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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

コギツネトショウベエ
1956年 宮城県
昔、あるところに正兵衛という鉄砲ぶち(打ち)がいて、つる橋の上でつるにからまって動けなくなっている小狐を助けた。正兵衛が家に帰って菜っぱ汁をたいていると、鍋がさっぱり煮立たないので開けてみると小判がいっぱい入っていた。そこへ来て、わけを正兵衛から聞いた慾兵衛は、「その狐、腹の中いっぱい小判だべ」と出かけ、小狐を打ち、腹を割くと小判がいっぱい出てきた。しかし家に帰って見るとそれはすべて馬の糞だった。正兵衛は、今回の件で殺生は悪いことだと後悔して百姓となったが、その田も畠も上作で、だんだん金持ちになった。一方慾兵衛はその後猟もなくなって貧乏になり、夜逃げしたという。

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アワモチヲクッタジゾウサマ
1956年 宮城県
昔、正直者の正兵衛と、慾深の慾兵衛が住んでいた。お正月に白い餅をつかれない正兵衛は、粟餅をついて神様に上げた。隣の慾兵衛は金持ちだから、白い餅をついた。正兵衛は川の地蔵様にも餅を上げようと、懐に粟餅を入れて若水を汲む手桶をさげて川を降りてきた。地蔵様に餅をあげようとしたところ、餅がみつからず、地蔵様に必死で謝った。すると地蔵様が「今上から流れてきたのを食べた。おいしかったぞ」という。見れば地蔵様の口のあたりに粉がいっぱいついている。正兵衛はそれはよかったと何度も地蔵様を拝んで帰った。途中手桶が重くなるので家に帰ってあけると大判小判が入っていた。慾兵衛が正兵衛の家に行ってこのことを見て、真似して地蔵様の口に無理矢理白い餅をつっこんで帰ってくると、手桶が糞だの石だのでいっぱいだったという。
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ネズミノモチツキ
1956年 宮城県
正直者だが貧乏な老夫婦がいて、爺は正直正兵衛といった。キノエネの大黒様のお祭が貧乏でできないので、おわびしながら拝んでいると、鼠が庭の角から出てきて「面白いところに連れていってやろう」と爺を連れて行った。細い道を抜けた奥に大御殿があり、そこの大きな旦那鼠が爺に酒を飲ませ、歓迎した。鼠の餅つきが行なわれ、爺はさまざまな餅をご馳走になり、鼠踊りなどを見物し、帰りに大判小判を婆への土産にもらった。その夫婦の隣に住んでいる慾深の慾兵衛老夫婦の婆が、火種をもらいにきたときにこの話を聞き、無理矢理慾兵衛を鼠の穴に突っ込んだ。慾兵衛は今回鼠たちが大判小判をいっぱいひろげたものを全部とろうと、猫の鳴き真似をしたところ、鼠が一斉に逃げ、真っ暗になったので、小判どころではなく命からがら帰ってきたという。
類似事例

バケモノ
1978年 和歌山県
昔、六地蔵の下に小判などの秘宝があり、他の土地からきた人が、その小判を掘り返して盗んだために、そこには化け物が出るという話である。
類似事例

