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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

テンペンチカイ
1978年
元禄年中は世の中が穏やかではなかった為、宝永と改元された。しかし天変地怪は続いたので天子は自らの不徳を嘆き、10歳の東宮へ国を譲り、宝永6年より本院御所と称し別に御所を造営し移られた。その後本院御所は奇怪が続き、程なく崩御があったので、御凶殿となり、建物は取り払われ空き地となった。

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テンペンチカイ
1978年
綱吉公は遊興に溺れられ、御料が不足するようになった。そこで保明が勘定奉行より下知を受け、色々な新法を企てたところ、天変地怪が打ち続き、奇雲・異星・光り物が出現し、また上総浦から安房相模に至って著しく海が鳴った。これは世の凶を示すと、護持院が殿中に壇をかざり護摩を修したが、邪鬼虚に乗るの習いか、狐狸が時を得て様々な妖をなした。また、富士の須走口から燃え、大いに鳴動して近国へ砂を降らせた。
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(サイシニヨルヘイアン)
1976年 京都府
安元3年、樋口富小路より出た火は神祇官に及び、御正体が焼失した。その年の11月に、後白河法皇は平清盛によって鳥羽殿へ閉じ込められ、後鳥羽院は佐渡国へ移され、天皇は武家の食客のようになり世が乱れた。元和の頃漸く平穏になったのは、神社を造営し祭祀礼奠を厳重に行って復古したためだ。
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アラヒトガミ,ダイジャ
2000年 京都府
無実の罪で流罪となり、3年になった満行は、もはや赦免はあるまいと嘆き菅相丞のように現人神にならんと榛名の池に身を投げる。すると忽ち大蛇となり都へ飛んでいった。内裏では五月雨の御遊の最中であったが、天にわかにかき曇り、雷がなり、弥生の前・直国を掴んで引き裂き、黒雲が御殿を覆うと帝は病となった。関白に召された横川の僧正が祈祷すると、満行は化身を表し、恨みのほどを述べる。満行を大権現と祀り、五百町の社領に寺領を加え、宮を建立することを約すと、帝は忽ち本復した。
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タタリ
1974年 京都府
日蓮宗に傾いたことで、桂離宮のうしろの天満宮の祠を廃し、三十番神堂を建立したところ、夢に天満宮が現れ、祟りがあるだろうと述べた。驚いて祠を再建し、家名まで変えたが早逝する事が7代目まで続いた。
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リュウオウサン
1983年 香川県
昭和の45年に天尾にあった竜王さんが山岡神社に移された。この竜王さんの旧地の向いに病気がちのお婆さんが住んでいた。ある時、お婆さんに竜王のさんの夢つげがあった。言う通りに御正体を旧地に祀って詣っていたら、病気が治った。
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テング
1974年
天武天皇の御世にも星が東方に落ちたこと、天平7年5月に星が乱れ飛んだこと、宝亀2年に星が西南に落ちたことなどは、火気の仕業を真似て天狗が怪しい様を見せたのであろう。
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(ダイジノタタリ)
1984年 山梨県
大寺の跡を買い取ってヒエなどを作っていたが、夕方に地鳴りがするので怖くていられず、石の宮を祀って祭りをするとおさまった。後年この家の人が移住する時に石の室を移したところ、家族が次々と病気になったので、石の宮を元に戻したらことがおさまった。今でもそれが残っている。
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ヒビヤシンメイ
1974年 東京都
寛弘2年9月16日に、日比谷あたりにおいて御神幣と大牙が降ってきたので、村中の者が怪しんでいたところ、どこから戸もなく7歳ほどの女の子が現れた。その子は眼色が変わり狂いだして口ばしることには、自分は伊勢内外宮の神であり、鹿島の地にいる悪軍を退治した後だという。そしてこの地に自分が来た証拠に2つのしるしを降したので、早速社殿を建てて祀りをせよと命じた。神が抜けると、その女の子もどこかに消えた。
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フドウミョウオウ,テンジン,ハゴロモ
1967年 福島県
三浦左近国清という人が太田村別所に住んでいた。世継ぎが無いことを憂い、馬場村の滝不動に美しい妻が得られるようにと祈願した。すると夢に不動明王が現れ、現世には配すべき女がいないので、五台山の奥の池で天人が水浴びをしてるゆえ、その羽衣を取れと言った。国清はその通り山に登り天人の羽衣を取って家に帰った。やがて天人は気付き、国清の家に行き羽衣を返して欲しいと願ったが返されず、ついには夫婦になった。二男一女をもうけたが、やがて子供たちが大きくなったから別れても立派に育つと言い残し、天女は羽衣を着て天に昇った。国清は悲しんだが、娘はそれにもまして悲しみ、ついには池に身投げして死んだ。中太田に姫塚と呼ぶ塚があるが、この姫を祀ったものといわれる。
