フドウミョウオウ,ダイソウジョウ 1928年 千葉県 成田不動尊の不動明王は、弘法大師が自ら彫刻したものであった。平将門の反乱に怒った朱雀天皇は、大僧正に朝敵幸福の祈祷をするようにと命じた。僧正は尊像を持って下総に赴き、護摩をたいて調伏を祈り、将門は降伏した大僧正が帰洛しようとすると、尊像は重くて持ち上げられなくなったうえに、霊夢のお告げもあり、この地に留まった。
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フドウミョウオウ,ダイソウジョウ 1928年 千葉県 成田不動尊の不動明王は、弘法大師が自ら彫刻したものであった。平将門の反乱に怒った朱雀天皇は、大僧正に朝敵幸福の祈祷をするようにと命じた。僧正は尊像を持って下総に赴き、護摩をたいて調伏を祈った。それからすぐに、将門は降伏した。
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フドウソン 1944年 山形県 弘法大師が月山に登ろうとして水垢離をとっていると、水中に不動尊の姿が現われ、抱き上げると1枚の水板であった。
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トビフドウ 1956年 宮城県 弘法大師一刀三礼の作という。昔、堂が焼失したとき、不動はうしろの山の岩窟に飛んで避難したので飛び不動という。そのときの不動の火焔の痕が岩壁にあるといわれ、以後この本尊には光背に火焔をつけないことになった。享保16年(1731)9月7日の大地震に、うしろの山から巨石が落下して堂をつぶしたが、不動を安置した一間だけは根返りした大木がおおいかぶさって倒壊を免れ、村民は奇蹟に驚いたといわれる。
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メグロフドウ 1974年 東京都 慈覚大師が若い頃、師の広智と目黒の里で宿をとった。その夜に不動明王が現れる夢を見た広智が慈覚に言うと、慈覚も同じ夢を見たという。そこで、その姿を霊木で彫り、その地に置いた。その後、慈覚大師が唐から帰朝し、関東へ下向した時目黒の里にやって来た。その夜にも不動明王のお告げがあり、嶺の上に登って独鈷で地面を掘ると霊水がわき出した。この水は炎天にも枯れることなく、長雨でも増える事はなかった。
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ヤクシニョライ 2000年 愛知県 医王寺の薬師如来は行基が作ったものといわれる。昔医王寺に盗賊が押しかけ、薬師如来像や宝物を盗もうとしたことがあった。そのとき1人の坊さんが盗賊の前に立ちはだかり、盗賊たちをなぎ倒し追い払った。この時の坊さんは実は薬師如来が姿を変えたもので、像には盗賊につけられた刀傷が腕に今も残っているという。
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リュウ 1977年 福島県 大雨が降り、社川から竜が昇ったり降りたりして暴れていた。通りかかった坊さまがお経を唱えてやると、コケラ(うろこ)3枚を残して昇天した。そのうろこを収めて作った不動明王が天竜山法泉寺の本尊。
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フドウミョウオウゾウ,ニョライ,ユメ 1932年 東京都 荘厳寺の不動明王像は、将門討伐の際に藤原秀郷が勝利を祈誓し、霊験を示した霊像である。幾多の戦乱を経て様々な武将に奪われ、遂には武蔵国多摩郡の三光院に移されたが、ある夜住職の夢に如来が現れ、霊像を荘厳寺に返すようお告げがあった。調べるとその通りだったので、盛大な法会を営んで返した。
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ヤマトタケルノミコト 1928年 東京都 目黒不動尊は日本武尊を祀っている。慈覚大師巡業の頃からこの村にいる。左に火縄を持ち、右に草薙の剣を持って炎の中に立っている姿は、不動の佛形である。仏像をつくって、神体として祀っている。
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コウホウタイシ 1970年 福島県 昔弘法大師が印度に修行に行った折、木を3本空に向けて、日本に着かせ給えといって投げあげた。それが日本に渡り、阿賀野川をのぼったのを、ある人が拾いあげて床の間に飾った。やがて弘法大師がたずねてきてその木で虚空蔵様を作りあげた。
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クハウメウ,ダイモンジ,コウボウ 1983年 京都府 浄土寺の阿弥陀像があるとき光明を放っていたのを、弘法大師が発見し、未来にこの光明を残し生極楽の縁としようと、光明を大の一字に加持して、方10丈の筆画を峰に残した。その跡に木を積み、火をつけると筆勢鮮やかに天に輝き、青雲に金色の文字を出現させたかのようであったという。
