キツネ 1989年 長野県 ある人が飯田の方へ行ったとき、昼寝していた狐に石を投げたら当たった。狐は痛そうな泣き声を上げて山の方へ逃げた。帰路、狐の寝ていたところに来るとにわかに薄暗くなり、日が暮れた。困ったと思っていると、向こうから弔い行列が来る。怖くなって道端の木に登ると、木の回りを回って、根元に棺を置いて火を焚いて帰っていった。棺が焼け落ちると中から死人が出てきて、木を上ってきた。その人がてっぺんまで上ると枝が折れて落ちた。悲鳴を上げると、辺りは元通り明るく、その人は土手の下に落ちていた。
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キツネ 1922年 茨城県 治郎兵衛という農夫が山林中で死んだ雉子を見つけ、持ち帰った。夜になって治郎兵衛の家の周りを1匹の狐が鳴きながら何回となく回った。「そんなに欲しくば返してやる」と、治郎兵衛が戸を開けると狐はすでに絶命していた。それから間もなく治郎兵衛の家の前の石橋が破裂し、家は全焼し、治郎兵衛一家は離散した。雉の持ち主は狐で、眷属の大宴会に雉を出す予定だったが、治郎兵衛に取られ、多くの賓客に合わせる顔がなく、帰ることも出来ず治郎兵衛の家の周りを泣き明かしつつ死んだという。
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キツネ 1970年 福島県 三代の盆踊りに何年も大したお化狐が出てきて踊っていた。めんげぇおなごだといって若ぇ衆が送って山王坂までいくと、いなくなった。その次の日の夜にまた踊りに来た。盆上がりにその狐は西山形屋の穀入れの下に寝ていたが、西山形屋は「おれげぇ、おいなりさまだからおれげぇの屋敷では、犬にくわかねぇでくれろ」と言ったので、犬が逃げていくのをアキルツルのあたりで捕まえたそうである。
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キツネ 1989年 鳥取県 大山の麓の種原で魚売りの商人が大勢の狐に襲われ、木に登って逃げた。「藤助のかかあを呼んでこい」という声がして、大きな古女狐が来た。商人は襲ってきた女狐の額をカナリョウで打ち、女狐は死んだ。種原の藤助は妻が狐とは知らず、田植えができずに困っていたので、仲間の狐が一晩で植えてやった。藤助の稲は穂が出なかったが、刈り取ってみると茎の中から米が沢山出て、分限者になった。
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キツネ 1982年 宮城県 田植えの済んだ田圃に悪戯をした狐が捕まり、殺すか殺すまいか議論になったが、助けることにした。田植えのしなおしを準備していた夜、狐が大勢来て夜の内に田植えが終わっていた。その後も狐がその田を世話してくれて、その年は豊作になった。それからその家では明神様として狐を祀り、田植えの日にはご馳走をあげている。
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ヘビ,ジャ 1959年 秋田県 山芋掘りに行った人が山で蛇を3匹殺した。夕方、家が揺さぶられたので、お婆さんが着物の袖からお日様を透かして覗くと、蛇の形が見え、それが家を取り巻いていた。殺した人が死んだので隣家に知らせに行くと、そこにも李の木から大きな蛇が下がっていた。託宣すると「1000匹子を産めばジャになって天に昇れるのに、3匹も殺されてしまったので憎い。親類全部殺してやる」と言うので、毎年7月24日に龍神を祭ると謝った。
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キツネ 1970年 福島県 清六という猟師がいた。あるとき、狐を1匹とって来て食べたときに、窓の外で「うまいか清六」という声がした。外を見ると狐が逃げていくのが見えた。そしてあくる晩に、とっておいた肉を食べていると、「流しの下の骨見ろ、流しの下の骨見ろ。」という声が聞こえて、また狐が逃げていった。そこで見ると、清六の子どもの骨があった。
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キツネ 1956年 宮城県 気仙沼出身の実業家三田某氏の実見談。明治40(1907)年頃の7月5日午前4時頃,三田青年が峠で一休みしていると,橋向うに50がらみの男が一人,草叢に座って酒盃の献酬をしているような格好である。その時顔の右半分に軽い痙攣を感じ,その方に目を向けると杉の木の下に赭毛の大狐がいて,親爺の方に尻と顔を向けている。太い尾を水平に伸ばし,その先をくるくると小さい輪を描くように回しており,まるで尾の先で人間を操縦しているかのようであった。三田氏が石を投げつけると,狐は茂みの中に逃げてしまったが,その時親爺もその方向に引かれるようにうつぶせに倒れた。親爺は正気付くと今いる場所も日時もわかっていなかった。親爺は「自分は高田の先の大船渡の者で,二日前の夕刻,塩鮭を土産に大槌の親戚の家に出かけてきたのだ」といってそこら辺を探し回ったが見つからない。「自分は今まで確かにその婚礼の席で挨拶をしたりしていたのだが」と不思議そうであった。
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キツネ 1982年 宮城県 魚を馬につけて売りに行く人が、人間に化けた狐に魚をよく取られたので、次に声をかけられたときにはきっちり縛りつけて殺そうとした。それを見た及川氏の先祖が助けてやれと意見し、狐は助かった。その夜、狐が及川家の平貝の沢という田圃で唄を歌いながら田植えをし、その田圃はその年豊作になった。
