ニワトリ 1976年 愛知県 尾張国の萩原宝光寺の僧が、病身を悩んで川に入水した。その屍がどこにあるのかわからなくなった。ある人が聞いたことがある方法があると、鶏を舟に乗せ水上を漕ぎ回り、鶏が鳴いた所で屍を見つけた。
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オオドロドジョウ 1939年 新潟県 情深い男が、川で大泥鰌を釣って驚いてすぐに墓を立てたが、その夜に美しい娘が現れ、今日は成仏ができてうれしかったと礼を言った。この男は長生きしたと言う。
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オシャカサマ 1982年 神奈川県 関東大震災の時、お釈迦様が土砂に埋まってしまった。元あった場所を掘ってみると、トタン板がお釈迦様を守るように被さっていて、元のままの無事な姿で立っていたという。
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フナトノモリミシマシン 1964年 愛媛県 もともと上流の小屋さんの所にあった神体が、洪水で惣川に流れつき、石の上に止まった。ところが、小屋の者がそれを持って帰ろうとしたら、重くてどうにも動かなくなっていたという。
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セキガミミョウジン 1956年 宮城県 村の用水堰が大水の度に決壊するので、相談の結果、人柱を立てるとその患がなくなった。のちに大出水があって堤が切れた時、1体の人骨が岸に打ち寄せられた。故老が往年の人柱の骨だというので、その場所に葬り、上に社を建てて霊を祀った。
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タタリ,キダン,キカイ,ヤマノカミ 1974年 京都府 文政11年、鳥辺野の地蔵山から土砂を採っていたところ、山の神といわれる所まで掘り進めてしまった。大きな壺に掘り当たり、怪しいと思ったけれども、周りや底のほうへ掘り進めた。すると突然土中が鳴動して、壺がすり落ちる音に驚いて人足が死んでしまった。そして世話人の数人もことごとく大病にかかり死んでしまった。老尼の祈禱者に頼み神おろしをしてもらうと、絶入の形になり、幣を持たせると居直って、にらみつけて、自分は明智の一類であり、山に葬られ、山の神と言われていたが、理不尽な振る舞いの鬱憤が晴れないと言う。後も地蔵を穴に納めて供養したり読経をしたりしたが死人が出た。
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レイカイ 1976年 新潟県 越後国の弘智は密僧が死んでからも化けなかったものである。だから空海のように死後も体が朽ちず、髪や爪が伸びるものは尊ぶに値しない。
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ブツゾウ,ユメ 1941年 朝鮮 黄海道信川郡の九月山の中腹にある寺には、銅の仏像があった。ある夜僧は仏像が盗まれ山頂で溶かされる夢を見た。起きてすぐ仏殿に行くと、そこには大蛇がいて仏像は無くなっていた。急いで山頂にいくと仏像を溶かしているところであり、僧は飛びかかって仏像を取り返した。寺に戻ったが大蛇はおらず、仏像は股の所が溶かされていた。この仏像は今も安置されていて、股には土が塗られている。
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ジゾウソン 1922年 静岡県 明應9年の春、漁夫達が引き上げた網に3尺ほどの地蔵がかかり、それを寺に安置した。大井川が増水したときにこの地蔵に祈願すると川の彼方から僧が現れ、水が一時に減った。この僧は地蔵の化身であった。
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ギョウジャ 1973年 長野県 文化14年秋頃、大きな槻(けやき)が突然倒れその穴から石櫃が出てきた。中から鈴鐸の音と読経の声が聞こえてきた。150年程前に生きながら土定した行者だろうということだった。冬頃まで参詣群集が続いた。
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イシガミジンジャノイシ 1977年 神奈川県 石神社の境内にある堅石は、もともと由比ガ浜の沖に沈んでいたものである。この浜では毎年溺死する者が跡をたたなかったが、寛政3年9月のある夜に海面が光り輝いたので、村人がこの石を引き上げ、石上神社に祭ったのだ。以来、ここで溺死する者がなくなったのだと言われている。
