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検索対象事例

ニンギョ,リョウトウノカメ
1975年 佐賀県
延宝5年10月、肥前の唐津の海上で人魚と両頭亀が捕れた。執権争いの時には両頭亀が出ると古文にある。

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ニンギョ,リョウトウノカメ
1976年 佐賀県
延宝5年10月、肥前国の唐津の海上で人魚が捕れた。また、両頭の亀も捕れた。執権が威を争えば両頭の亀が現れるという。
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リョウトウノカメ
1974年
延宝5年12月に、大久保加賀守の領地で、両頭の亀が現れたという。その体長は1寸四方ほどであった。
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リョウトウノカメ
1976年 京都府
寛延2年6月20日頃、堀川一条下ルの川で、ある人が両頭の亀を捕まえた。売って欲しいと言う人がいたが、売ることは無く見世物にした。他の亀の頭を切って付けたものらしい。
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リョウトウノカメ
1975年
元亀2年の霊陽院義昭公が信長公に押し込められた時にも両頭の亀が出た。
類似事例

リョウトウノカメ
1976年
元亀2年、霊陽院義昭が信長に押し込められた時、両頭の亀が出た。
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ウナギ
1982年 千葉県
享保9年7月29日、長さ3間余りの鰻が出た。人足6人で運んだ。
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リョウトウノヘビ
1973年 東京都
文政7年11月24日の7時頃、本所竪川通り町方掛り浚場所で、卯之助という男が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。
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(ヒカルオオアワビ)
1974年 千葉県
寛文5年5月に、安房国亀崎という所の海上に、夜ごと光があった。人々は不審に思って海底に入ってその光を見たら、およそ7、80丁ほどの大鮑だった。
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カエルカッセン
1974年 大阪府
桓武天皇の延暦3年5月に、蝦蟆が2万匹ほど集まり、難波市南道より南行し、四天王寺境内に入った後ことごとく散り去ったという。これを蛙合戦という。
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カッパ,スイコ
1974年 大分県
寛永年中に豊後国肥田で捕らえられた河童の図。原本は鍋島摂津守が所持。詞書に、皿に蓋があり、歯は亀のようで、背色も亀のようである。脇腹に立筋があり、これを持てば動けない。手足は亀のように縮み自由に曲がる。また、様々な特徴がある。
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キツネビダマ
1975年 京都府
元禄のはじめ、上京の人が夜、東川へ漁に出た。加茂の辺りで狐火を網で捕らえた。持ち帰って翌日見ると、うす白い鶏の卵のような形で昼は光らなかった。夜になると光り蝋燭より明るいので重宝した。それをもって漁に出たとき、どこからか大石が川に落ち同時に光るものを失った。
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イジュウ
1974年 京都府
延宝年間のこと、京の南にある吉祥寺村で、吉祥天女のご開帳があるというので、近隣の村々から六斎念仏を行う者が多く集まった。その彼らが打つ鐘や太鼓の音を恐れたのか、怪獣が出てきて、ある百姓の家の縁の下にかけ入った。それを生け捕りにすると、顔は狸に似て、鼻から額まで黒く、うなじは白い。さらに背は黒く、腹は白く、徳利のような丸い尻をしており、尾はなくて前足はモグラのようで、後ろ足は長く犬のような獣だった。餌は串柿だけ食べたという。
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サンノウノミカミ,シンタク
1973年 滋賀県
ある時の天皇が、唐崎の浜に行幸したときに、沖から2艘の漁船が棹を差してきた。天皇はそれを近づけて尋ねると、2人の翁がいた。翁は神変奇特を現して歌を詠んだ。そのときには船はどこにも見えなくなった。これは神託で、山王の御神であったという。
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イギョウノフタゴ
1974年 岩手県
奥州南部の盛岡に住む百姓の妻が、延宝8年夏に片手が長く毛に覆われた猿のような子と、目鼻が無くて手が7本と足が43本ある双子を産んだという。しかし5日ほどして死んだ。
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(カイチュウヨリアガリソウロウモノ)
1982年 京都府
享保11年2月25日、海中より、首は鳩のようで長さ1尺程、胴の長さ5尺程、腹は赤白斑で、歯は喉まで生え、甲は唐傘の骨のようで筋が少し高くタバコの葉に似て、胴の幅は3尺程、鰭は柔らかである物が上った。これが上った前の夜は、海中でうめき声がして1里四方に聞こえた。翌日その死体が浜に上った。
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オキクギツネ
1989年 愛知県
長兵衛とお菊狐という夫婦の狐がいて、漁師や魚屋から魚をまきあげていた。お菊狐を捕えようと待っていた喜左衛門という頓智の利いた男のところにきれいな娘が魚を買いに来たが、それを見抜いた男は逆に狐をだまして捕まえた。その後、仏壇の阿弥陀に化けた狐をさらにだまし、最後は千石船に乗せて連れて行った。
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ウミヘビ,オンナ
1929年 長崎県
寛政の頃に侗庵という医者はある時、殺されそうな海蛇を助けた。その後、家に女がきて、2人に子供ができた。女は正体が海蛇だと知られてしまい、子供のために玉を置いて去った。しかし玉は領主に奪われてしまい、池に棲む母が2つ目を渡したが、それも奪われた。この玉は母である蛇が目をくりぬいて渡したものだった。その後、寛政の大地震と大津波が起きた。
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キツネツリ,タンペイ
1983年 神奈川県
文化年間の頃、相模国の丹沢というところに、丹平という狐釣りの名人がおり、この者は人に憑いている狐もたやすく取るという。
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カメ
1976年 青森県
明和6年8月、奥州津軽の浜辺を百姓が歩いていると、亀が鳥に襲われ殺されそうになっていた。百姓は鳥を追い散らし亀を助け海に戻した。その夜、夢に童子が現れ、恩を報じたいので、卜檀という薬木を奉りたい、浜に来て欲しいという。眼が覚め浜に行くと、亀が現れ木の枝のような黄色い物をくわえてきた。津軽の領主がそれを聞き付け、医者に見せたところ、本草にはあるが、いまだ見たことがある人がいないといった。
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カメマツリ
1976年 大阪府
例年4月酉の日には、亀祭をする。元禄年中、5尺余の大亀が来たので人々が憐み、首に大坂鋪屋町と書いた札を結びつけて河口の沖に放った。後にその亀が地引網にかかった時も、札のおかげで海に放たれた。それからこの町では祭を始めたが、その後水火の難はないという。
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