カッパ 1968年 茨城県 河童のために川で死ぬ人が多かったので、村人が何とかして河童を鎮めようと相談した。結果、河童を慰めて水神様を祀り、川施餓鬼を行った。この水神様が河童塚である。
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カッパ 1935年 新潟県 尻子を狙って河童が引っぱる。馬の尻尾についている河童が、法力によって正体を現して寺内に入ったことを咎められ、殺された。
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カッパガミ 1956年 宮城県 農夫が馬の尻にくっついた河童を捕らえるが、向後人や馬に仇をするでないぞと放してやる。その後、農夫の家で振舞に膳椀が足りないと、不足の分だけ前夜軒先に置いてある。振舞が終ったのち元の所に置くと夜中に運び去る。あるとき椀の蓋をなくしてそのまま軒下に置いたら、以後持ってこなくなった。河童が助けられたお礼によその家から持ってきていたので、一つでもなくしては先方に申し訳ないと思ったのだろう。河童はいたずら者ながらも恩も耻も知っているといって、祠を立てて祀ったという。
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ガワラ 1983年 愛媛県 入野村の庄屋の家で一匹の馬を飼っていた。入野の原で走らせていると、この原より少し南にある淵からがわらが出てきて馬の綱を身に巻き付けて淵に引き入れようとする。馬は引きずり込まれて頭も隠れるほどになった時、驚いて一目散にかけて庄屋の家に帰った。がわらは綱にからまったまま力なくうずくまっていた。5、6歳の子供のようで頭には皿のようなものがあった。農民はそれを打ち殺して埋めた。その塚をがわら塚という。
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エンコウ,カワタロウ,ガワラ 1985年 愛媛県 ガワラ塚のガワラとはカワタラウの略語という。庄屋の馬が草を食んでいると、ガワラが現れ淵に引き込んだ。驚いた馬は庄屋に駆け帰り、綱に絡まったガワラも引きづられて来て、村人に打ち殺された。その骸を埋めたのがガワラ塚の由来。
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カッパ 1983年 愛媛県 河童を捕まえていじめたので祟りにあった。そこで神社に河童を祀った。
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ガグレ 1992年 宮崎県 河童が馬を川に引き込もうとして捕まった。その後勝田城の田中家に祟ったので供養したところ、災難はなくなった。
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モノノケ,アケチミツヒデノオンリョウ 1932年 大阪府 字馬塚の名は、東西10間5分、南北9間5分、面積3畝10歩の塚がある為に生じた。この塚は和田伊賀守惟政の武将の乗馬を埋葬したところとも、物の怪に憑かれて落命した、或いは明智光秀の怨霊によって取り殺された豊臣秀吉の駿馬を埋葬したところともいわれている。
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ガラッパ 1982年 鹿児島県 高城家の領主の稚児が高城川で河童に引き込まれたという伝説から、馬に乗った稚児の木像をご神体としている。
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ガワラ,カワタロウ,カッパ 2000年 愛媛県 庄屋は飼っていた馬を入野ノ原に杭で繋いでいたのだが、それをガワラが川へ引っ張り込もうとした。ガワラとはカワタロウ・カッパのことである。目撃した百姓はガワラを打ち殺し、田の隅に埋めた。それが当地にある「ガワラ塚」の由来である。
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カッパノテハン 1956年 宮城県 昔,粕川堰に河童が棲んでいた。ある夏の午後,邑主武山氏の家来が堰で主人の馬を洗い,帰ってくるとザンギリ頭の痩せた異相の小僧がいた。捕らえてみると河童で,馬の尾に縋り付いてきたのであった。この堰ではよく子供や馬が溺れ死ぬことがあったが,それはこの河童の仕業と判明した。すぐに打ち殺そうと思ったが,河童が平謝りするので悪戯を固く戒め,証拠として白手拭に手判を捺させて許してやった。この手判は明治9年の大火まで同家に保存されていた。
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カッパ 1922年 福岡県 地蔵堂の前に大きな石が転がっている。殿様を引こうとして馬に蹴られた河童が、今後は人を引かないことを誓った証文を書き、地蔵様の石の下に埋めたのだと言う。
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カッパ 1928年 島根県 河童の宮に祀ってあった河童の詫鉦文を河童が夜に取り返しに来て、詰めを扉で掻くので、八幡社に移してしまった。
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カッパ 1968年 岩手県 中屋敷の先祖が淵に馬を繋いで置くと河童が馬を川へ引き込もうとした。馬は驚いて河童を引きずったまま厩へ帰り、河童は餌桶に隠れたが見つかった。河童は命乞いをし、証文を書いて許された。主人は哀れに思い好物の瓜を川端に植えた。
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カッパ 1975年 熊本県 ある時氏神の神主の夢に龍ヶ淵の河童が現れ、住居の前に化物がいて入れないので退治して欲しいと告げた。神主が水に潜って調べたら水底の穴の前に馬鍬があった。それを取り除くと河童は村の子を取らないと約束したので氏神のお守りを身に付けて泳ぐようになった。
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カッパ 1985年 愛媛県 河童をつかまえてさんざんにいじめたら祟りがあったので、神社に河童を祀った。
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カッパ 1968年 群馬県 昔、矢陸の人が川に馬を入れて洗っていたところ、河童が馬を引き込もうとして尾につかまったので、馬が驚いて河童を引きずって村に帰って来た。村人は河童を殺そうとしたが、河童が「人寄せの時に膳椀を用意してやるから」と命乞いするので、逃がしてやった。その後、人寄せの前の晩には、膳棚岩の上に膳椀が用意してあったという。
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ミソシ 1958年 石川県 河童(みそし)は人畜を害さないと約束し、神社の柱に手判をしてかえった。その跡は今も残っているという。
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カッパノテ 1952年 熊本県 蒲池村の広松家に伝わる河童の手がある。江頭という郷士が、馬の尻を抜こうして厩を襲った河童を斬ったと伝えられ、後に有馬侯がこれを見て、指1本を所望したという。
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カッパ 1957年 新潟県 子供たちが溺死するので、河童の仕業だろうということになり、これを領主の命令で祀ることにした。これが神社で行われる河童祭りであり、それから河童による被害はなくなった。
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