アミダニョライ 1934年 京都府 如意嶽の山麓に、浄土寺という寺があり、ある時火災になった。本尊の阿弥陀如来が峰頭に飛び上がり、大光明を放った。これ以後、盂蘭盆会の精霊送り火の時、大光明に由来して山上に火をともし、いつしか「大」の文字に改められた。
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クルソンザン,コウボウダイシ,コウミョウ 1975年 山口県 弘法大師が長安に行こうとしたとき、船出しようとすると山に光明が見えた。そこで帰って、山を開いたという。
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アマノジャク 1975年 山形県 弘法大師が最上川のほとりを歩いていると、川上から蕗の葉が流れてきて、その下から光が差していた。杖で葉をかき分けると大日如来の梵字が現れた。次から次へと流れてくる葉が皆そうなので、川上に大日如来がいるに違いないと川を上ると、湯殿山の滝壷で天邪鬼が滝壷に浮かんでくる梵字を隠そうと蕗の葉をかぶせていたので、弘法大師は天邪鬼を仙人岳に封じた。
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コウミョウイシ,アミダサマ,ヒノタマ 1990年 長野県 あみだが原には光明石がある。塩六という人が雨飾山から阿弥陀を背負って光明石まで飛んだとき、阿弥陀様の足跡が石についたという。この阿弥陀様はムラの中央のお堂にあったが、明治23年の火事の時に火の玉になって雨飾山へ帰ったともいう。
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オオキナヘビ,コウボウダイシ 1980年 和歌山県 昔、大きな蛇が出て村の人々を悩ませていた。そこで弘法大師がその蛇を封じこめた。その時、梵字岩の字が消えたらそこから出てきてもよいと、弘法大師が言ったという。
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メジロフドウ 1974年 東京都 豊山新長谷寺の目白不動明王像は弘法大師の作とされるが、弘法大師が荷沢河にいた時、大日如来が現れ、その後不動明王に変わり、自ら手に持った剣を振って、左の手を払うと、火煙がさかんに燃え出た。その尊体を写して作ったという。
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コウホウタイシ 1970年 福島県 昔弘法大師が印度に修行に行った折、木を3本空に向けて、日本に着かせ給えといって投げあげた。それが日本に渡り、阿賀野川をのぼったのを、ある人が拾いあげて床の間に飾った。やがて弘法大師がたずねてきてその木で虚空蔵様を作りあげた。
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(エノキミョウ) 1983年 京都府 涅槃図を書いた兆殿司は、書く絵に様々な奇妙が起こった。龍を書けば天に飛び、不動を描けば火焔が燃えた。ある時、龍を描くのに生身を見たいと仏神に祈った所、寺内の池に水が漲り、生身の大龍が目前に出現した。使う絵の具は神感を得て稲荷山より掘り出したが、世にない彩色が多かったという。
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コウボウダイシ 1975年 神奈川県 大師河原の金剛山平間寺には、弘法大師御作の御影がある。寛永年間にこの御影を、江戸京橋の紀国屋作内という、文字を書けない人が深く信心していた。ある夜、紀国屋の夢に弘法大師が現れ六字名号を教えた。夜が明け、奇特の事と思い平間寺に参ろうとしたら、橋の上で筆を拾い、急に大師風の名号が書けるようになった。しかし名号以外の字は書けなかった。
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(ヒカルヤマ),(カンノンゾウ) 1989年 長野県 円仁という僧侶が上野に行く途中で山が光るのを見た。帰りに寄って霊木を探すと、光る幹があり、大きな木があったので三体仏像を刻んだ。ところが三体目は途中で熱を持ち血が流れ出したので、途中で止めた。かんなくずには法華経を書いて埋めた。彫った観音様は、岩屋堂を作って祀って、帰ってしまったという。
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ダイシノトク,タイマツ 1975年 大阪府 河内国錦部郡天見村で弘法大師が霊場を開くための参詣をしていて、満願の日にこの村へ立ち寄った時、大師が炬火の木を土にさし、歌を詠んだ。すると、その炬火から根が生え、枝葉が年々茂って、ついには樹齢千年の大樹となったという。これは、大師の徳を現しているものだろう。
