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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

〔コンジキノトリ〕
1963年 愛媛県
宗方と浦戸の境にある福島(鶏島とも)に、神宮皇后三韓征伐の後に、百済・新羅・任那からの貢物を積んだ船が仮泊した。翌朝、船から貢物である金色の鶏が飛び出して行方不明になった。故に島を「鶏島」あるいは福の神が上がった島「福島」と呼ぶという。

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イチキシマヒメ
1978年 広島県
佐伯鞍職が大野の瀬戸で釣りをしていると、うづぼ舟が近づいてきた。そこから女官が現れ、自分はこの島の神だが、お前にこの島内のよい所に宮居を決めてほしいと行った。佐伯鞍職は新しい舟に姫を乗せて浦々を祈祷しながら廻った。養父崎に来ると弥山から烏が飛んできて先導し、脇の浦まできて消えた。姫はここを宮居と定めた。
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カイジン,ドクヘビ,ダイジャ
1929年 東京都
神代の昔、三宅島中根の漁夫が不漁の為に大漁と引きかえに、海神に向かって娘を差し出す約束をした。だがすぐに後悔し、かわりに妾を差し出したが、毒蛇(大蛇)は許さずどこまでも人々を巻き込み荒れ狂って娘を追い続けた。娘は神々の加護により神通力を得、白い鷹、白い鳩、虫になり逃げ回りながら守られた。神々は大蛇を退治して切り裂き、島に撒いたので、三宅島には今も蛇が多い。
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キンノニワトリ
1968年 鳥取県
昔上司南条という殿様が尼子晴久に攻められ、この地に逃げてきた。城の宝物である金の鶏を持っていたが、追っ手の追及が激しく、熊谷という谷川の滝壷に金の鶏を投げ込んだ。この渕を鶏渕または丸渕と呼ぶ。この金の鶏は今も渕の底に沈んでおり、毎年大晦日の夜高く鳴いて新年を告げると言う。鶏渕に石を投げ込むと雨が降るという。
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ジングウコウゴウ,スミヨシダイミョウジン,リュウグウ
1974年 福岡県
神功皇后が三韓征伐に向かう際、筑前国香椎において住吉大明神が翁姿で現れて、異国征伐には竜宮の干珠満珠を借りればよいと進言する。神功皇后が借り方を聞いたところ、翁は磯鹿島の安曇磯良という者を召し出し、竜宮に行かせればよいという。そして磯良は細男の舞を好むので、それを舞えば自らやってくるという。皇后は誰が舞えば良いか尋ねると、翁は供奉の者に楽を演奏させて、翁は立って舞った。すると磯良が舞人の姿で亀に乗ってやってきて、翁と共に舞った。皇后は妹の豊姫を磯良に伴わせて竜宮へ行かせて、かの2顆を借り、三韓を降伏した。
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ムジナ,ダンザブロウムジナ
1934年 新潟県
佐渡島には狢が群れをなして住んでおり、その首領の名前を団三郎と言った。鎌倉時代の末期、狐が渡って来て、団三郎と妖術の勝負をした。狐は嫁入りの行列をして見せた。そこで団三郎は大名行列をして見せると狐に行った。狐は大名行列のあまりの見事さに驚いて近寄ったら、その行列は本物で、狐は殺されてしまった。それ以来、佐渡島に狐は来なくなった。
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ジングウコウゴウ,ウ
1984年 福井県
常神社の祭神は神功皇后で、敦賀市の常宮神社の元宮ともいわれている。それゆえに、常神浦の人たちは産が軽いと信じている。それは、昔神功皇后が三韓を攻めるにあたって風待ちのために浦で待機している際に皇后は臨月になり、敦賀の常宮の浜で皇子をお産みになったが、砂の中に埋めて出征されたので、鵜が寄り集まってきて羽毛の中で育てたので、産の神としてあがめられている。
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キツネ
1974年 京都府
伊勢の国二見浦近くの塩間浦のある者が京都に行商で来て伏見稲荷の前で休んでいると狐が出て来て飛び跳ねた。狐が来いと言うので従うと鳥居を飛び越えたようなような気がした。国に帰ると妻子に古狐とみなされ家に入れてもらえなかった。海辺に暮らして、後に祠を建ててもらい、塩間の稲荷と言って祝っている。
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カロウサン,テナガミョウジン
1956年 宮城県
伊具郡と福島県相馬郡の境の高峰、手長明神は年を経た鹿を愛し、白狼を馴らして連れ歩いた。山頂から長い手で海から貝を取って食べ、その貝殻を捨てた所を貝塚屋敷という。相馬郡の方のふもと新地の小川部落にあった。
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イチョウ,ウトウ
1935年 青森県
允恭天皇のとき、烏頭中納言安潟は勅勘を蒙ったが 高倉の霊夢により外ヶ浜についた。安潟の死後、どこからかひと番の異鳥が飛んできて、雄がうとうと鳴けば雌はやすかたと鳴いた。ある時猟師がその雄を捕らえると、メスはそれを悲しんで啼いたが、まもなく猟師も非業な病に倒れた。里人は恐れて塚を立てて祀った。後に勅使が下って三角相という桶にこの善知鳥安潟をとらえ、大神宮に祀ったという。一説にはこの鳥は海鳥で、砂の中に巣をつくり雛を養育し、母鳥がうとうと呼べば、子鳥がやすかたと答えるという。
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シンエモンイナリ
