国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

エンノオヅノ
1979年 山形県
白鳳年中、東北地方廻国の途中、山形地方で最初に朝日の光りを受ける山を「朝日岳」と名付けて登拝し、「朝日権現」をまつった。この近くの山中に「浮島」の神意をみて、この池に弟子の覚道をおき、小角は朝日岳と浮島の間を飛行したという。

類似事例(機械学習検索)

ダイジャ
1982年 群馬県
弘法大師空海上人が第二の高野山を捜して袈裟丸山に登ったが、千谷は見つからなかった。尾根伝いに歩いてさいの河原まできたとき、白い大蛇が大師を呑もうと襲い掛かってきたので、経文を唱えたら大蛇は去った。大師は夢で川の中に仏像があることを知り、村人とともに捜してお祀りした。そのときの庚申様がある大沢寺は、大蛇と戦ったいわれがあるので山号が竜宝山。
類似事例

タケジョ,シウン,イコウ,ムソウ
1983年
元和寛永の頃、武蔵国比企郡に戒行堅固という、日頃から正身の大日如来を拝みたい僧がいた。そして出羽の羽黒山に登山した時、夢想に江戸にいる佐久間某の召使い竹女を拝せという。そこで江戸に向かうと、佐久間某も同じ夢想があった。そして竹女を拝むと、全身から光明を放っていた。寛永15年3月21日の暁に、屋上に紫雲がたなびき、異香が漂っている中で竹女は大往生を遂げたという。
類似事例

バンザン,テング
1956年 宮城県
もとの名取・宮城の郡境にまたがる根張りの広い山。弘法大師は山容を蓮葉にたとえ、霊場にするため九十九谷まで開いたが、天狗に妨げられ一谷を残して紀州に去り、高野山を開いた。慶安3年(1650)慈光不昧禅師雲居和尚が瑞巌寺を引退してここに隠居したときも、天狗どもが和尚の法力をためそうといって和尚の障碍をしたが、この山を根城とした万二万三郎兄弟が和尚のために天狗を追い払った。和尚はこれを徳として、山上に坐禅堂を建てたときに二王護国大権現の号を贈って一山の鎮護とした。
類似事例

センニン,エンノギョウジャオヅヌ
1993年
役行者小角は、十三歳で葛城山に入り、十七,八歳頃には山の神を自由に扱えた。三十四歳で大峰に入って千日修業をし、神格を備えた。山の神霊や天狗を使役したという。六十四歳で島流しになった後も修業を続けたという。
類似事例

クルソンザン,コウボウダイシ,コウミョウ
1975年 山口県
弘法大師が長安に行こうとしたとき、船出しようとすると山に光明が見えた。そこで帰って、山を開いたという。
類似事例

レイスイ
1976年 熊本県
景行天皇が肥後へ行幸し、蘆北の小島に泊まられた時、山部の小左と言う者に冷水を持ってくるように命令した。しかし島の中に冷水が無かったので、小左は天地の神に願ったところ、たちまち傍らの岩陰から寒泉が湧き出た。このことにより島を水島と号する。その泉は今でもあるという。
類似事例

ヒカリモノ,ミダ
1974年 滋賀県
親鸞聖人が近江国を行脚している時、湖水に光物が現れて、漁師が困っていたのを聞き、舟に乗って一心に称名して、光が出るところを袈裟ですくったところ、弥陀の尊像が舟に飛びのったという。
類似事例

リュウトウ
1989年 富山県
朝日山の山腹にある観音堂の前の松に、毎年正月朔日と六月十七日の夜龍燈がかかる。本尊の観音様が太田浜から上がったものだが、龍燈は三ヶ所一団となって牛島から飛来する。
類似事例

セイリュウ
1923年 愛知県
無因という禅僧が、岩角をこつこつと杖でたたくと、岩が裂けて水がほとばしり、白雲が立ちのぼるなかで青龍が天に昇っていった。青龍山瑞泉寺の名はここから起こった。
類似事例

