キジン 1976年 役の小角が岩橋を渡そうとした時、多くの鬼神を使役した。葛城の一言主神は容貌が醜いために、昼を憚り、夜だけ仕事についたので、小角が怒って一言主神を呪縛したという伝説がある。しかし、一言主神が醜いという説は一笑すべきである。
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エンノギョウジャ,ヒトコトヌシガミ 1929年 長野県 役行者が橋をかけさせた時、葛城の一言主神は自らの風貌が醜いので、昼に仕事をしないことに行者が怒った。行者は神を呪縛し、そのために橋は途中で架けっぱなしになった。
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エンノギョウジャ,ヒトコトヌシカミ 1929年 奈良県 役の行者が一言主神に葛城山から大峰に岩橋を架けろと命じた。しかし神は容貌に自信がないので夜しか出てこないので、行者は怒って神を谷底に投げ入れて岩に呪縛した。神は当時の帝に行者を訴えたので、行者は伊豆の大島に流されたといわれている。
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エンノギョウジャ,ゼンキ,ゴキ,ヒトコトヌシ 1928年 奈良県 役行者が岩橋を作ろうとした際、前鬼と後鬼は一生懸命働いたが、葛城の神である一言主は醜い顔を見られたくないという理由で昼間には働かなかった。これに怒った行者は一言主を縛り付けて谷間に突き落とした。憤慨した一言主は宮女に取憑き、行者が邪神をあつめ、鬼軍を使って国を狙っていると帝に進言した。帝の兵はなかなか行者を捕らえることができなかったが、母親が責められているのを知り、自ら山を出て伊豆大島に流罪になった。
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キジン,ヒトコトヌシノカミ,アラシノカミ 1988年 奈良県 役行者が葛城山で修行の際、鬼人に水汲みや薪拾いをさせていた。吉野の金峰山までの岩橋を掛けさせようとしたが、一言主の神が逆らったので、谷間に縛り付けた。行者が印を結んで橋を掛けようとしたら、嵐の神が邪魔をして法力が弱まり、橋は掛からなかった。当麻の岩橋はそのなごり。
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キシン,キツネ,ヨウジュツ 1976年 奈良県 役小角は葛城山に岩橋を架けた時、多くの鬼神を使った。また、役小角は葛城上郡茆原村の出身で、狐を使役して妖術で人を誑かした為韓国連広足の進言により伊豆大島に流罪になった。
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キシン 1977年 鬼神の徳とは、神の聡明さを表している。
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キジン 1974年 さわらぬ神に祟りなしという諺は鬼神を敬ったものである。
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キシン 1987年 山形県 神室山にはいつのころか鬼神が棲みついて人を獲って食ったので、天皇が田村将軍の末裔の先熊に勅命を下して征伐した。先熊は仙台に逃げようとした鬼神を討ち取った。その場所を鬼首という。
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ゼンキ,ゴキ 1970年 奈良県 鶴林寺のある鬼取山は、役行者がここでいつも連れていた鬼を捕まえたことから名が付けられた。
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タタリ,キシン 1974年 さわらぬ神にたたりなしという諺は、鬼神を敬遠するという意味からきたものだろう。
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オニガミ 1965年 三重県 鬼神が坂上田村麿を襲うが千手観音に討たれる。
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コダマ,ヒトコトヌシカミ 1929年 一言主神は反響(こだま)の神格化ではないかといわれている。全く同じ事をするのが、向かいの山であることを考えると、このようにも思われる。
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サル 1928年 奈良県 役行者がみすぼらしい服装で歩いていると、1匹の老猿が出てきて、葛藟を行者の破れた衣に結び付け、肩にかけた。その結び目が6つあったので、山伏の結袈裟には6つの節があるという。
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ダイジャ 1928年 静岡県 稲村嶽の付近には七ツ池という池があり、役行者が大蛇を封じたという伝説の場所がある。
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ツチグモ 1988年 奈良県 一言主神社の土蜘蛛塚は、神武天皇がカツラの網で土蜘蛛を捕まえ、頭と胴と脚に切り分けて埋め、その上に石を据えたあとだという。カツラの網を使ったので、この地を葛城と呼ぶようになった。
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ミサキ,ミサキ 1983年 岡山県 ミサキは主神や本尊の御前であり、お使いしめから発生したものである。主神を直接に拝して祈願することを憚る感覚から起こったものかと考えられる。
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ゼンキ,ゴキ,エンノギョウジャ 1928年 大阪府 摂津の箕面山に夫婦の鬼がいて、夫を赤眼、妻を黄口といった。5人の子を持ち、人の子を捕まえて食べていたという。そこで、役行者は鬼の子のうち末子を呪力で岩窟の中に隠した。二鬼が役行者を尋ねてきたとき、人の子を食わないならば子供の居場所を教えた。その後、夫は前鬼、妻は後鬼と改名し、行者の身辺を一時たりとも離れることはなかったという。
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クスノキ,フナダマサマ 1928年 長崎県 摂津の箕面山に夫婦の鬼がいて、夫を赤眼、妻を黄口といった。5人の子を持ち、人の子を捕まえて食べていたという。そこで、役行者は鬼の子のうち末子を呪力で岩窟の中に隠した。二鬼が役行者を尋ねてきたとき、人の子を食わないならば子供の居場所を教えた。その後、夫は前鬼、妻は後鬼と改名し、行者の身辺を一時たりとも離れることはなかったという。
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ヒトコトヌシ 1976年 奈良県 役小角が山神たちを使って、金峰山と葛城山の間に石橋を架けようとした。しかし作業ははかどらなかったので、役小角が理由を聞いたところ、一言主が自分の醜い容貌を気にして夜にしか働かないためであるという。役小角は怒って一言主を呪縛して深谷に繋いだという。
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オニノニョウボウニオニガミ 1956年 宮城県 鬼神が鬼の女房になったという。このことから、鬼のような亭主に輪をかけた女房を指すという。
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