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検索対象事例

アマノジャク,コウボウダイシ
1958年 岐阜県
弘法大師が双六へ来たとき、アマノジャクと一夜でお堂を建てる賭けをした。朝までにお堂が建ちそうになったので天邪鬼が鶏の鳴き真似をし、「もう夜明けだ」とおどかしたので、弘法様は怒って積んであった材木を石に変えた。それが天然記念物の材木石。

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コウボウダイシ,アマノジャク
1980年 岐阜県
弘法大師が一夜で寺を建てようとしたが、アマノジャクが夜中に鶏の鳴き声の真似をしたので、大師は双六に材木を、葛山に帽子を、細越に杖を置いていった。それが材木岩、烏帽子岩、杖岩になったという。
類似事例

(コウボウダイシ),アマノジャク
1980年 岐阜県
弘法大師が、村人が気づかないうちにお堂を建てようとして夜なべして材木を切り出したが、全部できないうちにアマノジャクが「夜が明けたぞ」と言ったので、仕事を止めてしまった。材木はそのまま石になり、材木石になった。
類似事例

コウボウダイシ,アマノジャク
1980年 岐阜県
弘法大師が一夜で寺を建てようとして、双六に材木を結わえていた。アマノジャクが邪魔するために、後は建てるだけとなったときに鶏を連れてきて鳴かせた。弘法大師は夜が明けたと勘違いして逃げ出した。そのとき葛山に烏帽子を、細越に杖を忘れていったのが烏帽子岩・杖岩になった。
類似事例

アマノジャク
1983年 岐阜県
木材伐採や堂の建造などの弘法大師の事業の邪魔をしていたといわれるのが、材木岩である。天の邪鬼の変わりに、それを老婆とする例もある。
類似事例

テングサマ
1982年 群馬県
弘法大師がここに住もうとして、100軒の寺を建てる百谷を捜したが、天狗様が自分の遊び場がなくなると思って1谷隠してしまい、大師は住めなくなって高野山に行った。
類似事例

テング
1982年 群馬県
弘法大師が霊場を捜して寺を建てる千谷を捜したが、天狗が1谷隠してしまい、大師は落胆して山頂から袈裟を丸めて投げた。そこが袈裟丸山。
類似事例

コウボウダイシ,オニ
1930年 岡山県
昔、この辺りに鬼が住んでいた。弘法大師が通りかかったとき、鬼が退去を拒んだ。そこで大師は鬼に小さな木像を与えた。しかし鬼は木像の有難味が分からず、転がしていた。その木像を盗んだ者がおり、船で去ろうとしたが動かず、木像を海に捨てて去った。鬼はこの話を聞いて木像の尊さを知り、海中から拾い上げて祀った。
類似事例

シガノヤクシ
1956年 宮城県
貞観2年(861)慈覚大師開基のとき、飛騨工匠が村人に一夜で堂を建ててみせるという。村人が夜明け前に鶏の啼く真似をしたので、工匠は天井板一枚張りかねて立ち去った。堂前の坂の中ごろにある蛇石は、材木を運んだ牛が転んで石に化したという。堂に狩野法眼元信の絵馬に手綱が描かれていないので、絵馬から抜け出して畑を荒らしたため、元信に頼み手綱を描き加えてもらったという。
類似事例

