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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ツチグモ
1988年 奈良県
一言主神社の土蜘蛛塚は、神武天皇がカツラの網で土蜘蛛を捕まえ、頭と胴と脚に切り分けて埋め、その上に石を据えたあとだという。カツラの網を使ったので、この地を葛城と呼ぶようになった。

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ツチグモ
1988年 奈良県
高天山(今の金剛山)には大きな土蜘蛛が住んでいたので、矢で射殺した。その矢が落ちたところを矢の段という。土蜘蛛の屍骸は高天山神社の傍らに埋めた。そこを蜘蛛塚と呼ぶ。蜘蛛の住んだ蜘蛛の窟が神社前にある。
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エンノギョウジャ,ゼンキ,ゴキ,ヒトコトヌシ
1928年 奈良県
役行者が岩橋を作ろうとした際、前鬼と後鬼は一生懸命働いたが、葛城の神である一言主は醜い顔を見られたくないという理由で昼間には働かなかった。これに怒った行者は一言主を縛り付けて谷間に突き落とした。憤慨した一言主は宮女に取憑き、行者が邪神をあつめ、鬼軍を使って国を狙っていると帝に進言した。帝の兵はなかなか行者を捕らえることができなかったが、母親が責められているのを知り、自ら山を出て伊豆大島に流罪になった。
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ツチグモ
1915年 大分県
7つの塚がある。昔、景行天皇が滅ぼした土蜘蛛の墳墓だと言われている。
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ヒトコトヌシノオオカミ
1929年 奈良県
天皇が葛城山に登ったとき、向かいの山を登る人がいた。天皇の行く手を阻むので、怒った天皇が矢を射った。すると相手は一言主之大神だと名乗ったので、天皇はかしこんで衣を献上した。一言主之大神は、天皇が帰る際に大神山から降りてきて長谷の山口まで送りにやってきた。
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ヒトコトヌシガミ
1995年 奈良県 大阪府
鬼神達が役行者に葛城・金峰山間に岩橋を架けろと命じられた。が、作業は進まず、業を煮やした役行者は、鬼神の中の一言主神の身体を葛で縛り谷底へ幽閉した。
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ガワラ,カワタロウ,カッパ
2000年 愛媛県
庄屋は飼っていた馬を入野ノ原に杭で繋いでいたのだが、それをガワラが川へ引っ張り込もうとした。ガワラとはカワタロウ・カッパのことである。目撃した百姓はガワラを打ち殺し、田の隅に埋めた。それが当地にある「ガワラ塚」の由来である。
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ジョロウグモ,タキノヌシ
1989年 静岡県
天城湯ヶ島町の浄蓮の滝の主は女郎蜘蛛。農夫が滝の上で休んでいると、蜘蛛が足に糸を巻きつける。糸を桑の切り株に掛けたら、大地が震えて切り株は滝に呑み込まれた。
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エンノギョウジャ,ヒトコトヌシカミ
1929年 奈良県
役の行者が一言主神に葛城山から大峰に岩橋を架けろと命じた。しかし神は容貌に自信がないので夜しか出てこないので、行者は怒って神を谷底に投げ入れて岩に呪縛した。神は当時の帝に行者を訴えたので、行者は伊豆の大島に流されたといわれている。
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ショウグンヅカ
1977年 京都府
桓武天皇が、平安京遷都のおりに、群臣諸博士を召して、王都長久の方法を審議し、土で8尺(約240センチ)の人形を作り、甲冑を着せて弓矢を持たせ、東山に埋めて、京の守護神とした。これが将軍塚である。治承3年7月に3度続けて鳴動した。
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カッパ
1957年 新潟県
河童塚は、馬の尾についてきた河童が境内に入ると、法力で見破って捕らえたところを、ここに埋葬したところからきている。
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エンノギョウジャ,ヒトコトヌシガミ
1929年 長野県
役行者が橋をかけさせた時、葛城の一言主神は自らの風貌が醜いので、昼に仕事をしないことに行者が怒った。行者は神を呪縛し、そのために橋は途中で架けっぱなしになった。
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クモガフチノキョウヅカ
1987年 長野県
相木川上流白岩部落の入口付近,くもが淵には魚が多かったが,普段は大きなくもの巣が張られていて近づけなかった。ある男がこの淵で釣りをしていると,淵の主の大蜘蛛が現れ,男の足に糸を絡んで滝つぼに引き込まれそうになった。竿だけ取られて男は助かった。村人達が相談して淵でお経を上げると,以後くもの巣がかからなくなった。経塚はその時の経文を埋めた場所だという。
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リュウ
1970年 岐阜県
蛇首塚は長良川で水を飲んでいたところ刎ねられた大蛇の首を祀ったものである。一説には、薪刈りの鎌で誤って大蛇を傷つけたら、夢に大蛇が現れ、長く生きることが出来ないから、祀ってくれることを条件に雨を降らせることを約束したという話がある。
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キジン
1976年
役の小角が岩橋を渡そうとした時、多くの鬼神を使役した。葛城の一言主神は容貌が醜いために、昼を憚り、夜だけ仕事についたので、小角が怒って一言主神を呪縛したという伝説がある。しかし、一言主神が醜いという説は一笑すべきである。
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クモ
1982年 宮城県
田束山のクモ滝に大きな蜘蛛がいた。ある人が山に行ったら、滝から蜘蛛が出てきて足に糸を巻いた。糸を脇の樹に引っ掛けておいたら、その樹は滝壷に引き込まれた。
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ムメイツカ
1993年 福井県
一つの塚がある。伝説によると、昔、弘法大師が巡錫の時昼食のタモの木で作った箸を挿しておいたところ、根付いて大きくなったものという。また、神功皇后の三韓遠征のとき、渡海し死亡した者を葬った塚という。この塚に鍬や鎌を入れたり、足を入れると腹痛を起こして死ぬといわれる。
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エンコウ,カワタロウ,ガワラ
1985年 愛媛県
ガワラ塚のガワラとはカワタラウの略語という。庄屋の馬が草を食んでいると、ガワラが現れ淵に引き込んだ。驚いた馬は庄屋に駆け帰り、綱に絡まったガワラも引きづられて来て、村人に打ち殺された。その骸を埋めたのがガワラ塚の由来。
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オニ
1967年 茨城県
鹿島の大神が、高天原地方の鬼を退治した。首を埋めたところを鬼塚といい、血で染めたのでそこの砂が赤いなどと言われる。ここに住む鳥類を食べると、その家に災難がくる。
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オシドリ,ユメ
2002年 栃木県
相生町の東端に鴛鴦塚という石造の小祠がある。この辺一帯は阿曽沼であったが40年前に埋め立てた。嘉禄年中に太田二郎という狩人がいた。ある日鴛鴦の雄を取って帰ったが、その夜の夢に1人の女が枕辺に立って泣き、なぜ私の夫を殺したのかと恨みを述べて和歌を呼んで去ったという。翌朝見ると昨日の鴛の雄と嘴をあわせて死んでいる雌がいた。太田二郎は驚き、一念発心して仏門に入り弔ったのがこの塚の由緒という。
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ガワラ
1983年 愛媛県
入野村の庄屋の家で一匹の馬を飼っていた。入野の原で走らせていると、この原より少し南にある淵からがわらが出てきて馬の綱を身に巻き付けて淵に引き入れようとする。馬は引きずり込まれて頭も隠れるほどになった時、驚いて一目散にかけて庄屋の家に帰った。がわらは綱にからまったまま力なくうずくまっていた。5、6歳の子供のようで頭には皿のようなものがあった。農民はそれを打ち殺して埋めた。その塚をがわら塚という。
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