国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

(ヘビガタコニナル)
1973年 新潟県
文化9年の6月に、石地町に住む文四郎とその友達3人とともに、近くの賽の河原と呼ばれる海浜で遊んでいたところ、石の六地蔵から大きな蛇が出てきた。撃ち殺そうと追いかけると、蛇は海中には入り逃げたが、結局捕まえて見てみると、7本足の蛸に変化していたという。

類似事例(機械学習検索)

ソウトウノヘビ
1973年 新潟県
文化12年の秋頃、六日町の近く余川村に住む金蔵が、頭が2つある蛇を捕まえた。長さは6寸ほどで全身が黒く、ただ中央は薄黒く、腹は青かった。
類似事例

ヲロチ,ヤマタノオロチ
2001年 青森県
難蔵という法師が常陸国と出羽国に間にある湖に至った際、自ら九頭の蛇へと姿を変えて、湖に住む八頭の蛇と戦った。八頭の蛇は傷を負い、齶田の湖に退いたと伝えられている。
類似事例

ニソクノヘビ
1975年 和歌山県
宝暦5年夏、紀州在田郡湯浅で怪しい蛇が捕らえられた。形は蛇に似て色が黒く、身は肥えていた。長さ6尺3寸、胴回り7寸で、針鼠の毛のような指がついた足が2本生えていた。舌は獣のようであり、尾の先は角のように尖っていた。
類似事例

ヘビ
1933年 岐阜県
小三郎という杣人が大きな岩魚を食べたら、しきりに水を飲むようになった。3日後には腰から下が蛇体になり、さらに3日後には杣小屋のあたりは池になり、小三郎は蛇になって池の主になった。
類似事例

ダイジャ
1932年 新潟県
松崎四郎太夫の倅玉之助が18才のある日、青柳の池で釣りをしていると美女と知り合い、夜な夜な訪れるようになった。四郎太夫はそれを怪しみその跡をつけると、池の辺で姿を消した。これは化生の者だと思い矢で射ると、それは大蛇で腹には子が宿っていた。その赤子は米山の寺に僧にすべく送られたが、16才の時生い立ちを知り、四郎太夫たちを殺して盗賊となった。
類似事例

ヘビ,シュギョク
1974年 東京都
文政9年頃、小石川三百坂に住む高橋千吉という14歳の子供が遊んでいるとき、15匹ほどの蛇が折り重なってわだかまっているのを見つけた。その中には古銭一文があり光っていた。千吉は腕をさしいれてそれを取った。周囲の者が殺せと言うが、仙吉は人に害をなしていないのにどうして殺すのか、と人々をいさめた。これは彼の祖母が蛇がたくさんわだかまっている時はその中に珠玉があり、それを得ると生涯金持ちだといっていたからである。
類似事例

コサブロウイケ,ダイジャ
1942年
昔小三郎という男がいわなという魚を食べたら水が飲みたくてたまらなくなり、泉で水を飲むと足から大蛇になった。泉のあった野原は見る見る池になり、小三郎はその主の大蛇になった。親がきて「小三郎よ」と呼ぶと、大蛇の姿であらわれたので、「もとの姿になってくれ」と頼むともとの小三郎となって池の真ん中に現れた。
類似事例

ヘビ,タコ
1976年 福井県
蛸の中には蛇が化して蛸になったものがいるという。ある人の話に、越前で、大岩にあたって尾が裂けたものがやがて脚になったのを見たという。その人の従僕も、山から小さな蛇がたくさん降りてきて水際で小石にあたって、だんだんと変化して水に入っていったという。
類似事例

ダイジャ
1967年 福島県
沼沢には昔、雌雄の大蛇が住んでおり、霞が窪と呼ばれていた。建久の頃、領主佐原十郎義連はこの地を開き人民の安定を図ろうと、従者を従えこの霞が窪に向かった。すると水が逆行して雷がとどろき、忽然と小山のような怪物が水上に現れた。主従力を合わせ立ち向かったが、乗っていた筏は水中に引き込まれた。しかしまもなく大波が逆立ち、波間に大蛇が横たわり、義連はその上にまたがっていた。義連の兜にはえんぷだこんの観音様をいただいていたので大蛇の腹を割くことができた。
類似事例

(ダイジャ)
1982年 山梨県
正徳6年閏2月9日、甲州八代郡園村の庄屋半右衛門女房28歳がにわかに、長さ9尺4寸の大蛇となった。領主や公儀による検分に及んだ。
類似事例

リョウトウノヘビ
1973年 東京都
文政7年11月24日の7時頃、本所竪川通り町方掛り浚場所で、卯之助という男が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。
類似事例

