オサダガニ,オサダガイ 1991年 愛知県 甲羅の模様が人の顔に似ている蟹が野間の海岸で取れる。「長田蟹」と呼ばれており、頼朝に殺された長田父子の恨みが蟹に宿ったものだという。また、長田父子の死体を埋めた長田山から出る貝の化石も、長田父子の化身と言われ「長田貝」という。
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オサダガニ 1923年 愛知県 長田忠致が源頼朝に誅され、その怨霊が長田蟹になったと伝えられている。蟹の甲文に人の面に似たものがあるので付会されたもの。
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オニ 1992年 山口県 源頼光が酒呑童子を退治した時、幕下にいた霞隠鬼が西国に逃げ、白橘山に住みついた。霞隠鬼が里人に危害を与えるので、郡司であった平貞衡は退治することにした。ついに鬼を討ち取り、鬼の首を鉄の串に刺してさらした。それ以来、白橘山を鬼ヶ城と言うようになった。
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ヘイケガニ 1961年 全国 源平合戦で藻屑となった平家の人々が蟹となった。これが平家蟹である。
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ヘイケガニ 1976年 香川県 讃岐国八島の浦の蟹を平家蟹と言い、平家一族の怨霊が蟹になったという。
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チノイケ 1992年 愛知県 大御堂寺の大門東側にある小さな池は、長田父子が義朝を殺した後にその首を洗った池である。国に大事があるとき、その前触れで池の水が血のように赤くなることから、血の池といわれている。また、義朝の霊魂が氏族を守るため凶事を知らせるともいう。
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レイ,ヘイケガニ 1975年 山口県 長門国赤間関の辺りに、怒った顔をしたような甲の蟹がいるが、これは元暦二年戦に負けて入水した平家の霊であるという。
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シンゾウ,ミナモトノタメトモ 1977年 東京都 源為朝が八丈ヶ島の異類を退治し、鎮護の為に自分の姿を楠で作った。この像に幕府は毎年鎧を奉げる事が恒例になっていた。正徳2年、間違えて島民がこの像を島から運び出したところもがさが流行り、島民400人が死んだ。
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ヌエ,サルガミ,ヘビガミ,イヌガミ 1931年 愛媛県 源頼政の母の病が重かった頃、頭は猿、尾は蛇に似た鵺という怪獣が京都の紫宸殿に現れ、頼政が退治を命じられた。仁平3年4月7日、頼政は母から贈られた矢で鵺を射落とした。その夜、母は他界したが、鵺は現れなくなったという。退治された鵺は斬られて摂津の川尻へ流されたが、四国に流れ着いて祟りをなしたとか、頭は讃岐に着き猿神に、尾は伊予で蛇神に、手足は土佐、阿波に着いて犬神になったともいわれる。
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ヘビガミ,サルガミ,イヌガミ 1922年 昔源三位頼政が紫宸殿で射落とした鵺という、頭は猿、足は犬、尾は蛇に似た怪獣を切って攝津の川尻に投げ込んだ。それが海を漂い頭は讃岐に、手足は阿波・土佐に、尻尾は伊予に着いた。その祟りで伊予には蛇神、讃岐には猿神、阿波・土佐には犬神がいるという。また一説には犬神の起りはある残忍な人が犬を柱に縛り付け、その目の前に食べ物を置き、悶えて餓死させ、その犬の妄執が残忍な人に乗り移って子孫代々犬神になり、他人を悩ますという。
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カニ 1989年 静岡県 奈良本の太田の池に畳20畳もある巨大な蟹がいて、田を荒らすので、庄屋の太郎左衛門が伝家の弓矢で退治した。その蟹を祀った祠のある森が蟹ヶ森。
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テナシジゾウ 1922年 静岡県 悪戯な地蔵がいて里人は困っていた。源頼朝が森で昼寝しているとき、地蔵が美女に化けて近づいたが、頼朝は正体を見破ってその両手を刀で切り落とした。石地蔵が切られた手をあらった手みだれ川には、血で染まった赤い石がたくさんある。また頼朝が昼寝した森はまどろみの森といい、まどろみ稲荷が祀ってある。
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ヘイケカニ 1975年 寿永の乱で平氏の人間が屋島や壇ノ浦で死んだのだが、彼らが寃魂化して怪しい蟹となった。今になってその蟹の背中は、怒った人の顔面のような模様になっているという。
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ヌエイシ 1975年 京都府 かつて御所の上に現れた怪鳥を、源頼政が鳴弦の術で退治した時、その怪鳥が射落とされた場所を鵺池という。そのほとりにある石を鵺石といい、石垣で周りを囲んである。鵺石にさわれば必ず祟りがあるといい、太閤の頃も、この土地を誰かに与えることはなかったという。
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オオガニ 1998年 愛知県 ある年の秋、刈り入れ前に田が食い荒らされた。部落民が見張っていると、海から甲の長さが1メートルもある蟹が現れた。皆震え上がったが、侍くずれの一人が伝家の槍で戦い、明け方近くにやっと殺した。祟りを恐れた部落民は小祠を造ってこれを祭り、「蟹堂さん」と称した。
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ダイドウヤシキ,オオカニ 1956年 宮城県 坂上田村麻呂が蝦夷を平定して京へ還るとき、玉浦の原野を荒らして人を害する何万という大蟹を、軍兵に命じて、原の一方を立て切り、火を放ち、逃げ惑うのを熱湯を浴びせて退治した。東衛という者に観音堂を建てさせ、軍旗に観音像を描いて与えた。大蟹の倉といった地名が岡二ノ倉に変わった。
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アッキ 1975年 京都府 源頼光は天皇の命令を受けて、大江山にいる悪鬼を討ったという。
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ヌエ,ダイジャ,ヤ 1930年 愛媛県 源頼政の母は大蛇であって、息子に手柄を立てさせたくて、鵺に化けて現れた。そうして頼政に射らせた。その時の箭があり、毎年二本ずつそろった矢竹を生やす。
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シマムラガニ 1972年 兵庫県 細川高国が野里川に敗れた時、浦上村宗の家臣、島村弥正エ門ただ一人踏止まって斬死して、川に投身してはてた。それが蟹になったので島村蟹という。
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オオガネ 1972年 鹿児島県 慶応年間の6月の梅雨時、安山家の屋敷の前の道路とヤマンカン馬場の接する三叉路で安山松之丞等が甲羅の大きさが畳の半分ほどの毛が生えた蟹に遭遇し、これに刀で切りつけた。蟹の甲羅は固く刀の刃が折れたが、もう一本の刀で目を切りつけるとこれを切り落とすことができた。蟹は退散し、血痕は海まで続いていた。昭和六年ごろまでこの目玉は保管されていた。また、梅雨前になるとヤマンカン馬場の南方道路のほうからウーンウーンと正体不明のうめく声が聞こえてくることがある。
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