1956年 宮城県
天明年中(1781~1788)、石巻の親船が江戸から帰航の間際に、松島の新右衛門という者が便乗させてもらった。順風満帆わずか3日で松島湾の寒風沢に入港、家は離島だというので小舟で送ると、島に着いてすぐ姿を消した。島中探したが、そんな人はいないという。不審に思いながら嶋をあとにすると、島の方から狐の欣々という声がしたという。再び江戸に行っての帰り、5隻で鹿島洋にかかったところ、大時化に遭って4隻沈み、この親船だけが助かった。これも新右衛門殿のおかげだろうと、雄島に稲荷の祠を建てて祀った。
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ヘビニョウボウ
1968年 愛媛県
大晦日に、男が幸木の売れ残りを海中に捨てた。後、娘が訪ねてきたので夫婦になった。子供が生まれ、島原の殿様が妻を乳母に差し出せと言う。妻は竜宮から来た者だと告げて男に玉を渡し、子供に与えるよう言って去る。玉を殿様に取り上げられ、海岸を歩いていると女が竜宮界の3つの玉だという血筋の玉をくれるが、それも取り上げられる。男が村を去ると、島原城下は崩れたという。
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ニワトリ
1929年 岩手県
明治二十九年、高貴な人が岩手の磯村に流鏑の身となり、月をながめておられたが、幽憤のあまり海中に身を投じて亡くなられた。里民はいたく悲しみ遺体を捜索するのに家鶏を舟に乗せて出ると、或る所で鶏が高く鳴いた。果たしてその場所に遺骸を発見することができた。高貴な方は垂仁帝の第二皇子是津親王である。
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オフクダイジャ
1983年 新潟県
お福という主がいたので、福島潟という名が付いた。
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マハナシジマ
1956年 宮城県
塩釜の祭神である経津主命(ふつぬしのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)の二神が、白馬に乗り、天降った島。塩釜神社の神馬が年老いるとこの島に放し飼いにした。
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ミズウミノヌシ,ダイジャ
1928年 東京都
昔のある日、漁夫は船に一杯の魚と引き換えに、湖の主の大蛇に三女を嫁にやることになった。蛇が迎えに来たとき、娘は鳩になって富士山の山頂に逃げた。そこにいた事代主命は娘を連れて大島から三宅島に逃げた。そこにわなを仕掛けて大蛇を酔わせ、火之迦土に作らせた霊剣で、差出命が大蛇を斬り殺した。蛇は3つに斬られ、尾は大島に、頭は八丈島に飛んでいった。だからそれらの島では蛇が多いのだという。
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タカラヅカ,ヨメナキヅカ,キンケイ
1934年 兵庫県
宝塚古墳とは黄金の鶏を埋めた故にこの名がついたとされ、松尾村が滅びる恐れのある場合は発掘して金鶏を取り出すべしと伝えられる。また、嫁泣き塚ともいい、金鶏が度々鳴いて、村に大事あると吉凶を伝える。ある者が発掘して金鶏を捕らえようとすると、金鶏は塚を出て飛び去った。
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ヌマノオンナ
1929年 岩手県
昔、吉里吉里の貧乏な漁夫は草刈に行って古沼のほとりで女に声をかけられた。彼女から姉への手紙と旅費を託され、途中道に迷いながらも秋田領で目的の女がいる黒沼に辿り着き、妹からの手紙を渡す。お礼に黄金の粒の出る挽臼をもらい、気がつけば体が空を飛び伊勢参拝に行く先発が居る仙台の宿の前に来ていた。
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スイジン,ダイジャ,ヘビ,ダイサンオオジ
1929年 東京都
大昔、近江の琵琶湖に住む漁夫が、不漁の続く際娘を捧げるかわりに大漁を祈った。すると魚が良く捕れ、水神が蛇となって娘をもらいに来た。娘は白鳩になって逃げ出し新島まで追い詰められた。新島の三島明神の大三王子は怒って大蛇を斬り、頭を八丈島、尾を大島、銅を新島に飛ばした。だから八丈島の蛇は人に食いつき、大島の蛇は人に巻き付くのだという。
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ウシオニ
1991年 島根県
毎晩牛鬼が出て人を捕ると聞き、ある相撲取りが退治しようと夜、海へ行った。海から大女が上がってきたので牛鬼かと近づくと乳を飲めといいながら海に連れ込もうとした。神に願を掛けると鶏が鳴き女は逃げた。お礼に鶏の絵馬を奉納した。
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イソザキイナリ
1956年 宮城県
文禄の朝鮮の役(1592)に、磯崎の水主が伊達勢の水軍として高麗に渡ったが、磯崎稲荷も眷属の狐を従えて出陣したといい、肥前の名護屋に滞陣中、その中の1匹が淀君の侍女について侍女が病気になる。それを追い出そうとすると、「われこそは奥州松島は磯崎明神の眷属なるぞ」と力み返ったので、太閤大いに怒り、「汝早々に狐めを退散させずば、やわかそのままに差し置くべき」と、お叱り状に、稲荷太明神殿、太閤秀吉としたため、花押までつけて遣わしたので、狐も逃げ出し、侍女の病気も治ったという。このお叱り状は磯崎稲荷に長く伝えられていた。
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