ユキオンナ 1979年 「先ふるは雪女もや北のかた」作者不明、「見られぬや山のおく様ゆき女」重供、という句がある。
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ユキオンナ 1979年 「川むかひひとりさめたる麹売雪女には帯か黒くて」という和歌がある。
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ユキオンナ,ユキノセイレイ 1928年 新潟県 宗祇が越後国で見た雪女は、肌が透き通るようで白い単衣を着ていた。よく見ようとすると姿が消えた。翌日になって土地の人に聞くと、これが雪女で、大雪の年には稀に出現することがあると言う。
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(ミコシニュウドウ) 1979年 「これやけふ三越入道雪の山」という義明の句がある。
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ウリコヒメ 1930年 山形県 あるとき、孫三郎という百姓が川で拾った瓜から赤子が生まれたので大切に育てた。たちまち成長して美しくなったが、孫三郎が姫を眺めてばかりで働かなくなってしまった。そこで、姫は自分の姿を絵にかいて持っていかせた。ところが、その絵が風に吹かれて殿様のところへ届いた。孫三郎は殿様と入れ替わってしまったが、後に姫と黒川村に戻り、明神の社家となったという。
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ユキオンナ 1928年 新潟県 宗祇が越後国で見た雪女は背の高さ1丈ばかりで、肌は透き通るように白く、白い一重のものを着た20歳くらいの者だった。姿を見届けようとするうちに消え失せた。土地の者に聞くと、それは雪女というもので、大雪の年にまれに出るのだと教えられた。
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ゾクシン 1975年 春女(しゅんじょ)、神霞(しんか)、賊吏(ぞくり)、夜庭(やてい)、斂女(れんじょ)、飛游(ひゆう)、不穴(ふけつ)、遊光(ゆうこう)、懐珠(かいしゅ)という鬼に関する俗信について。
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ウメノセイ 1983年 長野県 信濃梅を見にきた文治が、その早梅の美しさに見とれていると、美女が来て短歌を交した。美女に誘われて歓待を受け、眠ってしまった。起きると美女は居なくなっていた。この美女は早梅の精であったのだ。
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ツユナシノサト 1956年 宮城県 今東照宮の立っている玉田ヶ崎のふもと、福沢の蜂屋長者の家に、1人の美しい女の召使がいて、毎夜長者の家を抜け出し、夜の明けないうちに帰っていた。ある日、長者にひどく叱られて家を出たきり帰ってこなかった。翌朝女が寝た跡らしい草むらに、一首の和歌を書いたものが落ちていて、「風も吹き雨の降るをもいとはねど今宵ばかりは露無しの里」とあって、それ以来福沢一帯に夜露がおりなくなり、女の寝ていたところを伏寝という。
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ユキオンナ 1956年 宮城県 作並温泉地入口の名マタギ岩松多利吉老人からの聞書。只野淳氏による。(昭和14,5年から)四十余年前の寒中,当時16歳だった多利吉少年は父と大東岳の南麓に狩に出た。獲物も無いまま夕暮となり,激しい嵐となった。多利吉は父に背負われ,七時過ぎに奥新川の下りの林が開けた所に出た。不意に父から「雪女が来たから決して声を出すな」と囁かれたので恐々覗くと,雪の広場の向こうから真っ白い着物,蒼白い顔,背のほっそり高い女が歩いてくる。父の背中にしがみついていると父は黙って雪の中を駈けおりだし,部落の灯りが見えるところまで逃げてきた。後で父は「雪女が来た時は道を譲ったり,後ろに逃げたり,声を掛けたりすると魅入られて殺されるから目をつぶるようにして一目散に走るより他に方法は無い」と語った。
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ユキオンナ 1987年 京都府 昔、お婆さんが正月の餅つきの準備をしていると軒先に誰かの気配がした。障子を開けると色白のきれいな女が行きまみれになって立っていた。お婆さんが大声で怒鳴ったら女は消えてしまい、雪の上に足跡だけが残った。村人たちは雪女だといって怖がった。
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(ミコシニュウドウ) 1979年 「影ほしやみこし入道山の月」という句がある。
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テンニョ 1977年 奈良県 天武天皇が、出家しようと、吉野川のほとりにある滝宮というところに行った。ある夜、琴をかなでていると、山に白い雲がたなびき、天女とおぼしき乙女が、琴の音に合わせて舞った。天皇は、「おとめ子が乙女さびしもからたまを袂にまきておとめさびしも」と詠んだ。この天女を見たのは天皇のみだったという。
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ユキオンナ 1989年 岩手県 親父が雪女に息をかけられて死ぬのを見た息子は、雪女にそのことを口止めされた。やがて息子は美しい娘を嬶にもらったが、ある時口に出してしまったところ、嬶は雪女になり、子供を託して家を出て行った。
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ユキオンナ 1994年 京都府 昔、お婆さんが正月の餅つきの準備をしていると、軒先に人の気配がしたので障子を開けてみた。すると色白のきれいな女が立っていた。お婆さんが大声で怒鳴ったら、女は消え、雪の上に足跡だけが残っていた。村人たちは雪女だといって怖がった。
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ジョセイ,ウメノハナ 1928年 戦国時代に埴科文次が開善寺の梅花を見にやってきた。その美しさに見とれていると、見慣れない女性が女童と共に現れた。文次と女は白梅の歌を詠み交わした。翌日文次が目を覚ますと、そこには女も女童の姿もなかった。女を忘れがたい文次は、梅の花の歌を一首詠み、その次の日に戦場で果てた。それ以来、この梅は花を咲かせなくなった。
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ワカノトク,スミヨシミョウジン 1974年 大阪府 和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。昔ある者が住吉へ行幸した際、「我見ても久しく成ぬ住吉の岸の姫松幾世へぬらん」と詠むと、明神が現れて「むつましと君はしら波瑞籬の久しき世よりいはひ初めてき」と詠んだという。歌に感得があり、明神が現れたのだ。
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オコメヲトグコウジンサマ 1934年 長野県 毎夜の丑満時に白装束の荒神様が出て、「お米とぎやしょか、人とってくはしょか、ショキショキ」といいながら、お米をとんでは井戸へこぼしていたという。井戸の水は白いような色をして、荒神様のとんだ水だといわれている。
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モジズリイシ 1967年 福島県 貞観年中、源融が文知摺石の近くの大家の虎女という美しい女としばらく暮らした。融はやがて公務が終わり、しばしの別れと都へと帰ったが、連絡がなく、虎女は文知摺石に、100日のあいだ麦の青葉で面を磨くから、公の姿を映してくれるよう願を掛けた。満願の日、文知摺石の面に融の姿が現れた。
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ソカク,アマゴイノク 1974年 東京都 俳諧師である其角と長游の二人が、紀伊国屋文左衛門に誘われて吉原に向かう途上、小梅村のあたりで人々が雨乞いをしていた。そこで文左衛門が雨乞いの和歌があるように、俳諧で雨乞いができるかと其角にいう。そこで其角は降らざれば身を川に沈めようとの覚悟で詠んだところ見事雨が降ったという。命捨てるほどの誠があればこそ、天地を動かし鬼神を感じせしめるのだと語った。
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