タコ
2002年 山口県
昔、甚平という漁師が住んでいた。魚を捕ることが巧みで近隣の者は皆知っていた。ある日甚平が岩の近くで魚釣りをしていると、急に船が傾いた。見れば大きな蛸の足が船縁を掴んでいた。甚平はその足を包丁で切って持って帰った。その味を覚えた甚平が翌日も岩へ行ったところ、その日も蛸が現れた。こうした日が5日続き、8本の足が3本にまで減った日に、甚平はこの蛸を捕ってやろうと包丁の代わりに縄を持っていった。それきり甚平は帰らず、主のいない船が夕方に浦へ流れ着いた。村人達はきっと蛸に食われたのだろうと噂した。それ以来その岩を甚平岩と呼ぶようになった。
類似事例

コヘビ,リュウ
1928年 新潟県
大石の中から小蛇が4匹出てきた。ある寺の和尚はそれを殺さず、河へ放してやった。やがてそのときの小蛇が龍となり、今でも山奥には4匹の龍がいるという。
類似事例

ヘビ,メイギョク
1974年 東京都
文政9年の6月25日の昼過ぎ、小石川三百坂の道路上に、蛇が15匹ほど集まり、つるべ縄をわがねたように折り重なっていた。そこに高橋千吉という子供が空間に腕を入れると、中には古銭があった。彼は古老から蛇がこのように集まっている中には名玉があり、それを得ると生涯金持ちだと言われており、それを使用していた。
類似事例

ヘビ
1967年 福島県
昔、釣り好きの殿様が共を連れ太田川の真ん中の大きな石に立って釣りをしていると、川向こうから大きな蛇が現れ殿様を飲もうとした。共の者たちが驚いていると、殿様は懐中から毒薬のようなものを取り出し蛇に振りかけた。すると蛇はみるまに石に化してしまった。今なお川の真ん中にはその石があり、蛇のような形をしているのでこの付近一帯の字名を蛇石といっている。
類似事例

〔オンビョウオオテンバ〕,ネコ
1956年 宮城県
儀八郎の老母おさんがある時から急に敏捷になり生臭物を好むようになった。猫踊りのような踊りを見せることもあった。その頃鶏などが攫われる事件があったので,近所には恐ろしい噂が広がっていた。その頃のある日の夕方,六部が一人浜街道をやってくると杉並木の辺りで突然頭上から怪物が襲い掛かってきた。斬りつけると手応えがあったが,怪物は逃げ去ってしまった。その夜六部が儀八郎の家に宿を乞うと,急病人が出たということで一旦断わられたが納戸の一間を借りることができた。夜更けに隣室の物音で六部が目を醒まし,そっと窺うと子猫たちが遊び戯れており,犬程もある虎猫が後肢で立って行灯の油皿を舐めている。翌朝六部は主人に昨夜来の事情を話し,その夜二人で老女の部屋に飛び込んだ。ようやく怪物を仕留めてみると老母の姿であったが,朝日に照らしてみると骸はやはり古猫であることが判明した。この怪猫は松崎の猫渕に棲んだ古猫で,その死骸を埋めたのが猫石だと言われている。儀八郎はその後六部に金塊を贈り,六部はこれを観音像にした。その後観音像と由来書は儀八郎の子孫の家に届けられ,今も保存されている。
類似事例

ダイジャ
1964年 福島県
茂庭の湖に大蛇が住み、人年貢をとった。建久3年の年に、金を集めて生贄の娘を那須野ヶ原に求めた。妹を売った人は斎藤実良の家臣今野図書で、主君の父の一周忌の追善のために妹・猿姫を売った。実良は不審に思い事情を聞いて大蛇退治に出かけた。9月19日に稲荷様からいただいた白羽の矢で大蛇を退治した。実良はその功により、伊達家の客として茂庭を頂き、移り住んだ。
類似事例

カニ,ダイジャ
1990年 石川県
旱魃の際、田に水を入れてきれたモノに娘をやると言った。すると一人の若者がきて、一夜のうちに水を入れた。若者は輪島川の淵に住む大蛇で、娘を連れて行こうとした。娘の家を7巻巻いて戸口から入ろうとしたが、中に大きな蟹がいて、蛇を九つにはさみ切った。その骸が落ちたところは池になった。頭が落ちたところは親池と呼ばれ、笠原の家に祟りをなした。これを聞いた泰澄大師が法力をで退散させた。
類似事例

(ジュウチョウ)
1981年
正徳4年4月12日、奥州しゆ原山に大きさ10間余り、亀甲で腹は蛇形、首は鳥で耳の長さ4尺8寸、尾の長さ2間2尺、翼があり、足の長さ2間で太さ3尺の獣が現れた。息は火炎のようで鳴き声は雷鳴のようであった。鉄砲10挺で撃ち止めた。見物の男女で毒気にあたり病死するものも出た。この件は江戸へ注進した。
類似事例

オオガニ,ジャシン
1990年 石川県
大蟹の鋏で九つに切断された蛇身の死骸は飛び去った先で九箇所の池になった。頭の部分は惣領村の深見に落ち、親池になった。この池に悪霊が住み着いて笠原家にたたっていたのを、行脚中の泰澄法師が法力で退散させた。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内 ENGLISH