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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

セキガミミョウジン
1956年 宮城県
村の用水堰が大水の度に決壊するので、相談の結果、人柱を立てるとその患がなくなった。のちに大出水があって堤が切れた時、1体の人骨が岸に打ち寄せられた。故老が往年の人柱の骨だというので、その場所に葬り、上に社を建てて霊を祀った。

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オナコジキ,ヒトバシラ,ウメ
1928年 千葉県
堰の堤がしばしば決壊するので、人柱をたてることになった。村人が堤で生梅を食べるおな乞食を見つけ、それを捕らえて人柱として埋めた。以来、堤が決壊することはなかった。そこから生えた梅の木の実は果肉が削げ落ちていて、食いかけの梅と言われた。
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オコウジゾウ
1993年 高知県
堰がたびたび切れるので、人柱を入れることになった。人柱は横継ぎをした着物を着た者にすることに庄屋が決めた。ところが、庄屋の娘のおこうが横継ぎの着物を着ていた。それで約束通りおこうは人柱になった。その後、おこう地蔵を作り、今も旧暦の七夕に祭っている。
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ヒトバシラ
1928年 長崎県
堤防工事を成功させるため、村の中から人柱を立てることになり、ある男が人柱に決まった。娘は嘆き悲しんだが、自分の父が人柱に立つ刹那、盲目であったはずの目に光が戻り、父の最期を見届けることができた。
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カタメノヘビ
1949年 福井県
天守閣を建てる際に人柱になった片目の男は、「この怨みは必ず晴らしてやる」と言って人柱になった。この男の執念は蛇になった。お城の蛇は片目である。
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ナラズノカネ
1940年 香川県
非常を伝えるための村の鐘は、音色が非常に悪く、遠くにいるとまったく聞えない。そこで改鋳することになったが、ついうっかりと子供の人柱を立てて鋳直すことを提案した男がいた。「人柱は言い出しが立つ」というのが習しであったため、その男の子供が人柱として犠牲になった。この鐘の音を聞いた村の子供たちは一斉に泣き出したので、鐘は埋められてしまった。
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ヒトバシラ
1937年 京都府
宇津根橋を溯ったところにある水堰は、昔は築造のとき必ず人柱を立てたが、今日では人形を用いる。
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カワジョロウ
1973年 香川県
川女郎は、大水が出て堤が切れそうになると、家が流れるわと、人がそうするように泣く。
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カワジョロウ
1939年 香川県
河女郎というのがいて、大水が出ると堤が切れるので、「家が流れる」と人のように泣くという。
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リュウガイケ,ヒトバシラ,オリュウ
1973年 三重県
昔、台風のたびに田が流れたので、堤防に人柱を埋めることになった。そして一番初めに弁当を持ってきた女性を埋めることにした。庄屋の女のお竜が人柱になり、それから堤防が切れなくなった。それから竜が池という名がついた。下を通るときに「お竜」と呼ぶと、「おう」と答える声がすると言われていて、恐れられている。
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ヒトバシラ
1933年 広島県
昔、水利が悪くて百姓は苦心していたが、堤防をつくり、貯水池を築いた。この堤防が毎年崩れるので、人柱をたてることになった。カネ、クニの姉妹が人柱になった。
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オロチ
1972年 千葉県
丸山の堰には弁天様が祀ってある。これは堰の主である大蛇が暴れないために祀ってある。
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ヒトバシラ,レイ,カネノオト
1992年 岐阜県
天正13年、秀吉が築城した大垣の天守には人柱に旅の六部が生きたまま塗り込められた。その霊が篭っているので、真夜中の丑三つ時に「チーン、チリン」と鉦の音が聞えてきたという。また、天守台の基礎工事の折に旅の山伏が埋められたとも。かつて天守閣には人柱の持っていた金剛杖があった。
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ウオウノビョウ,(ツツミヲマモルマツリ)
1976年 静岡県
伊豆の水を駿河へ送る千貫樋の堤は、年々損ずる事があった。そこで、田中丘隅がこの堤を修復し、堤の上に水を治める聖人である禹王の廟を建て、年に2度祭をさせた。祭では、近郷近在の老若男女に小石を取らせ、堤の上で踊らせた。すると、堤は大きく堅固になり、崩れることがなくなったという。
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オトモレツトイウチイサナタ,ヒトバシラ
1970年 山梨県
オトモレツという小さな田は、転々と持ち主が変わる。人柱のたったところだといい、作った家では必ず葬式が出る。
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ガランサー
1967年 熊本県
水田の中に竜宮社があり、人々はガランサー(ガラン様)と呼んでいる。その辺りは元々海で、干拓する際に人柱として19の女性を埋めた。その人を祀ったのがこの神社である。元は狐がいて恐ろしいところだったと言う。
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リュウガイケ,(ヒトバシラ),オリュウ
1973年 三重県
どうしても堤が切れてしょうがなかった。そこで皆でその堤に行き、最初に弁当を持ってきたものを生き埋めにしようということになった。お龍という女中が弁当を持ってきたので、生き埋めにして生き柱にした。それ以後、堤は切れなくなったという。
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カワジョロ
1939年 香川県
大水が出て堤が切れそうになると、カハジョロ(川女郎)が「家が流れるわ」と人が泣くように泣く。
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オトモレツダ
1954年 山梨県
オトモレツ田は人柱が入っているといい、持ち主が転々と変わった。この田を耕すとおとむらいがあるといわれていた。
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タタリ
1991年 神奈川県
延宝年間、溺死した瞽女のたたりで、溺死者が多くあった。そこで水難除供養塔が立てられた。弘化2年に流れ者の侍が人柱になったが、侍の霊が埋葬された墓地からは川の土手が見えないので土手番ができないというので、今の場所に墓場を移した。
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ヒトバシラ,タタリ,ミコ
1915年 宮城県
昔、堰を作ったとき、工事が難航した。困った村民は、古例に倣い、巫女を人柱にして工事を成就した。その後村民は疾病に苦しめられたので、これを巫女の祟りと考え、巫女御前神社を建立して神に祀った。
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ベンテンジマノヌシ,ヘビ
1972年 千葉県
堰の弁天様には主がいて、蛇である。雨を降らせる神様で、他の堰が涸れても弁天様の堰だけは涸れたことがないという。
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