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(エノキミョウ) 1983年 京都府 涅槃図を書いた兆殿司は、書く絵に様々な奇妙が起こった。龍を書けば天に飛び、不動を描けば火焔が燃えた。ある時、龍を描くのに生身を見たいと仏神に祈った所、寺内の池に水が漲り、生身の大龍が目前に出現した。使う絵の具は神感を得て稲荷山より掘り出したが、世にない彩色が多かったという。
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ジカクダイシ,ズイウン,セイリュウ,リュウトウ 1974年 東京都 慈覚大師が東方を行脚していた時に浅草寺でしばし逗留した。ある日白髪の翁がやって来て、東北に霊地があって、私はそこに霊像を安置した。その像は伝教大師が作ったものだと言い終わると姿を消したという。そこで慈覚大師が東北に向かったところ突然瑞雲が立ち、青竜が雲から現れた。庵に入り、仏像を拝んだ。慈覚大師は青竜に対して、ここに寺を造るので加護してほしいと告げる。それを聞いた青竜は姿を消した。その後は時々竜燈の奇瑞が起きるという。
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ダイジャ 1982年 群馬県 弘法大師空海上人が第二の高野山を捜して袈裟丸山に登ったが、千谷は見つからなかった。尾根伝いに歩いてさいの河原まできたとき、白い大蛇が大師を呑もうと襲い掛かってきたので、経文を唱えたら大蛇は去った。大師は夢で川の中に仏像があることを知り、村人とともに捜してお祀りした。そのときの庚申様がある大沢寺は、大蛇と戦ったいわれがあるので山号が竜宝山。
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コウミョウ,メウボク,ミョウジン 1983年 滋賀県 真如堂の本尊は、万人が崇敬し、霊験他に異なる。その由来は、慈覚大師が近江国志賀郡の苗鹿明神に対面し、柏の柱を1本明神より賜った。その木が夜毎に光明を放つので不思議に思い砕いてみると、一片は座像の仏体、もう一片は立像の仏が鮮やかにあった。そこでこの木が妙木と悟り、本尊を作ったという。
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ヒカリモノ,ミダ 1974年 滋賀県 親鸞聖人が近江国を行脚している時、湖水に光物が現れて、漁師が困っていたのを聞き、舟に乗って一心に称名して、光が出るところを袈裟ですくったところ、弥陀の尊像が舟に飛びのったという。
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クルソンザン,コウボウダイシ,コウミョウ 1975年 山口県 弘法大師が長安に行こうとしたとき、船出しようとすると山に光明が見えた。そこで帰って、山を開いたという。
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リュウジョ,ダイジャ,コマヅカ 1976年 兵庫県 康保4年の冬、源満仲が能勢の山で猟をした時、夢に竜女が現れて、礼に竜馬を与えるので川下の大蛇を退治して欲しいと願った。目覚めると1匹の馬が傍にいた。満仲はその馬に乗り大蛇を退治した。満仲の死後も馬は生きていたが、やがて死に、家臣の者が馬を山岳に埋めてその上に堂を建て、駒塚山堂と名付けた。その後文明2年3月18日から毎夜駒塚が発光した。慈光山普明寺の住僧が塚で普門品を誦したら、たちまち雷鳴して馬の頭が出現した。住僧はそれを持ち帰り竜馬神と名付け金堂に納めた。
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アミダニョライ 1983年 後光厳院の時代、西大寺の覚乗上人は天照大神の本地仏である阿弥陀如来の姿を拝もうと、伊勢内外宮に100日参詣し、ようやく夢告を得て二見浦で金龍蛇形の姿を見た。覚乗は袈裟を海に投げいれたが神は見えなかった。するとまた夢告を得て、大平山無量寿寺に自分の姿を彫った阿弥陀三尊像を安置しているといった。実際行ってその像を見ると、覚乗が脱いだ袈裟が架かっていたという。
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コクウゾウソンゾウ 1967年 福島県 虚空蔵堂の尊像は、昔ある僧都が虚空蔵求聞持法を修しようと百日参篭し、5月頃明星が東天に出る時、前川で閼伽水を汲んだら光炎が輝き明星が天堂の内に来影し忽ち虚空蔵尊像として現れたものだという。
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