ブツアロン,バケモノ
1943年 新潟県
ぶつあろんが毎日出ていた所がある。皆が避けて通っていたが、間違って通ると案の定現れたので、背中に負ぶって家まで連れてきた。そこで下ろすと、化物となって小判になったという。この森では狐に騙される者も多い。
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(イエノカイイ)
1941年 長野県
釜で飯を炊くと、大判・小判を叩くような音がするので占ってもらうと、家の下に金が埋まっていると言われた。釜の下を掘り起こしてみると、大判・小判が出てきて金持ちになったという。
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トシヨリ,コバン
1984年 長野県
年寄りが時々里に出て米を買って帰って行った。その頃里では、貧しい人の家に小判が差し込んであることがあった。年寄りが来なくなったので見に行くとすでに死んでいた。小判をくれたのがこの年寄りと分かり、人々は祠を建ててぬすっと神様として祀った。
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ビンボウガミ
1991年 大阪府
貧乏に辛抱できなくなって夜逃げしようと支度をしていたら、庭に汚らしいお爺さんがいた。それは貧乏神で、夜逃げするお前についてどこまでも行くと言った。それで夜逃げすることができなくなった。貧乏しても夜逃げしたらいけないということだ。
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クダ
1965年 長野県
娘が国もとに帰る時に、田植の踊りをすると気に入られ、小判をたくさんもらった。母はすぐに亡くなり、後にきた叔母が小判を全部取っていった。叔母は多くのくだを買ったが、家も傾き最後にはつぶれた。
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ミズノセイ
1975年 山形県
けちな長者が実渕川の川底に少しずつ大判小判を埋めて死んだ。何十年か後、月夜に川の中の岩に腰かけて長い黒髪を梳いている娘がいた。大判小判が化けて出たのかと掘ってみたが何事もなく、水の精だということになった。今でも十五夜の月のよい晩には見られる。
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キツネ
1922年 茨城県
治郎兵衛という農夫が山林中で死んだ雉子を見つけ、持ち帰った。夜になって治郎兵衛の家の周りを1匹の狐が鳴きながら何回となく回った。「そんなに欲しくば返してやる」と、治郎兵衛が戸を開けると狐はすでに絶命していた。それから間もなく治郎兵衛の家の前の石橋が破裂し、家は全焼し、治郎兵衛一家は離散した。雉の持ち主は狐で、眷属の大宴会に雉を出す予定だったが、治郎兵衛に取られ、多くの賓客に合わせる顔がなく、帰ることも出来ず治郎兵衛の家の周りを泣き明かしつつ死んだという。
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ロクブ
1949年 群馬県
「樽」の某家は今は立派な家だが、そうなったのは、昔泊まった旅の六部を殺して所持の小判を奪ったからである。
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コエ
1974年 新潟県
爺が火をたいていると「あぶねあぶね」と声がする。声のほうへ行くと土橋まで来たとき、声が一段と大きくなってやんだ。みると土橋の下に大きいかめが今にも落ちそうになっていたので、橋の上に抱き上げると中には大判小判が一杯入っていた。
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キツネ
1976年 宮城県
昭和19年、千葉さんが歩いていると南風が吹き雨がぱらぱら降ってきて、その後からつったつったと足音がする。いつまでもついてくるのでごほんと咳をすると、女の声で放しかけてきた。狐が何人もだまされた場所であったという。
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ヤマウバ
1977年 徳島県
山奥の小屋で木挽がうわばみに出会う。木挽は小判が恐ろしいと言い、うわばみは煙草のヤニだと言う。翌晩山姥が来て浄瑠璃を語る。大笑いした時に用意したヤニを放り込むとうわばみは逃げ出した。翌年、うわばみが復讐に来て、小屋に小判を放り込んで帰った。
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シロイヌノブクロヲカツイダキタナイミナリノオトコノコ
1984年 秋田県
貧しい百姓と大金持ちの農家が並んでいた。ある日、白い布袋を担いだ汚い身なりの男の子が金持ちの奥座敷から出てきて、隣の百姓の家に入って消えてしまった。その後百姓は裕福になり金持ちのほうは貧乏になった。だから見知らぬ子供でも面倒を見てやるものだ。
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エンコ
1983年 愛媛県
孫兵衛という馬使いが海で馬を洗っていると、エンコが出てきて馬を引き入れようとした。馬は山へ逃げて行き、孫兵衛はそのエンコを捕まえて殺そうとすると、エンコが悪さをしないと約束したので命は助けた。
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キツネモチ,ヒトギツネ
1922年 島根県
出雲では狐持は嫁に貰わないという。狐持の家と親類になれば、すぐに狐が憑いてくるとか、狐持の家の床下には多くの狐が住んでいるとか言い、それが人に憑くと気違いになるといって狐持ちの家を嫌っている。
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イトトリウバ
1975年 山形県
村の東山に毎晩火がともり糸車をとっている老婆の姿が見える。老婆めがけて鉄砲を撃ったが効果はなく、火をねらって撃つと止んだ。火のあった辺りには大判小判が散らばっていた。大判小判が世に出たかったためか、狸が集めた金を見せるためだともいう。
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キツネ
1972年 千葉県
狐の嫁取りは花嫁も馬を引く人も馬も花嫁の実家も狐。本当の人間のいるところはジメジメしたところで、馬糞がたくさんある。それを重箱につめて持っていく。狐のぼた餅は馬の糞。狐は何もかも立派に見せるが、すべて化けたもの。
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キツネ
1991年
名前を呼ぶ声がするので雨戸を開けて聞いてみるが誰もいない。これは狐の悪戯だと気付き、放って置くと「うらめしい」と言ってあとは何も言わなくなった。狐を追いかけていた人の家に狐が来ていたので、狐がかたわれを亡くして悲しみ呼んでいたのだろう。
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キツネノヨメトリ
2001年 青森県
酉九兵衛が一人娘のお松を誰かに嫁にやりたいと言っていたところ、狐が嫁に欲しいといってきた。翌日の夜に、狐が人間に化けてやって来てお松を連れて行ったが、朝になって道路端に寝ていたお松を村の人が連れて帰ってきた。化かされていたと知った酉九兵衛が村人に教えてもらった呪文を唱えると、それから狐は来なくなった。
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