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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

カミ,シラハノヤ
1930年 島根県
平家の勇士がやって来て、御社を今ある所に移したいといった。景清の築いた城跡が山の上に残っているが、もとは八幡宮があった。城郭を構えようとして神に祈祷すると、遷座の許しが出たので、喜んで白羽の矢を射た。矢は今の社の池の中に刺さった。そこに社を造り白羽の矢を神宝の第一とした。

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カミ,シラハノヤ,ユメ
1930年 香川県
文明年中に牟礼の土地の領主が、白羽の矢が東方より飛んできて、北の林の中に落ちる夢を見た。これを神のお告げと信じ、その場所を探すと、阿弥陀寺の後方の山中で箭を見つけた。そしてここに社を建て、白羽神社とした。
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ツルギ
1976年 熊本県
肥後の国で山の木を切って中を見たら、一振りの剣が出てきた。これを祝って社を建てた。
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(シンポウガフル)
1977年 京都府
後土御門院の延徳元年3月に、京都の吉田山に太神宮が飛び移ってきたので、本当のご神体である神宝が光を放って降りたと吉田兼倶が密奏し、ここに神明社を建てた。
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ヒメ,イッポウサン
1983年 香川県
一隻のうつろ船が流れ着いたのを村の人が見つけた。船を開けてみると一人の姫君が乗っていた。身分の貴いお姫さまのようだったので、背負ってわが家まで連れて行こうとした。途中で一休みして再び背負うと、重くてとても歩けず、そこにお留まりになりたいのだと思い、社を建ててお祀りした。それが現在の一宝さんである。
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ホクトシン,ユメ,オツゲ
1975年 愛知県
永禄5年3月4日夜、宝積院開基の春岳和尚と村人久兵衛が寺の裏山に明星2星があらわれて「われ北斗神なり、ここに一軒の寺を建立してくれ」という夢のお告げをうけた。揃って裏山へ登ってみると白紙のお札が降っていた。それを寺へ安置して高野御前の社を建立した。96年後明暦4年春にまた住職が夢のお告げを受け、それに従い種池を掃除して改めみた処、土中から蛭子様と大黒様の姿石が現れたので、高野御前の社へ納めた。
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フシウシジョウ,ガギュウジョウ,カメ
1931年 栃木県
那須与一が那珂川の東にある平群の山に城を築こうとしたが、数万の烏、烏が恐ろしい叫び声をあげながら現れ、幣束を山の山頂に移した。夢に現れた白髪の老人の言に従い、与一は城山の上に築城をはじめた。その際、数10頭の牛を礎の下に埋めた。城に敵が近付くと、城は臥牛の形になり、唸り声を上げて大地を震わせたが。敵が城門に近付くと城内の大池に現れる亀から吐き出された水が濃霧になり、敵兵を惑わせたという。
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ミョウジン,ヘビカミサマ,ムラサメシンメイグウ,シラアメダイミョウジン
1971年 愛知県
ある日内海の船頭への託宣で「私は内海に住む明神也。昔そこに在った社に鎮座しておった。ふたたび社の再建をなせば村中を繁栄させ水をさずけん」と出たが当初何のことかわからなかった。それはおそらく蛇神様のことでありこの機に社を建立しようと、村人は再建を重ね、村雨神宮と尊称し万延元年の雨乞い祈願では雷雨強く、白雨大明神の霊験と拝した。
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ヤマバト,ハチマンダイボサツ
1974年 東京都
寛永13年ころ、徳川家光の弓大将であった松平新五左衛門尉直次に与力すべく、人々がある場所で弓の稽古をしていた。人々は徳川家の氏神である八幡大菩薩が弓矢の守護神だったので、同地に八幡宮を勧請することにした。彼らの願いは叶えられたが、その時山鳩が3羽松の枝にとどまったといい、人々は八幡大菩薩の影向と受け止めたという。また将軍家に若君が生まれたのは、社僧が受けた八幡大菩薩の夢告に少しも違わなかった。他に神前で風流の踊りをしていると、亥の刻あたりに神木の松の梢から、提灯ほどの光るものが出てきて、社の上に落ちた。
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エビス
1974年 徳島県
阿州和食に古くからあった恵美酒神の祠を、築城を理由に他所へ移築したが、一国一城の定めによってその城は破却されて、阿州殿の家臣山田織部の領地となった。すると山田の家来だった岡作兵衛の下人に恵美酒神が憑き、以前は城主のためだから移築を許したが、その必要がなくなった今は元に戻せと言った。怒った作兵衛は下人をなぐったところ、下人は自分の言葉を疑うならば、三日の内に竹林が枯らすといい、実際枯れたので元に戻したという。
