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検索対象事例

ホウソウガミ
1992年 群馬県
前橋市東大室町にある山田常男家の文書「疱瘡神五人相渡誤証文事」の原文引用。疫神の詫び証文の例。墨味筋悪、脚早荷弾、松皮掻姫、煎粒姫、部々寛味の5神が連名で、子供に疱瘡をうつしたことを詫び、その治療法を教え、以後は家に立ち入らないことを誓って、許しを請う。

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ホウソウガミ
1992年 群馬県
太田市東金井にある小林監治家の文書「疱瘡神五人相渡誤証文事」の原文引用。疫神の詫び証文の例。墨味筋悪、脚早荷禅、松皮掻姫、煎粒姫、部々寛保の5神が連名で、子供に疱瘡をうつしたことを詫び、その治療法を教え、以後は家に立ち入らないことを誓って、許しを請う。
類似事例

ホウソウガミ
1992年 群馬県
太田市内ヶ島にある大槻敏明家の文書「疱瘡神五人相渡誤証文之事」の原文引用。疫神の詫び証文の例。黒味筋悪、肺甲荷弾、松皮掻姫、煎粒姫、部々寛味の5神が連名で、子供に疱瘡をうつしたことを詫び、その治療法を教え、以後は家に立ち入らないことを誓って、許しを請う。
類似事例

ホウソウガミ
1992年 群馬県
桐生市川内町五丁目にある高野直久家の文書「疱瘡神五人相渡誤証文事」の原文引用と原文写真。疫神の詫び証文の例。墨味筋悪、脚早荷弾、松皮掻姫、煎粒姫、部々寛味の5神が連名で、子供に疱瘡をうつしたことを詫び、その治療法を教え、以後は家に立ち入らないことを誓って、許しを請う。
類似事例

ヤクビョウガミ
1992年 群馬県
勢多郡北橘村八崎にある狩野康男家の文書「差上申一札之事」の原文引用。疫神の詫び証文の例。屋敷に入った疫病神が、自らの心得違いであったと詫び、以後は決して入らないと誓い、許しを請う。
類似事例

