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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

レイム
1974年 岐阜県
濃州海西郡小深井村で、寛文6年8月15日、寛文7年正月15日、同年8月13日の3回にわたって、ある道心者の夢に阿弥陀が現れ、道心者の功徳を認め往生を告げた。予定の日に多くの道俗が読経する中、安座の姿で臨終した。

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アミダブツ,オニ
2002年 大分県
豊後の国高田の水川というところの男が、中風になり、足も萎えてきて大小便も居ながらにするようになり、誰も寄り付かなくなった。3年になった時、夢に鬼が2人出てきて連れて行こうとするので、阿弥陀仏を一心に念じると阿弥陀仏が光を放ってやって来た。さらに念じると、男の胸に光をさしかけなさった。鬼たちは「この男は高家の者だ」といって失せた。その後この男は立てるようになった。
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イコウ
1974年 大阪府
摂州住吉の快円比丘の上足である如幻律師は、病気のために大坂上尾町義雲軒という庵で保養していた。すると延宝6年11月15日に阿弥陀仏が現れて、明後日に自分の念願が叶うと告げられた。如幻は喜び、周りの人間にそのことを話したところ、異香が部屋に満ちていたという。その後如幻はお告げどおり17日に死んだという。
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(ムコク),アミダニョライ
1980年 大阪府
大坂内本町に住む商人・利倉屋忠兵衛は夢に3度、紀国高野山蓮花谷にある某寺の本尊・阿弥陀如来が、何日に自分の家にやって来るので迎えに来いと告げる。その日に夢で伝えられた道順で忠兵衛が行くと、1人の高野僧と出会う。彼は先の某寺の僧で、夢に本尊が忠兵衛の家に行くと告げたので来たという。2人は奇異なことだと語り合ったという。
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シャリ
1974年 東京都
三縁山増上寺の了学上人は、寛永11年1月15日に念仏を唱えながら臨終を迎えた。彼を荼毘に付した後、その身体はことごとく舎利となり、また手にかけていた水晶の数珠も五色に輝き、舎利になったという。
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イコウ
1974年 徳島県
阿州阿波郡鏡原に住む妙西尼は、父とともにこの地にやってきて乞食念仏を行った。父が死んで2年経った時に自分の死期を悟ったので、西に向かって端座し、念仏を唱えながら臨終した。その時部屋中に異香が立ちこめ近隣にまで漂い、また紫雲がたなびいて五色の花びらが降ってきたという。
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ネンブツ
1974年 徳島県
阿州中郡黒土村に、手ぐり網曳利兵衛という者がいて、平生は狂人のようだが無二の念仏者であった。彼の網には他の者よりも多く魚が入っていた。寛文7年6月15日に、自分は今日往生するので酒を飲もうと言う。周りの者はいつもの狂気かと思ったが、ひとしきり飲んだあと浜に行き、西に向かって念仏を唱えて往生した。以前、自分が往生する時には雷電があると言っていたが、実際その頃大干魃だったのに大雨が降ったという。
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キツネ
1973年 茨城県
下総国飯沼郷で昔、浄土宗弘経寺にいた論議の上手な僧の正体は狐だった。僧は去ると言い、正体を見抜いた僧に何でも望みのものを見せると言った。僧が阿弥陀を見たいと言うので、見せてやるが拝んではならない、拝んだら自分は死んでしまうと言った。実際に阿弥陀来迎の相が現れると僧は思わず拝んでしまった。すると狐は死んでしまった。
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イコウ,シャリ
1974年 滋賀県
寛永19年8月13日、江州彦根の円常寺の実誉上人が臨終の際、仏殿の上に紫雲がたなびき、火葬の後で遺灰から舎利を得たという。
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オイワケニョライ
1956年 宮城県
出羽国寒河江慈恩寺の覚明阿闍梨は、湯殿山の霊夢により弥陀の本尊造像を京の安阿弥快慶に頼む。快慶が精魂を打ち込んだ阿弥陀如来は会心の作で覚明に渡すに忍びず、いまだ出来ずと偽って覚明を帰したが、翌年約束どおりに訪れた覚明に渡すこととなり、名残を惜しみ近江の草津まで見送る。別れるとき笈を開くと、光明がさし一体の阿弥陀像は二体となっており、いずれが本仏とも化仏とも分明せず、二人は一体ずつ負って別れる。よって笈分如来とも身分け如来ともいう。覚明は南北に川が流れ、一本の菩提樹の生えている地を夢に見て、今の地に移した。他の一体は京都市下京区富小路六条角の蓮光寺にある。
