ウマ 2001年 愛知県 足助八幡の絵馬の馬が田畑を荒らしたので、手綱を描き添え、鉄砲で撃ち殺した。
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ネコ 1973年 鳥井丹波守の家令・高須源兵衛の家には長年飼っていた猫がいたが、ある時ふと姿を消した。その頃から源兵衛の老母が人に会うのを嫌い、猫のように食事をした。これは猫が化けたかと思った源兵衛は、雁股の矢を母に撃った。すると母は庭に出て倒れたが、姿は母のままだった。しかし一日経ったら飼っていた猫の姿に変わった。そして母の部屋の床下から、その骨が出てきたという。
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リョウマ 1987年 山形県 龍馬山には龍馬がいた。龍馬は頭が龍で体が馬の生き物で、60年に1度姿を現した。新庄の戸沢公が「そんな生き物がいるはずがない」と言って見に来たら姿を現したので、鉄砲で撃った。それから龍馬は出なくなったという。
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〔ミサキサマ〕,イヌ 1963年 岡山県 小西の山の上に大きな犬がいて女に憑くので困ったので、相談して鉄砲で撃ち殺した。ところがそれから不幸が続いたため、ホウジャに見てもらうと犬が祟っていると言われたので、御崎様として祀った。
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オオカミ(ヤマイヌ) 1940年 石川県 馬が山犬に食い殺されることがあった。これで安心して馬を表に出しておけないということで、玉無し鉄砲としてある男を招請した。その結果、首尾よく狼を驚かせることに成功した。
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アオサギ 1980年 ある人の庭の木に、夜に入ってひかり物がたたずんでいた。その人が鉄砲で撃ったところ、それは鵁鶄(あおさぎ)だったという。
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コギツネトショウベエ 1956年 宮城県 昔、あるところに正兵衛という鉄砲ぶち(打ち)がいて、つる橋の上でつるにからまって動けなくなっている小狐を助けた。正兵衛が家に帰って菜っぱ汁をたいていると、鍋がさっぱり煮立たないので開けてみると小判がいっぱい入っていた。そこへ来て、わけを正兵衛から聞いた慾兵衛は、「その狐、腹の中いっぱい小判だべ」と出かけ、小狐を打ち、腹を割くと小判がいっぱい出てきた。しかし家に帰って見るとそれはすべて馬の糞だった。正兵衛は、今回の件で殺生は悪いことだと後悔して百姓となったが、その田も畠も上作で、だんだん金持ちになった。一方慾兵衛はその後猟もなくなって貧乏になり、夜逃げしたという。
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オオガネ 1972年 鹿児島県 慶応年間の6月の梅雨時、安山家の屋敷の前の道路とヤマンカン馬場の接する三叉路で安山松之丞等が甲羅の大きさが畳の半分ほどの毛が生えた蟹に遭遇し、これに刀で切りつけた。蟹の甲羅は固く刀の刃が折れたが、もう一本の刀で目を切りつけるとこれを切り落とすことができた。蟹は退散し、血痕は海まで続いていた。昭和六年ごろまでこの目玉は保管されていた。また、梅雨前になるとヤマンカン馬場の南方道路のほうからウーンウーンと正体不明のうめく声が聞こえてくることがある。
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ケモノ 1980年 静岡県 遠州見付の天神さまに、人身御供の風習があった。通りかかった六部がお告げを聞いて、お告げ通りしっぺい太郎という犬を娘の代わりに箱に入れて連れて行く。しっぺい太郎は娘を食べようとやってきた獣をやっつけるものの、傷を追って、観音山まで来たところで息を引き取ってしまった。あるいは、観音山まで来たところで、しっぺい太郎は六部と大木の下で眠っていた。すると突然しっぺい太郎が吠えだし、六部に飛びかかろうとしたので、六部は鉄砲で撃ち殺してしまった。しかし、しっぺい太郎は木の上の大蛇に飛びかかろうとしていただけであったとも言う。
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リョウマ 1987年 山形県 龍馬山には白馬の龍馬がいて、60年に1度姿を現した。新庄の殿様が鉄砲で撃ち、それから龍馬は出なくなった。杉沢集落に行く途中の山に、龍馬の蹄の跡のついた岩がある。
