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検索対象事例

ガタロウ
1999年 滋賀県
昔、大戸川に多くの河太郎(がたろう)がいて、時折陸上に出て子供を捕え、水中で血を吸って溺死させた。また祇園祭当日に大戸川で水泳すると河太郎のたたりで水死するとも伝えられた。田上牧庄各村はその厄を祓うために荒戸山中に小祠を建て、これを「河太郎さん」と称して祭祀した。

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カワタロウ,カワタロウ
1934年 大阪府
河虎の渡で昔、河太郎が住んでいたのを殺したが、怨をなすので、川岸に祀り、祠を河虎宮と名付けた。
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カッパ
1968年 茨城県
河童のために川で死ぬ人が多かったので、村人が何とかして河童を鎮めようと相談した。結果、河童を慰めて水神様を祀り、川施餓鬼を行った。この水神様が河童塚である。
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ドクジャ
1976年 静岡県
桜村に池の社という方5町程の2つの池がある。毎年8月彼岸の中の午の刻に半切り桶に赤飯を盛って水泳が達者なものが池の半ばまで押し行き池の真中で手放す。池の水が渦巻いて桶は水中に沈む。伝えによると昔、国主が入国した頃、妾とこの池辺りに遊興した。すると俄かに池に波が立ち妾が池に引き込まれてしまった。国主は怒って池に焼いた石を投げ入れさせ続けた。7日7夜続けたところ毒蛇が死んで浮かんできた。頭は牛のようで、背に黒い鱗があり、白い角が生えていた。また肥後の阿闍梨皇円の霊魂がこの池に入ったとも言われる。
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ウナギ
1984年 愛知県
大うなぎが旅人を食ったりして付近の人たちを悩ませていた。坂上田村麻呂がうなぎを退治するも、その池の水を飲んだ人が次々と死んだので、池を埋めて祠を建ててまつった。
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ダイジャ,ヒカリモノ
1983年 秋田県
江戸時代、ある百姓が田を見に行ったところ大蛇がいたので殺して川に捨てた。以来川から光り物が現れ百章を悩ました。祠を建て大蛇を祀るとそれは止んだ。
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カッパ
1957年 新潟県
子供たちが溺死するので、河童の仕業だろうということになり、これを領主の命令で祀ることにした。これが神社で行われる河童祭りであり、それから河童による被害はなくなった。
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ガタロウ
1962年 大阪府
川筋が蛇行するあたりの川底に我太郎(河童)が棲んでおり、子供が泳いでいると水中に引きずり込み、尖った嘴で尻から血をすうと言われていた。我太郎は頭の皿を取ると、とたんに弱くなる。
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ダイジャ
1994年 愛知県
鵜がたくさんいる鵜の山のふもとには大きな池があり、この池の水を抜くと鵜が逃げてしまうので水を無くしたことはなかった。上野間の人が池の水を抜きにいったが、池に大きな大蛇がいたので驚いて帰った。しかし別の人が池のいりを抜き、その人は祟りで病気になって死んだ。以来、いりを抜くときは必ず御神酒を供えるという。
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カッパ
1981年 東京都
大昔、かまの口という所に河童が出て人を引き込み、内臓をえぐって骨と皮ばかりにしていた。そこで村人たちが退治しようとしたが上手くいかず、逆に1人川に引き込まれてしまった。それで誰も近づかなくなったが、河童はお腹がすいたのであちこちに化けて引き込むようになった。けれども、ある人が河童を捕まえて殺し、それからは河童がいなくなった。
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ガットロ
1991年 滋賀県
河童のことをガットロという。祇園前に川にはまるとガットロにつかまり、尻を抜かれて死ぬという。ガットロは祇園さんの使いものだという。
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ヘビ,イケノヌシ
1965年 高知県
