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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

オクリスズメ
1937年 不明
夜、提灯を持って歩くと、チ、チ、チ、と送雀の鳴き声がきこえるが、その姿を見た人はいない。兎だともいう。又、あおじだという人もいるが、鳥ではないらしい。

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ノツゴ
1983年 愛媛県
ノツゴに「草履をくれ」と言って追いかけてくると足が重くなって歩けなくなる。その時は草鞋のチか草履の鼻緒を切ってやると動くようになる。
類似事例

オクリスズメ,オオカミ
1948年 和歌山県
送り雀は夜に山道を歩いているとチンチンと鳴きながらあとをつけてくるが、誰も姿を見たことはない。送り雀がついてくると、狼も一緒についてくるといわれている。
類似事例

トリ
1982年 鹿児島県
ガラッパは雀より少し大きい鳥である。
類似事例

ウサギ
1976年 鹿児島県
隅州桜島の人は、夢で兎を見ると病気になる。兎を御耳長様といい、神として恐れている。
類似事例

オクリスズメ
1987年 奈良県
夜雀というのがいた。夜に、ちっち、ちっちと鳴き、ついて来た。それが送り雀だということを聞いたことがある。
類似事例

ウサギ
1941年 岐阜県
山の兎を捕まえてどんな厳重な箱に入れても、月の光を見たら姿を消すという。ある夜、大勢の人と一緒にいた話者が捕まえた兎を箱に入れてみた。案の定、翌日箱を開けてみたら兎がいなかったという。他の動物に関しても同類の話がある。
類似事例

ウサギノガイヲフセグマジナイ
1940年 島根県
兎に荒らされる山畑などに、「狐が食たいふて兎がいふた」と書いた紙を包んで立て札を置いておくと、それを狐が見て腹を立てて兎を食べてしまうので、以後兎の害がなくなるという。
類似事例

カラスナキ
1996年 神奈川県
人が死ぬ前には、鳥の鳴き声がヘラヘラと笑うように聞こえる。また、鳥が騒いでいる朝には怪我に気をつけると言う。森で変わったことがあるときにも鳥鳴きが悪い。
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オクリスズメ
1939年 和歌山県
紀伊の山奥では、提灯の火に送り雀がついてくる。恐ろしい声ではなく、ち、ち、という小さい声である。正体を見たものはいない。
類似事例

トリ
1964年 福島県
ひんひょうんとなく鳥を見ると死ぬといわれているが、見た人はいない。
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キツネ,ヒノタマ
1976年 山形県
夜遅く歩いていると狐に化かされる。夜道を歩いていたら、狐が現れて逃げていった。少し歩いていたら、提灯のような火の玉が現れた。驚いて逃げ、それからは村の人たちは夜遅く歩かないようになった。
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キツネツキ
1971年 福島県
狐憑きになった人が夜に歩いていた。
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ハヤシモノノオト,テング
1919年
信洛坂で毎年囃物の音がきこえた。笛や鼓など4・5人で老人の声も1人混じっている。その音は産土の森の中からきこえた。おそらく天狗の所業であろう。
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オクリスズメ,ヨスズメ
1938年 和歌山県
オクリスズメは夜の山道でちちちちと啼きながら後先を飛ぶ小鳥であるといわれているが、夜に飛ぶので鳥ではない。送雀が鳴くと送狼がついているしらせだといわれる。南宇和郡では、ヨスズメという一種の蛾がいるが、これは犬のさきぶれであるといわれている。
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ライノトリ
1975年 石川県
白山にらいの鳥という鳥がいる。見る人は稀であり、見ることができると奇瑞であるとされる。この鳥はよく火災を避けるという。
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(ゾクシン),カラス
1933年 栃木県
カラスの鳴き声が悪いと人が死ぬという。
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キツネ
1929年 長野県
祭りの帰りに女3,4人で提灯を持たずに夜道を歩いていると、道がわからなくなってきた。底へ提灯を持った男が通りかかったのでついていったが、夜明けまで原の中をうろついた。狐に騙されたのである。
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ウジガミ 
1977年 秋田県
氏神を祭る家では二足四足を食べない。牛などの動物を自宅で煮たりすることはないが、鳥や兎は問題がない。
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キツネノヨメイリ
1983年 千葉県
夜、さびしい道を歩いていると、向こうの方に灯が列を作って見えることを狐の嫁入りといって、狐が嫁入り行列のために提灯を持って歩いているんだといった。狐のよだれを木につけて、夜に遠くから見ると光るのでこれをいったのだろう。
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ヒトダマ
1974年 大分県
「人魂」という名の鳥がおり、この鳥が鳴くと人が死ぬという。鳥の正体は定かではない。
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スズメ,カワセミ
1973年 沖縄県
雀とカワセミは兄弟で、共に首里へ方向に行っていた。雀は親孝行であったが、カワセミはそうではなかった。ある日親が危篤になり、雀は仕事着のまま実家に帰ったがキツツキはめかし込んでいたので臨終に間に合わなかった。その為、雀はボロを着ているが米倉の横で米を食べ、キツツキは美しい着物を着つつも川の畔で泣いているのである。
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