カッパノショウモン 1956年 宮城県 葛西氏家臣小泉宝領館主三条小太夫近春が夏のある日小泉川に馬を洗いに行った。日ごろおとなしい馬なのに,川に引き入れると暴れだすことが5,6日続いたので近春がよく調べると,河童が馬の尾に悪戯をして驚かしていたのであった。近春が鞭で河童を強く叩くと河童は失神した。蘇生してからは平身低頭して謝り,詫びの証に水遁の術の巻物と詫び証文(直径5,6センチの平たい石)を差し出した。この石は天気の観測に役立つとも,水に潜るときに役立つとも言われた。
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カッパ 1929年 大分県 河童が川端につないでいた馬を川に引きこもうとしていた。村人が河童を捕まえて、厩に縛っておいた。河童は主人の留守中、女房に頼んで頭に水をかけてもらい、力を得て逃げた。翌日から毎夜魚を3疋ずつ持って来て盆の蓋の上に置いたが、ある時蓋の上にあった庖丁に驚き、その後持って来なくなった。
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カッパ 1931年 岩手県 昔、川のあたりに馬を繋いでおいたら、河童が馬を引こうとしていた。主人が河童を生け捕ったが、この部落には絶対に禍をしない条件で助命したという。
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カッパ 1955年 山形県 朝、川の中で馬を洗っていたら尻に河童がついていた。殺そうとしたら謝るので、あやまり証文を書かせて許した。それ以後河童は出なくなった。
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カッパガミ 1956年 宮城県 農夫が馬の尻にくっついた河童を捕らえるが、向後人や馬に仇をするでないぞと放してやる。その後、農夫の家で振舞に膳椀が足りないと、不足の分だけ前夜軒先に置いてある。振舞が終ったのち元の所に置くと夜中に運び去る。あるとき椀の蓋をなくしてそのまま軒下に置いたら、以後持ってこなくなった。河童が助けられたお礼によその家から持ってきていたので、一つでもなくしては先方に申し訳ないと思ったのだろう。河童はいたずら者ながらも恩も耻も知っているといって、祠を立てて祀ったという。
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ミソシ 1958年 石川県 河童(みそし)は人畜を害さないと約束し、神社の柱に手判をしてかえった。その跡は今も残っているという。
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カッパ 1933年 山口県 河童の手形が残されている。馬を引き込もうとして失敗した河童が、再び悪事を働かぬと誓いをして許してもらった詫証文である。
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カッパ,カッパノショウモン 1982年 新潟県 清水弥五郎家に河童の証文が伝わっている。何代か前のじいさんが馬を青海川に入れて洗っているときに河童の腕を手に入れた。河童は両手だと千人力だが、片手で掴むとすぐ抜けるという。その夜河童が腕をもらいに来たので、以降、青海の子供に悪さしないという証文を持ってこさせ、それから青海に水死人は出ていない。また、次の朝から弥五郎家の垣根の木の股に生魚が届けられたが、そこを鉄かぎに換えたらもう魚が来なくなった。河童は竜宮の乙姫様の使いなので金物を嫌うという。
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カッパノタタリ 1981年 宮崎県 明治の頃、ある爺が河童を捕まえて馬屋の柱に括り付けておいた。その妻が悪いことをするなよと言いながら水を掛けると河童はゆうゆうと逃げた。それゆえ現在その家には祟りで赤い髪の子ができる。
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カッパ 1985年 熊本県 馬の尻尾にぶら下がって馬をいじめている河童の腕をもいで、取り返しに来た河童に石を証文に今後村人に害をなさないことを誓わせた。
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(カッパ),トウ 1982年 神奈川県 相州大川道西久保という所に小さい川があり、その川で河童が馬を引き込もうとしたところ、大勢で河童を打ち殺そうとした。その時にある百姓が河童を貰い助けたところ、夜に河童が礼にやってきて、陶器に酒を入れ、鱸を2匹持ってきた。鎌倉時代のことだという。この河童は雌雄いて、一匹は鎌倉に住み、一匹はこの角村に住んで文通をしているという。この陶の酒を呑む時、少しだけ酒を残しておくとまた酒が増えて、万年も絶える事がないと河童は言った。ある時酒を飲み干したので、それからは一滴も出なくなった。
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カッパ 1975年 茨城県 侍の馬が川で動かなかったのは河童が尻尾に食いついていたからで、殺してやろうとした。しかし河童が命乞いをしてきたので、今後悪戯をしないように、子供たちが溺れそうになったら助けてやるようにと言って放してやった。河童は頭を下げて水の中に消えていった。
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カッパ 1968年 岩手県 中屋敷の先祖が淵に馬を繋いで置くと河童が馬を川へ引き込もうとした。馬は驚いて河童を引きずったまま厩へ帰り、河童は餌桶に隠れたが見つかった。河童は命乞いをし、証文を書いて許された。主人は哀れに思い好物の瓜を川端に植えた。
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カッパ 1992年 宮崎県 徳泉寺の馬が河童をくわえて戻ってきたので柱に縛ったら、仲間が押しかけてきて悪さをするので、和尚は7日7夜の祈祷をして、1000個の石に経文を書き、「石が溶けるまで害をなすな」と河に投げ込んだ。あやまりにきた河童に「炒り豆に芽が出るまで害をしない」と約束させ、石を除いてやった。以来、河童の害は無い。
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カッパ 1930年 宮崎県 薬湯屋の湯がぬるくなった頃、河童が集まって入浴した。主人は困り、ある晩湯槽から湯を落としておいたら、翌朝自分の馬が殺されていた。河童が怒って殺したのである。
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カッパ 1977年 福島県 源八沼には河童がいて馬や人を引き込んだ。あるとき河童が中寺の馬を引き込もうとして寺まで引きずられ、坊さまに説教されて証文を書かされた。それ以来、源八沼では河童のいたずらはない。
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カッパ 1922年 福岡県 筑後河畔には至る所に河童の話が伝えられている。河童の体は小児くらいで、頭に皿があり中に水をたたえている。柳川付近では皿の数を3つといっている。顔は青、体は黒で、顔には十文字に毛が生えており、全身も毛に包まれている。目は2つで、若い頃は1つ。嘴を持っていて、背中に亀甲を負う。手が長く、指が3本。臭いがある。水の中に住み、濁り水を好み、馬の足跡の水溜りには千匹も住むことができる。水がなくなると死滅する。好んで相撲を挑み、負けてやると機嫌が良いが負かすと恨みを抱く。など。
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カッパ 1990年 福島県 野尻川に河童石という石があった。洗い淵という淵で馬を洗っていたら、尾に河童がついてきた。今後、橋の側の石から上へは来ない、と証文をとって許した。その取り決めの石だったが、洪水で流れた。証文は河童が指を喰いきって血で書いたものだったが、観音様のお堂においておいたらなくなった。
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ガラッパ 1982年 鹿児島県 昔、夏の暑い日、寺の小僧が川へ泳ぎに行った。ところが河童に尻を抜かれて殺された。それを知った住職は怒って川の水を干した。河童の代表が謝りに来て、尻をとった河童を引き裂いて見せた。
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ガラッパ 1982年 鹿児島県 昔、馬を川に置いて離れたら馬が逃げ帰ってきた。よく見ると馬の綱に河童がからまっていた。そこで河童を馬屋に縛りつけておいたら2,3日後にしなびてしまった。女中が水を掛けると力を取り戻して綱を切って逃げた。
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