タタリ 1935年 長野県 権現城が落城し、城主の妻子がおちのび、恩顧の惣十郎に助けを求めたが、騙されて殺された。その後、惣十郎の家に祟りがおこったので、『関八幡』として霊を祀った。
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ミナモトノヨリマサ,ツボ 1974年 茨城県 源頼政が自害する時、郎党に首を隠して持ち歩けと命じ、もしもその場に居たいと思う所に来たら何らかの験を示すと言った。遺言通り郎党が首を壺に入れて諸国を遍歴すると、下野国古河で首を入れた壺が持ち上がらなくなったため、その場に葬り、社を作って「頼政明神」と崇めた。
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タタリ 1971年 石川県 気性の激しい当主が侍女を斬って井戸に投じたところ2,3代にわたって目を患う者が出、殺された侍女の祟りとして、供養のため邸内に地蔵堂を建立するに至ったという。
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オニ 1979年 岐阜県 鬼が八幡町の瓢ヶ岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。この鬼の首は金山町の東林寺に納められたあと、念興寺に納められた。東林寺には鬼の髭が残されているという。
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リュウグウ 1982年 群馬県 斎藤氏の先祖の阿感坊が、竜宮様へ藤蔓切りに行き、川に落とした鉈を追いかけて竜宮に着いた。竜宮に3日いて、瑪瑙は宮子神社に、観音様は竜宮様へ、玉手箱は斎藤家に持って行けといわれて、3品を貰って帰って来たら、3年経っていた。口止めされていたが跡部の殿様から責められて喋り、3日後に死んだ。殿様は気の毒に思い、コウガン寺(現在廃寺)の殿様の墓の前に葬った。
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クビナシウマ 1984年 愛媛県 奥の城城主河野通存は、息子の通賢が東野に住む娘の元へ通うことを快く思わず、東野で馬の首を刎ね、更に通賢をも殺害した。以来、毎夜首なし馬が現れるようになったので、村人は祠を建てて祀った。東野でお茶屋を営む久松定行は、陰火の飛ぶのを忌んで、この故事のあることを知り奥城八幡宮を再建し、鎮魂した。これが現在の東山神社である。
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クビヅカサマ 1982年 宮城県 首を切られた坊主の首が川を溯っていった。それを祀ったのが首塚様。
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エノキ,タタリ 1986年 茨城県 土浦市鷹匠町の真言宗龍泉寺に榎八幡があり、榎の枝葉に人が触れると仇を為すという。小田氏治の家臣伊勢守信太範宗を弟の養子が惨殺し、龍泉寺に埋葬した。祟りがあるので、八幡神社を祀り、榎を墓印としたものという。
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ヘビガミ,サルガミ,イヌガミ 1922年 昔源三位頼政が紫宸殿で射落とした鵺という、頭は猿、足は犬、尾は蛇に似た怪獣を切って攝津の川尻に投げ込んだ。それが海を漂い頭は讃岐に、手足は阿波・土佐に、尻尾は伊予に着いた。その祟りで伊予には蛇神、讃岐には猿神、阿波・土佐には犬神がいるという。また一説には犬神の起りはある残忍な人が犬を柱に縛り付け、その目の前に食べ物を置き、悶えて餓死させ、その犬の妄執が残忍な人に乗り移って子孫代々犬神になり、他人を悩ますという。
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キツネ 1988年 奈良県 惣五郎と言う人が三反御作(3反歩ある大きな田)を植えた帰り、溺死した子狐を見つけ葬った。その夜戸を叩く者がおり、「お田引いた惣五郎さん、三反御作みな引いた」と5,6人の声がした。翌朝見ると植えた苗はみな引き抜かれ、狐の屍骸が掘り起されていた。親狐が思い違いをしていると思い、狐のいそうなところを釈明して歩いたら、その夜に伊勢音頭の音がして「お田引いてすまなんだ、三反御作また植えた」と声がした。翌朝、家の前には大きな鏡餅が置いてあり、田はもとどおり植えてあった。