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ジカクダイシ,ズイウン,セイリュウ,リュウトウ 1974年 東京都 慈覚大師が東方を行脚していた時に浅草寺でしばし逗留した。ある日白髪の翁がやって来て、東北に霊地があって、私はそこに霊像を安置した。その像は伝教大師が作ったものだと言い終わると姿を消したという。そこで慈覚大師が東北に向かったところ突然瑞雲が立ち、青竜が雲から現れた。庵に入り、仏像を拝んだ。慈覚大師は青竜に対して、ここに寺を造るので加護してほしいと告げる。それを聞いた青竜は姿を消した。その後は時々竜燈の奇瑞が起きるという。
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リュウトウ 1989年 石川県 弘法大師が岩動山を越えたとき龍燈が老松にかかり大日如来の尊容が奇雲の間に現れた。よって大師はここに二年とどまり大日尊と聖徳太子二歳の像を安置した。津幡町領家の広済寺である。
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コウボウダイシ,オニ 1930年 岡山県 昔、この辺りに鬼が住んでいた。弘法大師が通りかかったとき、鬼が退去を拒んだ。そこで大師は鬼に小さな木像を与えた。しかし鬼は木像の有難味が分からず、転がしていた。その木像を盗んだ者がおり、船で去ろうとしたが動かず、木像を海に捨てて去った。鬼はこの話を聞いて木像の尊さを知り、海中から拾い上げて祀った。
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テング 1982年 群馬県 弘法大師が霊場を捜して寺を建てる千谷を捜したが、天狗が1谷隠してしまい、大師は落胆して山頂から袈裟を丸めて投げた。そこが袈裟丸山。
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コウポウダイシノカケジク 1971年 茨城県 大開集落のある家には、弘法大師が百沢ある土地を捜して廻ってきたときに投げ筆で描いたというお阿弥陀様の掛軸がある。正月と盆に出して吊るす。湯で体を清めてから出ないと吊るせない。昔、掛軸をお寺に移したことがあったが、家に帰りたいと掛軸が泣いたので、元に戻した。1960年代のこと、東京から来た2人の男に掛軸を見学させたら、手が震え出した。バチがあたったのだという。
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リュウジョ,ダイジャ,コマヅカ 1976年 兵庫県 康保4年の冬、源満仲が能勢の山で猟をした時、夢に竜女が現れて、礼に竜馬を与えるので川下の大蛇を退治して欲しいと願った。目覚めると1匹の馬が傍にいた。満仲はその馬に乗り大蛇を退治した。満仲の死後も馬は生きていたが、やがて死に、家臣の者が馬を山岳に埋めてその上に堂を建て、駒塚山堂と名付けた。その後文明2年3月18日から毎夜駒塚が発光した。慈光山普明寺の住僧が塚で普門品を誦したら、たちまち雷鳴して馬の頭が出現した。住僧はそれを持ち帰り竜馬神と名付け金堂に納めた。
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アミダブツ 2002年 神奈川県 鎌倉のある人に仕える女がいた。いつも南無阿弥陀仏と言っていたが、ある時正月に客人来て祝おうとしているところで、南無阿弥陀仏と言った。主人は怒り、カリマタを焼いて女の顔に焼き印をつけ勘当した。しかし女は事も無く立っていて、顔を見ても先ほどの跡もない。女に「勘当したのになぜいるのか」と問うと、「そんな覚えはない」という。不思議に思い日をすごしていて、ふと持仏堂を見ると、金色の阿弥陀仏の顔にカリマタの火印の型があった。主人はこれを見て出家発心した。
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トビフドウ 1956年 宮城県 弘法大師一刀三礼の作という。昔、堂が焼失したとき、不動はうしろの山の岩窟に飛んで避難したので飛び不動という。そのときの不動の火焔の痕が岩壁にあるといわれ、以後この本尊には光背に火焔をつけないことになった。享保16年(1731)9月7日の大地震に、うしろの山から巨石が落下して堂をつぶしたが、不動を安置した一間だけは根返りした大木がおおいかぶさって倒壊を免れ、村民は奇蹟に驚いたといわれる。
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シャクジョウノウメ 1981年 広島県 弘法大師がはじめて山に登ったときに錫杖を立て置いた。やがてそれから枝葉がはえたのが錫杖の梅。
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