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チノカミ
1991年 静岡県
不幸が続いたので御嶽行者にみてもらったら、地の神の向きが悪いといわれ、茶畑から屋敷の北西に移したら不幸はなくなった。
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イセオドリ
1973年
寛永元年の2月上旬から、諸国で伊勢踊が大流行し、泊舟伝馬人夫と号する神を、伊勢太神宮に送ってきた。吉田家に下問すると、鎮座以後、祭礼を怠っていないに、伊勢内宮・外宮の神が飛んでいくはずがない、これは諸民の児戯だ、と答えがあった。将軍家でなお詮議をし、以前に伊勢踊が流行った後に、大坂で兵乱が起き、徳川家康が死んでいるので、これは不吉の予兆であると評定がまとまった。その邪神を野外に送り捨てると、踊に関わっていた人馬の疲弊も止まった。
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テング
1982年 群馬県
天狗が迦葉山に寺の小僧に化けて住み込んだ。ある年の十五夜の晩、その小僧がいい事をして見せると言ってススキの葉の上を飛び、白い馬に乗って行ってしまった。以来迦葉山では天狗を祀る。
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(シンポウガフル)
1977年 京都府
後土御門院の延徳元年3月に、京都の吉田山に太神宮が飛び移ってきたので、本当のご神体である神宝が光を放って降りたと吉田兼倶が密奏し、ここに神明社を建てた。
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イジュウ
1974年 京都府
延宝年間のこと、京の南にある吉祥寺村で、吉祥天女のご開帳があるというので、近隣の村々から六斎念仏を行う者が多く集まった。その彼らが打つ鐘や太鼓の音を恐れたのか、怪獣が出てきて、ある百姓の家の縁の下にかけ入った。それを生け捕りにすると、顔は狸に似て、鼻から額まで黒く、うなじは白い。さらに背は黒く、腹は白く、徳利のような丸い尻をしており、尾はなくて前足はモグラのようで、後ろ足は長く犬のような獣だった。餌は串柿だけ食べたという。
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アクリョウ
1977年 東京都
忍ばずの池の端に住む山名勘十郎の母は生首を見ないと食事が進まず、いつも死骸を側に置いていた。この母がある時乗り物を担がせ乗り込み、山王の西の池辺に降ろさせて下人を帰させた。下人が戻ってみると女はいなかったので家に帰ると、彼女は馬で帰ってきてそのまま忍ばずの池に入った。馬の持ち主がいうには、山王の西の池から女が出て来て馬に乗り、池の主になろうとしたが先に鯉がいてだめだったといった。その後怪異が起きたので、勧学院の了翁僧都が悪霊を鎮めるために島をつくり、弁財天を安置した。鐘楼が地震で倒れて鐘は沈んだ。この霊が鐘を取ったと言われた。一切経を島に安置すると怪しいことも絶えた。
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テング
2000年 大阪府
寛永改元のころ大坂のさる屋敷に「天狗つぶて」が起こった。念仏より他に何も信じない一向宗門徒の住民には何の異変も起こらなかった。
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コリ
1978年
有徳公の御治世に天変地異が続き、上総から相模にかけ海が鳴動した。護持院が殿中に壇を設け護摩を修したところ、狐狸が時を得て様々な怪異をなしていた事がわかった。
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カイイ
1974年
延享二年、中山大納言栄親卿の家で、朝から晩まで調度品が動いたり陶器が飛んだりした。祈祷したが効果なく、秋には大納言が急死した。後に怪異は毘沙門堂里坊に移り、三月、雛人形を飾っていると人形が笑った。
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キツネ,トビサカイナリ
1922年 東京都
東京のある氏族が、小間使いを雇い、ある日使いに出したところ帰ってこなくなったので探すと、富坂稲荷の祠の前で踞っていた。狐に憑かれ顔つきも変わり、大食いになり、正気を失った。主家では小間使いを家に返したが、今度は主家の妻が狐に憑かれ、以前の小間使いのようになった。場所が悪いのかと転居したが、今度は長女が狐憑きとなった。家は没落し、次女は大変な苦労をした。二人の狐憑きは白昼提灯を下げて歩く等の奇行をするので、あらゆる加持祈祷を行ない、医者にもかけたが、一生正気に戻ることはなかった。
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ビョウニンバタケ
1985年 茨城県
病人畑だとは知らず桑畑を購入した家では不幸なことが次々と起こった。調べると、昔泊めた六部の坊さんを殺して金を奪った祟りで、火の玉が出て潰れた屋敷跡であることがわかった。すぐにこの土地を手放すと不幸はなくなった。しかしこれを買った家は不幸が続いた。
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