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オシドリ,フジン 2002年 栃木県 犬伏町下の谷に鴛鴦塚がある。太田二郎左エ門尉式宣という弓術の達人が、鳥獣を射ていた。ある日三毳山で狩をしていたが終日獲物がなく、帰ろうとしている時に阿曽沼の東岸で鴛鴦を見つけて射て持ち帰った。その夜熟睡していると忽然として戸外に声がして、妙齢の婦人が歌を詠み、号泣した。3、4回それが続いたので一喝し戸を開けると一羽の鳥が飛び去った。不審に重い夜が明けてから鴛を射たところに行ってみると、鴛が菰の茎を咥えて死んでいた。式宣は悔悟して、自ら塚を築いて鴛を併せて埋葬し、入道した。
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キツネ 1974年 東京都 午八月二十七日早朝、ある男が道で寝ていた4匹の白狐を驚かし、狐は逃げていった。すると雨が降り出したのでいつも休む家へ行くと、女房の棺桶を主人が担い出すところであり、留守を頼まれた。家の中にいるとその女房の霊が出てきて、男の腕に食らいついた。近くの百姓が、その男が川の堤を上り下りしており、血だらけであるのを見た。狐に化かされていると思い、水をかけると、男は正気に戻った。そして小豆飯に油あげをそえて狐に謝りに行った。実際には雨は降っていなかったが、腕の傷は本物で、その後も痛みに難儀した。
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キツネ 1982年 宮城県 田植えの手伝いを頼む人が見つからずに困っていた人が、子どもが狐をいじめているのを逃がしてやったら、狐が田植えをしてくれて、その年は豊作になった。
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キツネ 1975年 宮城県 馬で魚を買いに行った帰り、立派な身なりをした腹病みの女にあったので馬に縄でゆわえつけた。夜が明けると狐の姿になったので悪さをするなとさとして縄を解いた。夜中になって「ほいほい」と声がするので、次の朝見ると一晩のうちに田が三反耕してあった。
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キツネ 1941年 秋田県 畑に悪戯をした狐が火あぶりにされるところを東五郎殿に助けられた。そのお礼に狐は東五郎の田んぼに田植えをした。
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キツネ,ヒョウイ 1974年 京都府 京都の光徳寺という村住んでいた尊い行者が、小鳥をかごに入れて楽しんでいた。しかしその鳥をねらって悪い狐が捕っていったので、行者は狐に食止めの呪いをかけたところ、狐は徐々に弱りだし、ある岡で死んだ。その狐を六右衛門という者が岡の松の下に死体を埋めた夜、彼の妻に何かが憑依し、自分が眠るところに汚らわしいものを埋めるなと警告する。六右衛門が狐の死骸を取り出すと憑依は治まったという。
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ネコタノコウシンヅカ 1956年 宮城県 郷士阿部某の娘が夕方向山の北裾の山路を通ると,突然身の丈6尺程の大猿が現れ,娘は失神してしまった。翌朝家人が失神している娘を見つけ,家に担ぎ込んだが,娘は日増しに痩せ衰えていく。ある日村の若い衆が見舞いにきて娘の額に手を当てようとしたところ,突然男の頭に柿の実が飛んできてぶつかった。見廻しても仲間しかおらず,翌日も同じ事が続いたので三日目には見張りをつけた。一人が娘の額に手を触れると,突然屋根裏から南瓜が投げ落とされる。上を見ると天窓から大猿が歯をむき出していたので,大勢で追いかけたところ向山のほうに逃げてしまった。その後も,見張っていないと大猿がやってくるので,刈田岳のマタギに頼んで大猿を撃ち殺してもらったが,同じ時刻に娘もあっとうめいて息を引き取ってしまった。その後村人は娘と猿の供養のために山の北麓に庚申塔を建ててやった。初め猿田の庚申塔といっていたが,現在では猫田の庚申塔といわれている。
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キツネ 1926年 長野県 ある女を女中に雇った。明日田植えの日、女中は狐の姿になって昼寝していた。悟られた狐は突然姿を消した。翌朝、田には苗を逆にして植えてあり、狐のたたりを恐れてそものままにしておくと、その秋は豊作になった。
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キツネ 1976年 新潟県 ある人が、依頼を受けて稲荷様のそばの狐を殺した。するとその家で口のきけない子どもが3人つづけて生まれた。占ってもらうと、稲荷の恨みといわれ、床下を調べたら、狐が寝ていたと言う。
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キツネ 1988年 静岡県 爺さんがきれいな娘を舟に乗せた。爺さんにはその正体がおべんじょという狐であるとわかったため、青松葉をいぶした。狐がもう化かさないと約束したので放してやった。しかし毎晩石を投げるので、ことわりに行った。すると狐が祟って、近くで生まれた子供が3人亡くなった。
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ヨウコ 1975年 福井県 狐はずるがしこくつかまりにくいので、妖狐と呼ばれていたが、折井孫右ェ門に退治される。心残りがした村人達が狐の墓を作る。それが狐塚。
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