赤泊の池の主は夫婦の蛇だった。その池に庄屋が鴨撃ちに行ったとき、下男が小刀を池に落してしまった。小刀は蛇の側に落ちた。その夜庄屋の夢に蛇が出て「小刀を取ってくれ」と頼んだが、庄屋は取りに行かなかった。数日して下男が大月の神社に参ろうとして出かけると、途中で遍路姿の夫婦者に「参る必要がなくなったから帰れ」と追い返された。下男が帰ってみると、庄屋は死んでいた。それから家の者も次々に死んでしまった。庄屋は死に際に「祀ってくれたら村の暮らしを楽にする」と言い残したので、庄屋の墓に祠を作って祀っている。赤泊の池は今では田圃になってしまった。
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カワタロウ
1931年 長野県
昔、赤沼平が池だったころ、道と池の間に大石があった。ここに11、2歳の子供に見える河太郎が住んでいて、人々に害を成していた。参りましょうといって手を引き、池の中に引きずり込むが、強力の者は逃れることができた。あるとき、武士に手を出したがそのまま連れて行かれ、頭の水が乾いて死んだようになった。命を助けてほしければ去れという武士の命令に従い、和田宿裏の池に移ったという。
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カッパ,(ゾクシン)
1988年 福岡県
井戸神のことを水神様と呼ぶ。5月5日はその祭で、「河童さん祭り」と呼ぶ。川や各家の井戸、汲場に篠のついた竹を立てて、藁苞に塩・イリコ・米を包んで下げ、酒を竹筒に入れて祭るという。
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ヤエモンサマ
1979年 静岡県
昔、泥棒がいた。村人に追われて、天竜川まで追いつめられて村人たちに川に突き落とされて死んだ。ところがその後、祟るようになったので、ヤエモン様として公民館の前のところに祀ったという。
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ダイイトクシン
1936年 秋田県
昔、玉川には鮭が多くいた。あるとき、大威徳神社の河原で鮭網を下ろしていると、赤い着物の子どもがアケビ蔓で酒を背負って逃げて行ってしまった。それから玉川には鮭がこなくなった。その子供は実は大威徳神であったという。
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エンコ,カワコ
1953年 山口県
佐波川ダムに水没した大原部落では、涅槃会の日に「ねはんまゝたく」という民俗行事を行った。そこでは水神を祀るともいい、この水神の本体は河童で、里では猿猴、またはかわこともいっていた。この河童は冬には猿となって山にいて、春から夏にかけては水に入るという。
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ヤマンバ
1981年 静岡県
倉木山の山姥が福沢の子守りの子を食べてしまったので、焼石を食わせて退治した。山姥は苦しみ、天竜川に入って死んだ。祟ってはいけないと、浅間山に小さな社を建てて祀った。
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ダイジャ
1990年 福島県
鹿島神社の「お池」には枝振りのいい柳があり、その水は神の水とされていた。あるとき、邪悪な人がお池で汚れた服を洗ったら、柳に大蛇が現れた。その年は災難や病気で村が全滅するかと思われるくらい人が死んだ。それ以来、汚い格好の時にはお池をさけるほど敬っている。
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ヤシャオニ
1919年 秋田県
宝亀元年4に保呂波山から夜叉鬼がきて女米鬼山に住み、里人の娘を奪い妻として、大瀧丸を生んだ。略奪を繰り返すので村民は恐れて古種沢鏡池より保量大権現を勧請し、その難を逃れようとした。現在由里群大正寺村、河辺郡女米鬼村、男鹿半島の一部に伝わる「悪魔払い」あるいは「ナモミハギ」の行事は、その難を忘無いために始まったのではないか。
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ダイロクテンダイマワウ,アクロワウ
1949年 福島県
昔、この地に大六天大魔王(悪路王)と呼ばれる東夷の巨魁がいた。天足別命が東下したとき、その勢力に押され、降伏と見せかけ大川(真野川)の中州にある稚児沼に天足別命をおびきだし、四方から火をかけて殺そうとした。このとき、どこからともなく多くの鹿が現れ、口にくわえた笹の葉を大川の水に浸してきてはその火を消し、天足別命を助けた。大同2年に天足別命を祀る鹿島御子神社が建った。
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