ヤクビョウガミ
1992年 群馬県
利根郡片品村越本にある笠原一成家の文書「差上申一札之事」の原文引用と原文写真。疫神の詫び証文の例。屋敷に入った疫病神が、自らの心得違いであったと詫び、以後は決して入らないと誓い、許しを請う。裏書きによれば、この証文がある家には疫病神が来ないという。
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ホウソウガミ
1994年 群馬県
群馬県山田郡大間々町浅原にある小林一郎家の文書「疱瘡七社神名号」の原文引用と原文写真(抜粋)。疱瘡神には、魁神、石神、寛神、刑神、早神、役神、兵神の7つがあり、それぞれについて、姿、祭日、引き起こす病状を列挙。
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ホウソウガミ,ササラサンパチ
1935年 福岡県
名護屋山三郎の家来に、佐々良三八という美男がいた。ある時路上で1人の男が多くの犬に囲まれて弱っているのを助けた。この男が疱瘡神で、お礼にあなたの名前の出ている家には決して這い入りませんと誓った。だから、7穴のあわび貝に「佐々良三八様御宿」と書いておけば、疱瘡にかからない。
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フクタロウ,カワタロウ
1935年 神奈川県
相州金澤村の漁村、重右衛門の家に持ち伝わる箱に、水難疱瘡の守り神と記してあり、家の中に祭ってあった。享和15年5月15日夜に重右衛門の妹の夢の中に童子が来て、私はこの家に久しく祭られるが、未だによく知るものがいないので、一社を建ててくれ。そうすれば水難疱瘡麻疹の守り神として擁護するといった。妹はそれを親類に告げ、箱の中を見ると異形のものがいた。面は猿のようで四肢に水かきがあり、頭には凹んだところがあった。それを福太郎と称した。その後他の家に出したがそこでも夢告があり、水神と勧請した。またさまざまな霊験があったという。
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ヤクビョウガミ,(ニカホキンシチロウ)
1973年 東京都
旗本の仁賀保公の先君は、英雄の賢君として知られているが、近頃疫病神を捕縛されたという。すると疫病神は一通の証文を出して一命を乞うたので助けた。それ以後、公の家には疫病が一切流行らず、また仁賀保金七郎と書いた札を入り口に貼った家は、疫病が入ってこないという。
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ホウソウガミ
1957年 東京県
恩方村での聞き取りによれば、本疱瘡に罹った男が高熱を出し、寝床で薄目を開けていると、枕元に娘がかしこまっていたという。その娘は疱瘡神さんであったという。女の場合は、男の疱瘡神が枕元にかしこまっているという。
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コモチノホウソウガミ
1957年 東京都
昔、元八王子から嫁に来た人が本疱瘡にかかった。そのとき、子持ちの疱瘡神がいつでも枕もとにかしこまっていたという。
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(エキジン)
1980年
推古天皇の頃、日本が不作だったので三韓から穀物を調進してきた際、その船中にどこのものか分からない3人の少年がいた。彼らは疱瘡を患っていた。日本の人々が問うと、自分らは疫神で疱瘡を司っており、いま日本に渡ってきたという。そして祠を建てて畠芋を供えろと言って消えたという。それ以後日本で疱瘡が蔓延したという。
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アンバサマ
1939年 千葉県,茨城県
家に疱瘡子ができると、村の神主に頼んであんば様を祭ってもらったという。神主は赤い幣束を切り、それをサンダラボッチに刺して病人の枕元においた。そして、祭ってから12日目に『ムナガシ』と言って、サンダラボッチに刺した幣束をそのまま川へ流し、12日田へば熱が下がり、癒えると信じられていた。
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ヤクジン
1976年
推古天皇の34年、日本で米穀が実らず三韓より取り寄せた。その船に3人の疱瘡患者が乗っており、それぞれ老人・婦人・僧が付き添っていた。どこの者かと問うと、我々は疱瘡神だと答えた。同年、初めて日本で疱瘡患者が出た。
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ヤクジン
1974年
推古天皇34年に、日本は米が実らなかったので三韓から米を調貢させた。その船の中に疱瘡を患った人が3人おり、それぞれ老人と僧と婦人がつきそっていた。その名を問うと我らは疫神であり、疱瘡という病を司るという。また我らが来たので、この国の民も疱瘡にかかる。我らは畠芋を好むので、我らを祀るならば畠芋を供えよと告げて姿を消したという。
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(ホウソウジン)
1980年 岡山県
備藩の野崎弥助の次男が幼く、まだ疱瘡に罹っていなかった頃、岡山で痘が流行していた。ある日乞食の老婆が門前に立ち、妻が銭を施したところ、自分は疱瘡神だが次男の疱瘡を軽くしようという。次男は翌日に熱を発したものの軽かった。但し自分の家で調理したものは一切食べなかった。
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ダルマ,ツク,タイグルマ,セキハン,ホウソウ
1935年 東京都
嬰児が疱瘡にかかると、張子の達磨や木兎、鯛車などを枕元に飾る。方法はさん俵を敷き、その上に達磨や木兎を祀る。そして幣帛を立てたり赤飯を供えたりして、疱瘡の治ることを祈る。半月経つと疱瘡も峠を過ぎたものとして供えた赤飯から3粒をとって紙に包み、三つ辻の角へ持っていって捨てる。この赤飯をまだ疱瘡の終わっていない子供を持つ母親が見ると持って帰って子に食べさせる。そうすると疱瘡が軽く済んだ小児にあやかることができるという。
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(ゾクシン)
1964年 福島県
厄病よけとして、入り口に「釣舟清次宿」と書いてはっておくとよい。清次がびんぼうじいさんにいわなをやったら、「おれは疫病神だが、お前の家だけには行かないようにするから、釣船の清次の宿と書いて表に出しておけ」と言って消えていったという伝承からだという。舘岩村では「源義家の宿」と書く。
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ホウソウノカミ
2001年 沖縄県
疱瘡口説によると、童女がワンの原で果報ガサ(軽い疱瘡)を祈る。そこへヤマトから美しい船が来る。船員にヤマトの果報瘡(同前)の様子はいかがかと問うと、ヤマトの果報瘡は綺麗だと答えた。皆は喜び疱瘡の神をもてなすために首里の御獄に書院(家)を造って迎え、歌三味線で楽しませて一粒だけの軽い疱瘡を願う。
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アンバサマ
1939年 千葉県,茨城県
あんば様は、阿波大杉大明神様で、疱瘡神である。どこの村でも、疱瘡が村に入ってくると、阿波の大杉様へ行って天狗の面を借りて、これを村の主だった一人が背負い、k各家から一人ずつ出て、大勢で一軒一軒『あんばやし』を唄い、踊りを踊りながら笛太鼓で囃し歩いたという。
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