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(メイドデシャリヲエル)
1974年 京都府
丹波舟井郡藍田村に住む山田彦七は熱心な念仏者だったが、元禄2年12月1日、 27歳の時に死んでしまうも翌日生き返った。その時に冥途の話を始め、冥途で仏舎利を得たという。確かに左の掌の中に光る仏舎利が一粒あった。ただその翌日に大往生を遂げ、仏舎利もなくなったという。
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タケジョ,シウン,イコウ,ムソウ
1983年
元和寛永の頃、武蔵国比企郡に戒行堅固という、日頃から正身の大日如来を拝みたい僧がいた。そして出羽の羽黒山に登山した時、夢想に江戸にいる佐久間某の召使い竹女を拝せという。そこで江戸に向かうと、佐久間某も同じ夢想があった。そして竹女を拝むと、全身から光明を放っていた。寛永15年3月21日の暁に、屋上に紫雲がたなびき、異香が漂っている中で竹女は大往生を遂げたという。
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イソウ
1982年 福岡県
享保18年春頃、筑紫国天拝山の頂に毎夜火の光が見えるので、太守が怪しんで家臣を見に行かせた。すると1人の僧が五穀豊穣の護摩を修していた。家臣が確認をしに来た事の証拠が欲しいと言うと、僧は梵字に似た字で歌を認め渡した。太守がそれを見て僧を召したので、家臣たちが再び山へ入ると、僧の姿は無く、護摩の跡も無かった。
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イコウ,シロハタ
1974年
証誉念信はある時、夢ともなく覚めるともなく、目の前に4本の白い旗が庵の四方の木にかかり、半時ばかりの間、目を閉じても見えていたという。その時は部屋に異香がただよっていた。
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ムチュウノタクセン,エイタイジマハチマングウ
1974年 東京都
寛永元年頃、長威法印が夢に八正宮を拝んだところ、永代島に鎮座せよという託宣を受け、それ以後たびたび同じような霊夢をみたという。
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タマシイ
1974年 東京都
天和3年5月3日に普段から功徳を積んでいた女が死んだ。翌年3月3日にその女の妹の夢に死んだ女が現れ、後生の安楽を語り光明真言と念仏を唱えるように告げて夢は覚めた。
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ホトケ
1974年 茨城県
修行熱心な法師がいた。丈六阿弥陀を造ると側の障子に阿弥陀の影が現れた。百姓の家で通夜をしていると障子に丈六の尊像が現れた。また法師の左耳から仏像のような舎利が出てきた。
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ゴライゴウサマ,ゴトウミョウ(ゾクシン)
青森県
7月26日の夜、下弦の月が舟の様に平になり、両端が光って見えると、阿弥陀三尊のお姿が現れるという。これを拝もうと、人々は梵珠山の寺に籠もる。
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オンリョウ,アクリョウ
1974年 茨城県
常州松原村である百姓の妻が死に際して、夫に、後妻を迎えないように嘆願した。その後夫が後妻を迎えるとその夜から亡妻の怨霊が現れ夫の首に抱きつき顔をのぞきこむようになった。祐天上人の教えに従って大勢で念仏を唱え成仏させられた。
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レイカン,ユメ,スガワラノカミ
1977年 大阪府
摂州高槻の領民が米を盗んだ為に死罪が確定した日の夜、領主の夢に菅原道真が現れて、領民の母親が社に来て嘆いている。米を盗んだのも母親の為であるから許してやって欲しい。と告げた。翌日その領民を天満宮の庭に引き出し銭を与えて開放した。
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ジョウギニョライ
1956年 宮城県
本尊は、小松内大臣重盛が宋の径山寺仏照禅師に黄金を布施して逆修を営んだとき贈られた阿弥陀如来画像。重盛の遺命により筑後守貞能がこれを奉じ、肥後入道と称して常陸国に隠れ、さらにこの地に永住して平家一族の冥福を祈った。建久9年(1198)7月7日貞能が没するとき、死後墳墓の上に堂を建て、尊像を本尊とせよと遺命したのが起源。仙台地方では、古来、一生一度の願が叶うとされている。
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