カミノカンオウ 1976年 東京都 天明5年の大干魃の折、雨乞いの祈りを捧げ、連歌を詠んだところ、初めて3日後に夢で神のお告げがあり、すぐに雷雨となった。
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(アマゴイノワカ) 1974年 香川県 正徳2年の夏に、讃岐国の観音寺にある坂本天神の社で雨請の俳諧興行がなされた。その時「神風の雨こそ匂へ夏の草」という発句の後、匂いの花を吟ずると、雨が降り出したという。
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カモダイミョウジン,ウタ 1983年 京都府 ある8月15日の夜に空が曇っていた時、賀茂社の神主である長明が「吹払へ我賀茂山の峯の嵐こはなをざりの秋の空かは」と歌を詠んだところ、賀茂大明神の感応があり、天は晴れたという。
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カモダイミョウジン 1983年 京都府 8月15日の夜や9月13日の夜に、もしも雨が降り月に雲がかかるようならば、平安京の地主神である賀茂大明神に様々な祈祷をし、歌を詠んで法楽を行う。この歌が良いと、神の力によって空は晴れ渡るという。
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アマゴイ 1977年 静岡県 伊豆の三島で昔、能因法師が「天の川苗代水にせきくだせあまくだります神ならば神」と雨乞いの歌を詠むと、雨が降った。
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ノウインホウシ,ウタ 1983年 静岡県 むかし、能因法師が東国を遍歴していた時に、伊豆の国の三島神社に詣でた。その時農民が雨乞いの歌を所望していたので、「天の川苗代水にせきくだせ天降ります神ならば川」と詠んだところ、天地が感応したのか、大雨が降ったという。
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ワカノトク,ノウインホウシ 1974年 愛媛県 和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。伊予守実綱が太山祇社で雨乞いの際に、能因法師が「天河苗代水に塞きくだせ天下ります神ならば神」と詠んだところ、たちまち大雨が降り続いたという。
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ワカノトク,タイケンモンイン,(アメドメ) 1974年 和歌山県 和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。待賢門院が紀州の玉津島に詣でた時、大雨が降って止まなかったので、「天下る名を吹き上げの神ならば雲晴のきて光りあらはせ」「苗代に塞下だされし銀河とむるも神の心なるべし」と詠んだところ、やがて西風が吹いて雲が晴れ、社参が叶ったという。
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アマゴヒワカ 1975年 広島県 備前国の水野義風という武士が、主人に命じられ雨乞いの歌を詠んだ。百姓は喜んでこれを持ち帰り、産土神に供えて効験を得たという。それから今に至るまで、日照りの時にこの歌を出して祈ると、必ず雨が降るという。
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アマゴイノク 1981年 川柳作家の島津富という者が酒の席で語ったところ、ある時田舎の逗留していた時、雨が降らなかったので、百姓らが雨乞いの句を請うた。津富は固く辞したが聞かなかったので、精進潔斎して「しろしめせ神の門田の早苗時」という句を詠み、それを神前に供えると大雨が降り出したという。
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(アメヲトメルワカ) 1974年 烏丸光広という公家が雨を止める和歌「祈るより水せきとめよ天河これも三島の神の恵に」を詠んだところ忽ち止んだという。また春日祭で上卿を務めた時も「ふらばふれみかさの山の雨なればさしては何かくるしかるべき」と詠んで雨を止めたという。
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(アマゴイノワカ) 1974年 東京都 松尾芭蕉の門人である晋子は江戸の三囲稲荷社で、「雨乞や田を見めぐりの神ならば」と詠んだところ雨が降ってきたという。
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リウジン,アメヤミノウタ,マガオ 1980年 静岡県 ある年、俳諧の名人であった真顔が、門人と大井川のほとりに宿したとき、外は大雨が連日続いた。そこで皆で天やみの歌を詠み、龍神に供え、もし止むならば誰の歌によるものかを評しようということになった。するとその夜のうちに雨は止んだ。翌朝皆の歌を見てみると、真顔の歌が極めて優れていたので、止雨は彼のお蔭ということになった。
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アマゴイ 1977年 東京都 東武三囲山というところに稲荷社があった。百姓たちが雨乞いしていると、其角が「夕立や田を見囲り神ならば」と俳句を詠んだ。すぐに大雨が降って、皆喜んだ。
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ワミブチ 1989年 長野県 和見淵のお堂の神様に雨乞いをすると、雨が降った。
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アマゴイノメン 1999年 愛知県 旱魃が多い東大高では、毎年のように雨乞いが行われた。東大高には通常の雨ごいには用いない雨乞いの面というのがある。ある旱魃の年、知里付神社の宮司が浦之嶋の沖に運び出し、伊勢神宮を遥拝し、祈祷をささげて箱の蓋を払うと、海のかなたから雨雲が浮かんで大雨が降ったという。
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ソカク,アマゴイノク 1974年 東京都 俳諧師である其角と長游の二人が、紀伊国屋文左衛門に誘われて吉原に向かう途上、小梅村のあたりで人々が雨乞いをしていた。そこで文左衛門が雨乞いの和歌があるように、俳諧で雨乞いができるかと其角にいう。そこで其角は降らざれば身を川に沈めようとの覚悟で詠んだところ見事雨が降ったという。命捨てるほどの誠があればこそ、天地を動かし鬼神を感じせしめるのだと語った。
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(アマゴイノワカ) 1974年 吉川惟足が「夕立の雨のたまもの得てしがな民の草葉の潤ふばかりに」と詠んだところ、同じ日の午刻から大雨が降り出した。三日三晩止まず、民衆が苦しんだので「から衣ひも重りぬ神風やはや吹とけよあまの八重雲」と詠むと雨が止んだという。
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テング 1958年 香川県 下副家の雨乞い祭りの時、大川山までの間に白布を敷いたような白雲がかかる。するとこの雲にのって天狗がやってくるという。そして松の木に天狗が座ると必ず雨が降る。赤い顔をした天狗であったという。天狗が現れた後は蝶が舞っていたとも伝えられる。
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スガワラノミチザネ,アマゴイ 1934年 香川県 菅原道真が讃岐の守であったとき、大旱魃で、自ら雨乞いをした。城山の天神の御託宣に従って、墨を含ませた筆を天に投げると、たちまち雨が降った。5月雨で傘が黒くかびるのは、その墨汁のせいともいう。
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