コウボウダイシ,サンココンゴウショ,イヌ
1932年 和歌山県
弘法大師が密教相応の霊地を占うため、唐の明州から三鈷金剛杵を投げた。その後帰朝し各地を巡歴していた折、狩場明神の化身なる猟師に出会い霊地を尋ねると、猟師の連れていた犬が大師を導き、高野山に到達した。山上の老松には唐から投げた三鈷金剛杵がかかっていたので、この地に霊場を開いた。
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アマンジャク
1982年 群馬県
弘法大師が霊場を捜して寺を建てる八十八谷を捜したが、アマンジャクが1谷隠してしまい、大師はあきらめて、八十八谷ある高野山に本山を開いた。
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ウシイシ
1967年 福島県
頭陀寺の門前にある石は牛が寝ているような形をしているが、この寺の造営のとき木材を運んだ牛が石になったものだという。
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タヌキ
1981年 滋賀県
昔法蔵禅寺に六部がやってきた。六部は住職に泊めてくれと頼んだ。住職はやめた方がよいといったが、六部はどんな辛抱でもするといって泊った。その晩六部が寝ていると、丑の刻にわけのわからない化物が天井一杯くらいある目玉をむいて六部を睨みつけた。六部が「狸だろう、こっちへ来て勝負しろ」というと狸も諦めて出てきて、どんな勝負をするのかと聞いてきた。六部は「オノレワ、テンクラテンジャを交代で言い合いをする」といい、言い合いをしたが、じきに狸が言えなくなってしまい、裏山に逃げてしまった。
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ネズミイシ
1958年 岐阜県
双六で、鼠の模様が白く浮き出た自然石が出土した。この珍しい石を寺に置くと、お客(檀家)が増えて栄えると考え、部落の人に石を運んでもらった。しかし、部落で旦那や長男の不幸が続いた。鼠が死人を引いているのだろうということになり、鼠石は寺から双六の方に戻した。
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コウホウタイシ
1970年 福島県
昔弘法大師が印度に修行に行った折、木を3本空に向けて、日本に着かせ給えといって投げあげた。それが日本に渡り、阿賀野川をのぼったのを、ある人が拾いあげて床の間に飾った。やがて弘法大師がたずねてきてその木で虚空蔵様を作りあげた。
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ジゾウボサツ,セイメンコンゴウ
1983年 愛媛県
柿の木部落に地蔵菩薩を信じる兄と青面金剛を信じる弟がいた。弘法大師がやってきて兄弟に感心し、それぞれ仏像を刻んだ。後世、松が鼻に地蔵堂を、松尾坂麓に青面金剛の堂を作った。乱世で失ったが、その後北宇和群広見町深田の庄屋河野勘兵衛通行が松が鼻で石を枕に寝ていると夢地蔵菩薩が現れ、掘り出して供養すれば婦人のお産を安泰にする、と告げたので掘り出して祀った。これが現在の子安地蔵である。その後再び夢のお告げと二匹の猿の導きで松尾坂の青面金剛も掘り出し、お堂を造り祀った。これが現在の庚申堂である。
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テングサマ
1982年 群馬県
弘法大師が榛名山に住もうとして千谷を作ろうとしたが、天狗様に1谷どうしても隠されてしまい、住めなくなって紀州の高野山に行った。
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ミチビキイヌ,コウボウダイシ
1935年 和歌山県
弘法大師が帰朝し弘仁7年密教禅院を開創しようと巡礼中、大和国宇智具にやってきたとき白黒2頭の犬を連れた狩人明神に出会い、地形についてたずねた。狩人は紀州伊都郡の南に霊地があるとして2頭の犬を先頭にして進むと突然丹生都比売神が現れ山上に導いた。その時老松の上に大師が唐から投げた三鈷金剛杵が燦然と輝いていた。大師はその利験を喜び霊場を開いた。導いた犬を伝えて導き犬という。
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テング,アキバサンジャクボウ
1921年 徳島県
木登りばかりしている小僧がいつしか天狗になったという。ある夜小僧が師の僧の枕もとにたち、裏山に祠を建ててくれれば火難を防ぐといったので、僧は堂をつくり、秋葉神社を作った。
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バンザン,テング
1956年 宮城県
もとの名取・宮城の郡境にまたがる根張りの広い山。弘法大師は山容を蓮葉にたとえ、霊場にするため九十九谷まで開いたが、天狗に妨げられ一谷を残して紀州に去り、高野山を開いた。慶安3年(1650)慈光不昧禅師雲居和尚が瑞巌寺を引退してここに隠居したときも、天狗どもが和尚の法力をためそうといって和尚の障碍をしたが、この山を根城とした万二万三郎兄弟が和尚のために天狗を追い払った。和尚はこれを徳として、山上に坐禅堂を建てたときに二王護国大権現の号を贈って一山の鎮護とした。
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コウボウダイシ
1979年 鳥取県
木こりが体の腐れた旅の坊さんを木こり小屋に泊めた。翌日みると坊さんは小判の山になっていた。弘法大師だったという。
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