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ヘビ,ヤトノカミ 1988年 茨城県 継体天皇の代に、箭括麻多智(ヤハズノマタチ)という人が、蛇である夜刀の神を追い払って田を作った。その夜刀の神を祀ったのが夜刀神社で、ご神体は角のある蛇神(蝮)。蛇が祟った家は必ず滅び、蛇を頭だけに切っても、その頭は死なずに仇を取ると言うので、祀っている。
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クビヅカサマ 1982年 宮城県 和尚が首を切られて、その首が川伝いに飛んでいって岩に噛み付いた。それを祀ったのが首塚様。
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サンキチノクビ 1968年 三重県 三吉という無頼漢の悪党は神通力を持っていて、役人が捕えに来ると事前に知って逃げたのでなかなか捕えられなかった。しかしとうとう首切りの刑に処されることになり、首が切られるや否やその首は空中に舞い上がり故郷の大西某家の邸内に落下した。大西家と里人は、死んでも故郷に帰ってきた心意気をかって邸内に墓碑をたて手厚く供養した。
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〔ボウフリダ〕 1956年 宮城県 天正18年(1590)、葛西大崎一揆の時、伊達政宗が黒川月舟の鶴巣城を攻めたが落ちない。農家で水を飲んだとき、そこの老婆がこの城は鶴の形ゆえ頭のところを断てば落ちると教えた。城を落としたのち褒美に金をやるといって老婆の首を斬る。その首は飛んで田に落ちる。以来、田植えになると髪を振り乱した老婆の亡霊が現れ、棒を振り回して邪魔をしたので、今も耕作しない。
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オンリョウ 1952年 三重県 家老が殿様の子供と自分の子を取り替え、御家の横領を企てたことで斬殺された。その墓を幾ら西向きに建てても城のある方向へ戻ってしまう。殿様が外出の際に首のない家老が玄関にうずくまっていた。
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ダイジャ 1964年 福島県 田原藤太秀郷は平将門の愛妾桔梗の前と恋仲になり、影武者の見分け方を聞き出して将門を滅ぼした。桔梗の前は秀郷を恨み、生国伊達郡藤田村を訪ねたが、秀郷の行方はわからず、蛇身になって菅沼の主となった。人身御供をよこさないと村を泥海に変えるというので、村人は金を集めて娘を買いに行く。下総の周防という浪人が主君の年忌供養のために娘を売った。周防の耳にも人身御供の話が聞こえ、大蛇退治に出かけ、白鳥明神の神通のかぶら矢で大蛇を退治した。この噂を湯野村の阿部道学親子が聞き、武名を上げようと襲ってきたので返り討ちにした。周防は茂庭の領主となり、大蛇と阿部親子の首を祀ったのが三社権現。
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シュテンドウジ,オニ 1969年 京都府 酒呑童子の首は、四条河原で梟首ののち、山城と丹波の国境の老の坂に埋めた。手下のうち重だった者の鬼の首は下野条の地に埋めたという。
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ウマ,テンセイ 1931年 埼玉県 土御門院のころ、吾妻左衛門藤原是好という長者がいた。そこに諸国行脚の法師が泊ったとき、法師は悪心を起こし夜具を盗もうとした。逃げようとすると馬に噛みつかれ、其馬が人語で「私はここの主の叔父であった。盗みをすると馬になって苦労するからやめておけ」というようなことを言って次の日に死んだ。法師が左衛門にその話をすると左衛門は驚き、叔父の為に葬式を出し、墓の側に草庵を立てて法師を庵主にしたという。
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オニ 1979年 岐阜県 鬼が粥川の瓢ヶ岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。白鰻が道案内をしてくれて、高光は鬼を射止めた。この鬼の首が念興寺にある。
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クビヅカサマ 1982年 宮城県 坊主が悪人に首を切られて、その首が川伝いに飛んでいった。それを祀ったのが首塚様。
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