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キツネ 1933年 長野県 ある侍がまだ夜のうちに猟に出かけた。すると美しい女が現れた。狐の仕業だと思い鉄砲で撃つと、女は銃弾を手のひらの上で転がした。侍は夢中で逃げて家に帰った。
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テング 1983年 岡山県 山伏屋敷に山伏が住んでいた頃、西隣の佐々木昇氏宅(屋号ヤノモト)の方に向かって弓矢を打っていたという。また山手地区の北の方の山頂に石の祠があり、天狗様を祭っているが、この天狗様も山伏屋敷と関係がある。
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キツネ,ヤカン 1974年 大阪府 難波の野外に的人という野業仕がおり、裸で腹を出して腹に鉄砲を撃たせるが、誰も当てる事ができなかった。ある日砲術指南の先生一行が通り過ぎた際に、弟子らが師匠に的人を当ててくれと懇願する。師匠は見事に命中させて的人は死んだ。弟子はその奥義を聞いたが、師匠はこの的人は狐を使役する者で、狐は彼の衣服に紛れて幻覚を見せていたのだという。だから自分はその衣服を撃ったという。翌日弾が当たった老狐が見つかったらしい。
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カイチョウ,テング 1920年 兵庫県 鉄砲名人の藤太郎は、領主に賜った金銀の弾丸で怪鳥をうった後、謎の病にかかり有馬温泉へ入湯した。隣の部屋の足の悪い客人と四方山話の最中、藤太郎が鳥のことを話すと、客人は怪鳥へ変わった後大天狗になって睨みつけた。数日を経ず藤太郎は死んでしまった。
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ヤマジョロウ 1922年 徳島県 漆日浦の猟師が片川谷の奥地で髪が長く雪よりも白い肌の容姿端麗な美人に逢った。妖怪だと思った男が鏡を見てねらいをつけ、鉄砲を撃つと命中した。この女は山女郎であろうと噂された。
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ジゾウ,ヒノタマ 2001年 奈良県 ある日、藤助という人が犬を連れて山に猟に入っていた。暗くなって、火の玉のような光が2つ見えた。目の玉みたいな光っているとこを打ったが、鉄砲から火が出て、小屋のところまで来て倒れた。そこへ藤助地蔵が建てたられた。昭和44年、藤助の家を子孫が建て直したとき、藁屋根の土の中から真っ黒けになった火縄銃が見つかった。
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バケモノ,フルダヌキ 1975年 東京都 兵法の達人が榎坂の借家に住んでいたが、夜になると何者かが現れた。寛永11年正月15日の夜寝床を調え隠れていると、両眼星のようなすさまじい形相のものが現れた。仕留めると古狸だった。その後、騒がしい市中に狸が住むのはおかしい、自作自演だろうと噂が立ち、その人は行方知らずになった。
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ヘビ 1979年 岩手県 附馬牛の某家の話。ある日祖母が近くの観音堂の境内で孫の守をしていると1匹の蛇が現れた。祖母はこれを打ち殺した。その後観音堂に孫を連れて行こうとすると激しく泣き拒むようになった。ミコに占ってもらうと、打ち殺した蛇は観音様の守り本尊であり、絵姿を描いて祀るように言われた。ある時町内でお姿を記した絵を求めて観音堂に納めた所、境内に行く事を拒んでいた子供が1人で観音堂に行くようになった。数年前の話。
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オオキナオバケ 1966年 香川県 庄屋の有馬衛門三郎が夜に村内を見回っていると、山道で大きな化物と出会った。腰の刀に手をかけると鍔の鶏の彫り物が鳴いたので、お化けは朝が来たのかと思って退散した。
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クロギツネ 1931年 北海道 昔、松前家が13代道広公の時、尻内山に黒狐がいるという噂が立ち、殿様がその川で裘を作ろうと、家臣にそれを命じた。狐を撃とうとすると暗闇になったが、原谷伴蔵という家臣が「君命だ」というと黒雲は晴れ、黒狐を撃つことができた。この肉を食べた中津源兵衛はやがて聾になり2、3年で死んだ。その後毎夜狐が現れ「皮を返してくれ」と哀願したが、殿様は皮を返さなかったという。
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