訴したので、秀宗は公頼の屋敷を襲って殺させる。時に元和5年(1619)6月晦、公頼は死すともこの冤を雪ぐといって死ぬ。その夜仙台城の政宗の前に血まみれの公頼の姿が現れ、冤を訴える。政宗は怒って秀宗を勘当、監物以下次々に変死する。宇和島に和霊明神を建てて祀り、仙台にも立町通東二番丁南角の山家氏邸内に山家明神を建て、毎年6月晦に祭りを行なう。公頼が蚊帳の釣り手を切り落として殺されたというので、昔この夜は蚊帳をつらなかった。
類似事例

タタリ
1935年 長野県
権現城が落城し、城主の妻子がおちのび、恩顧の惣十郎に助けを求めたが、騙されて殺された。その後、惣十郎の家に祟りがおこったので、『関八幡』として霊を祀った。
類似事例

シブヤコンノウマル,ヤシャガミ
1935年 東京都
麻布笄町の長谷寺に夜叉明王堂というのがある。源義朝の臣、渋谷金王麿が長者丸というところに築城のとき、城の北隅に鎮地の神として石像を埋め置いた。江戸時代に阿部豊後守の臣安川繁成がその地に住んで井戸を掘りその石像を発見した。これを身近に置いて愛玩していると金王麿の霊がたびたび奇瑞を現すので、ついに奉安したものという。その後石像にかたどった鬼の面を奉納し、祈願すると霊験あらたかといわれ今なお多くの信仰を得ている。
類似事例

タタリ,キダン,キカイ,ヤマノカミ
1974年 京都府
文政11年、鳥辺野の地蔵山から土砂を採っていたところ、山の神といわれる所まで掘り進めてしまった。大きな壺に掘り当たり、怪しいと思ったけれども、周りや底のほうへ掘り進めた。すると突然土中が鳴動して、壺がすり落ちる音に驚いて人足が死んでしまった。そして世話人の数人もことごとく大病にかかり死んでしまった。老尼の祈禱者に頼み神おろしをしてもらうと、絶入の形になり、幣を持たせると居直って、にらみつけて、自分は明智の一類であり、山に葬られ、山の神と言われていたが、理不尽な振る舞いの鬱憤が晴れないと言う。後も地蔵を穴に納めて供養したり読経をしたりしたが死人が出た。
類似事例

タタリ
1981年 和歌山県
行をする和尚さんがお金をたくさんもって岩穴にこもった。鐘の音が聞えなくなったらこのお金を皆で使ってくださいと言い置いていたにもかかわらず、村人がお金欲しさに和尚さんを殺してしまった。その土地では祟りで口のきけない人や奴隷、癩病になる人が多いという。和尚のこもった岩穴はこうもり岩と呼ばれるようになった。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内