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カメ,ダイカイリュウオオカミ,ダイカイリュウダイジン 1995年 愛知県 明治42年9月10日に身長約6尺、幅3尺7寸、重さ13貫という大きな亀が瀕死の状態で小佐の浜に上がった。その亀は事前に浄土寺の亀岳鶴翁和尚の夢に白髪の老人となって現われ、自分を神に祀れば諸願成就を約束すると言っていた。和尚はこの亀の死後大龍神大菩薩として寺のケヤキの根元に埋葬し供養した。またこの亀の背には奉大海龍大神という文字と共に伊賀上野町の谷村佐助ら一族の名が書かれていたが、これは病気平癒を願った佐助が伊勢神宮に祈願したところこの亀がやはり白髪の老人の姿で夢に現れ大海龍大神を名乗り、のちに亀の姿で現れ病を平癒せしめた際にこれを喜んでその背に書いて海に逃がしたものであるということだった。のち、この神に祈願すれば生活に関することで叶わないことはなかったという。
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ダイニチニョライ 2001年 新潟県 城が尾という所に難攻不落の城があった。上杉景勝がこの城を落とすとき、猿八の人が野田からであれば城へすぐ行けると教えた。城が尾を落とし、 シンラク寺の仏様を焼いたが、焦げただけだった。川へ流しても流れずに、川を上った。のちに慈宣というお坊さんが飯持神社に納めた。
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クビヅカ 1956年 宮城県 寛文頃(1661~1673),津谷東禅寺住職木陽和尚は学徳が高く尊敬されていたが,無実の罪で訴えられ打首に処せられる。和尚は村の方を睨んで,「もし罪名の如く破戒の罪があれば我が首は地に落ちるが,無実なら首は飛び上がるだろう」と言い残した。刎ねられた首は何処ともなく飛んでいき,その後村に怪異が続いた。食事中血塗れの腕がぶら下がってきたり,夜更けに怪しい呻き声が聞こえたり,針仕事をしている女が後ろ髪を掴まれて引き倒されたりした。1,2年後,日山という托鉢僧が秋の夕方野路を通ると,後ろから自分の名を呼び止める声が聞こえるが姿が見えない。よく見ると一人の僧形の姿があり,「自分は無実の罪によって刑死したが,供養する者もなく,妄執で浮かばれず迷っている。供養してもらいたい」と頼んだ。翌朝その辺りの草叢を調べると,石に噛り付いたままの骸首が見つかった。日山が懇ろに弔ってやると,その後村の怪異は絶えた。村人達も供養碑を建てて厚く祀り,参詣者が絶えなかった。
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セキヒ 1976年 静岡県 遠江で、地引網に魚の獲物はかからず、代わりに一つの石碑がかかった。洗うと豊島氏の古い印があり、網を引かせていた水野氏のもとに持ち帰ったものの、様々な怪事が起こるので、豊島家に送り安置することになった。不測(ふしぎ)の事なので豊島氏開基の寺の住僧に子細を尋ねたが、相違ないという。
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コイ 1971年 岐阜県 愛知県の小原村の寺の小僧で、コイ釣りが好きな者がいた。毎日コイ釣りに行っていたが、ある日大水に流された。村人が探して引き上げてやると、大きなコイになってしまっていた。コイになった小僧を埋めた畑が今でも残っているという。
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セッカン 1976年 京都府 寛政のはじめ、清水外六坊の修理をしようと前の道を掘ったところ、石棺のようなものが発掘された。すると、それを掘り出した者をはじめ、掘ることを計画した人も暴病に罹り死んでいった。『源平盛衰記』にある怪獣一竹を埋めた塚がこの辺りであるから、きっとこれであるだろうと、石棺に土を盛り上げ小さな社を造った。平清盛が命に従い捕らえた南殿の鵺を埋めた塚ではないだろうか。
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タツ 1974年 宮城県 人が死んだとき、タツというものが死者をまきあげてしまった。どこの偉い和尚に頼んでもダメだったが、ある貧乏寺の和尚が知恵のある人で、拝んだら棺が落ちてきたという。
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オニ 2004年 徳島県 法然が四国に流された時の話。兵庫の浦で,一行の舟が大波に遇う。どこからともなく赤白の二鬼が姿を現し,上人はこれを教化する。しばらくして,上人の所に二鬼が父母を伴って再び姿を見せ,教えを乞う。上人が十念と仏画を与えると,鬼の親子は山中の断崖から捨身往生を遂げた。上人は遺骨を取り集め,阿波に鬼骨寺を建立して菩提を弔った。
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トビカンノン 1984年 長野県 寺に落人が逃げ込んでいると言う噂が立ち、織田信長軍がその寺に火をつけた。数日して、村人が川の滝壷近くにあるこの寺の仏像を見つけた。火が熱いので御本尊が自ら川に飛び込んだと言われるようになった。
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