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オイナリサマ,シロギツネ,キツネビ
1984年 長野県
築城する場所を探していた主従の目の前に、白狐が現れて道案内をしてくれた。夜になると狐火のおかげで明るかった。翌日気づくと、主従は築城に適した場所にいた。そこに坂西の城をたて、白狐を祀った。
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ノノミヤ,サカノウエノタムラマロ
1956年 宮城県
白山の社前で、坂上田村麻呂が矢を地面に突き立てて蝦夷平定を祈ったところ、根が生えて藪となった。これを箆(のの)と称し、箆宮権現という。
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シニン,タタリ,サクラ
1989年 長野県
昔、城があった場所には何人かの武士が生き埋めにされたので、供養のために塚を作り桜を植えていた。その後、その木に傷が付くと血が流れ出たという。塚が崩され田が作られると、田を作った家では病人が絶えなくなり、凶事が続いた。行者に拝んでもらうと死人の祟りだという。家は土地を売った。その土地を買った家でも不幸が続いたが、社を造って近親者で祭を行うと、商売が繁盛するようになったという。
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ノノダケヤマ
1956年 宮城県
延暦2年(783)磐井郡達谷の岩屋の蝦夷の頭目高丸が、駿河の清見ヶ関まで攻め上がった。坂上田村麻呂が勅を奉じて撃退し、高丸を追って神楽ヶ岡で殺し、その党悪路王を斬った。その後、山上に敵味方を埋葬し、大塚を築いて上に観音堂を建て、地主権現の白山の社前に矢を射て蝦夷平定を祈願した。この矢が地に突き立って根を生じ、箆といい、それを山名としたという。
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レイム
1931年 秋田県
佐竹義宣は久保田に本城を建てようとしたが、いい場所が無かった。ある夜、霊夢を見た義宣は、斎戒沐浴し、早暁に東天に向かって鵲の羽で作った矢を放った。その矢の止まったところに城を築いたので矢留城とよばれるようになった。
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アカバウジ
1983年 岡山県
昔六社宮は山上に祭られていたが、すぐ潰えるので、人柱の代わりに赤牛を入れることになった。当時ある者が赤牛を飼っていて、金を出せば出しても良いということになった。その後は潰えなくなったが、牛を出した者の家では2代も3代もオシゴロウが出たという。
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スギ
1936年 島根県
神楽のことで理屈に合わないまま言い負かされた男が、神社の杉の枝を折って祈り、うやうやしく自らの里へ持ち帰ると、枝が新芽を出したので、社殿を建てて祀った。
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タケコマジンジャ
1956年 宮城県
承和2年(835)4月、参議小野篁が国司に任ぜられ多賀国府に下るとき、京の稲荷山の分霊を陸奥に勧請するため長櫃に収めて下った。途中、千貫松のふもとで八声鳴いて白狐が長櫃から飛び出し、武隈の森に走り込む。ここに社を建てよという神の告げとして分霊を祀る。陸奥に下った能因法師が、篁卿の建てた社の所在を竹馬に乗って遊んでいる童子に教えられたというので、寺を開き竹駒寺と称して別当とする。
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ハタオリゴゼン,オリヒメ
1967年 福島県
機織り御前は、領主畠山高国がこの地で猟をした時、天から降った織り姫に出会い結婚し、松若丸の7歳の時に、母の織り姫は再び天に帰り、後にこの社を建てて祭ることになったという。
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ハチマン,カイジン
1977年 静岡県
遠州の日坂に八幡の祠がある。昔この明神の美しい娘を海神が妻にしようとしたが、明神はそれを許さなかった。怒った海神は大鯨を遣わして娘をとろうとしたので、明神は碁盤で打ち殺したところ、鯨は山にかわったという。海神はさらにむくりこくりを語らい軍を起こすも、明神はそれを戦って退散させた。海神はさらに明神の御方なる人が海辺に来たら仇なそうと考えた。これより現地の民は潮を焼く所がなくなったという。
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イナリ,シラトリ,モチ
1949年 京都府
伊呂具秦公(いろぐのはだのきみ)という者が稲を積んで豊かになり奢って、餅を的にして遊んだところその餅が白鳥と化して山の上に飛んでいって留まった。その留まった所に稲が成り生えたため、伊奈利(稲荷)の社を建ててこの鳥を祀った。その子孫も先祖の過ちを悔い、その社の木を家に移し植えて祈った。この木生付く者は幸を得て、木枯れるものは必ず禍があるという。
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