ハクサンゴンゲン
1974年 石川県
越の大徳である泰澄が始めて白山に行った時、妙理大菩薩・小白山大行事・大己貴に出会った。そこで泰澄はこれらを白山権現として祀ったという。白山権現を今の地に勧請する前の地では、名水の滝があり、寺を下屋敷にし、つき山に滝水を引いたところ、水が絶えた。
類似事例

ナナフシギ
1916年 山形県
当山開闢の初祖役小角天より得たという感應水を飲むと、身の邪気は払われ長寿が保たれるという。
類似事例

シウン
2002年 滋賀県
天延4年春、源頼光が足柄山にさしかかったとき、はるか彼方七岡山、布施、名越に紫雲がたなびくのを見て、「あの山の麓にはすばらしい人物がいるに違いない」と従者渡辺綱に探すよう命じた。みつかった若者を坂田金時と名乗らせた。
類似事例

ナベヤクシ
1956年 宮城県
文禄元年(1592)、征韓役に伊達政宗が岩出山城から出陣の途中、軍神の血祭に七ツ森で巻狩りを催したところ不猟で、政宗は機嫌をそこねて大森山へ登る。向こうに黒いものが見え、片倉小十郎に尋ねると、薬師如来だという。不猟の腹いせに鉄砲を打ち放つと、鍋薬師の胸が割れ、同時に政宗の鼻から血が出て止まらない。小十郎は三拝九拝して謝り、笹の葉で拭ったところ鼻血が止まる。政宗も乱暴を悔い、ふもとの周りに道をつけてお留め山にしたという。一説に、射た矢が刎ね返ってきて眼に刺さり、それで政宗は目ッコ(片目)になったとも。
類似事例

テンドウドウジ
2000年 長崎県
白鳳13甲申年の2月17日に対馬の照日某という者の娘が日光を浴びて男子を生んだ。その子は聡明で天道童子と呼ばれ、朱鳥6壬辰年の11月15日に9歳で上洛し、大宝3癸卯年に対馬に戻ってきた。
類似事例

(ヒカルヤマ)
1989年 長野県
円仁という僧侶が伝教大師とともに上野に行く途中で、山が光るのを見た。そこで帰りに山に霊木を探すために立ち寄った。
類似事例

ゴンゲンサマ
1959年 山形県
羽黒山の権現様は、由良海岸の八乙女から瑞光を曜して山頂に移ったとされている。
類似事例

タケコマジンジャ
1956年 宮城県
承和2年(835)4月、参議小野篁が国司に任ぜられ多賀国府に下るとき、京の稲荷山の分霊を陸奥に勧請するため長櫃に収めて下った。途中、千貫松のふもとで八声鳴いて白狐が長櫃から飛び出し、武隈の森に走り込む。ここに社を建てよという神の告げとして分霊を祀る。陸奥に下った能因法師が、篁卿の建てた社の所在を竹馬に乗って遊んでいる童子に教えられたというので、寺を開き竹駒寺と称して別当とする。
類似事例

テング
1937年 栃木県
役小角と雲遍上人が修行の途中で日光山の清瀧にさしかかると、滝に黒雲がかかり、すさまじい雷と嵐になった。一心不乱に密呪をとなえると、天空は晴れ、その時大杉の梢に天狗の姿が現れて消えた。
類似事例

センジュカンノン
1983年 大阪府
法海上人がいた頃に、どこからともなく客僧が来た。上人に仕え一夏の間香水をとり、九旬過ぎて去ろうとした時その賃を乞うたが、上人が与えなかったので、波の上に立ち、我はふだらく山の主なりと告げ、千手観音の姿となって飛び去った。上人は千手の像をつくり安置した。その霊験はあらたかという。
類似事例

ヤクシニョライ
1989年 長野県
源頼朝が非公式に信濃を回った折、落馬した後目が見えなくなっていた。神仏の祟りではないかと尋ねると、西に一里ほど行った正面に大島山瑠璃寺という薬師如来を祀る寺があり、その前では必ず乗り物を降りなければならなかった。頼朝は詫びに鎌倉の館にある桜を献ずる誓いの証に山桜を一枝地にさした。すると、目が見えるようになった。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内