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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

エシン
1980年
恵心僧都が死んだ後、その心臓を見てみると、3本の青蓮花があったという。その1本は天皇に渡し、後は宇治の平等院に納められたという。

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エシン
1977年
恵心僧都は火葬にされたあと、蓮花の形のようなものが残ったという。
類似事例

リュウジン
1974年 愛知県
竜泉院という寺に、竜神が僧に化けて参拝した時、末世の印として鱗を3枚置いていったという。
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ダイジャ
1931年 大阪府
ある沼の淵に大蛇が棲んでいた。近くで蓮如上人が説法するというので、大蛇は美人に化けて熱心にそれを聞いたところ、功徳に感化されて昇天した。上人はその地に寺を建て、大蛇昇天の際に落とした金色の巨鱗3枚を蛇塔に納めた。
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リュウグウ
1982年 群馬県
斎藤氏の先祖の阿感坊が、竜宮様へ藤蔓切りに行き、川に落とした鉈を追いかけて竜宮に着いた。竜宮に3日いて、瑪瑙は宮子神社に、観音様は竜宮様へ、玉手箱は斎藤家に持って行けといわれて、3品を貰って帰って来たら、3年経っていた。口止めされていたが跡部の殿様から責められて喋り、3日後に死んだ。殿様は気の毒に思い、コウガン寺(現在廃寺)の殿様の墓の前に葬った。
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カタメシイアルヘビ
1976年 京都府
一病僧が宇治に安居していたところに、ある日、いつも出入りしている芋売りの男が行ったところ、門から片目盲ある蛇が入っていった。男は何となく恐ろしく思い、近くの家に入った。その時病僧は死んだ。その因縁とは、この僧が某国で醜い眇めの女と馴染んだが、僧はその内女が疎ましくなりその地を去った。しかし、その後も尼になり付きまとった。その後に僧は宇治に来たのだと言うことだった。
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リュウノタマ
1955年 静岡県
龍の玉を持っている家がある。六部が礼に置いていったもの。これでこすると目の病が治る。大阪の博物館に鑑定してもらったら「日本に二つしかない玉の、女玉だ。男玉が出たら買い上げる」と言われた。
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〔サンミイナリ〕
1986年 埼玉県
天海僧正が喜多院の住職をしている時、三人の子供が訪ねてきて弟子となった。ある日天海僧正が日光へ出掛け、三人が境内で掃除をしていると、師が空の上から呼んでいた。三人は追いかけてそのまま行方がわからなくなった。その後、僧正は池の中ですりこぎとすり鉢とほうきを持って死んでいる三匹の狐を見つけた。これは稲荷が狐を子供の姿に変えて自分の所につかわしたに違いないと思い、三匹の狐を手厚く葬った。これが今の三位稲荷である。
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ジョフク
1978年 山梨県
徐福たちの魂が3羽の鶴になって留まっているといわれる大原で、元禄11年3月29日、1羽の鶴が死んだので、役人が検分に来てその羽と肉を江戸へ献上し、骨を福源寺に葬った。寛政6年3月に2羽の鶴が自分で羽を抜いて落ちてきたが、その場所はわからなかった。
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リュウグウ,オトヒメ
1982年 群馬県
斎藤氏の先祖の阿感坊が、竜宮島の所へ藤蔓切りに行って川に落とした鉈を追いかけて、竜宮に着いた。竜宮に3日いて乙姫様から観音様・瑪瑙・玉手箱を貰って帰って来たら3年経っていた。阿感坊は口止めされていたが殿様から責められ、喋ろうとして口を開いたら死んだ。瑪瑙は宮子神社にあったが火事のとき飛び出し、木に挟まった。観音様は以前は区長が管理していたが、今は竜宮祠が管理している。玉手箱は斎藤家にある。
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ネコ,(オンガエシ)
1956年 宮城県
寛政年間(1789~1801),泉永寺住職玄契和尚は高い学徳を持っていたが,暮らしが苦しいので寺を捨てる覚悟をした。長年可愛がっていた三毛猫にも我が子に言うように暇を言い渡した。一方,物持の千田家には一人娘の美知代がいたが,学問好きの美知代は玄契和尚の学識を慕い,三毛猫も娘になついていた。ある時美知代に縁談が持ち上がったが,美知代はこれを嫌い,結納の前夜沼に身を投じてしまう。数日後,葬列が村境近くの一本杉の近くを通りかかると,柩が十数尺の老杉の梢に吊り上げられてしまった。僧侶や修験者たちが修法を行ったが効果がないので,玄契和尚を呼ぶことになった。和尚が数珠をもみ経文を唱えると,柩が降りてきて葬儀を終えることができた。実はこれは愛猫三毛の報恩で,以後寺も和尚も尊信を集めたという。同寺には玄契和尚の描いた大涅槃像が現存する。
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イコウ,シャリ,(ヒカリヲハナツネンジュ)
1974年 神奈川県
鎌倉の光明寺に住む檀通和尚が死んだ時、火葬の場では異香がただよい、遺骨はみな舎利になった。また50粒ほどの念珠は光を放ったという。
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キツネ,ヘビ
1972年 千葉県
国府里の先代の住職は伊勢から来た若い僧で、狐と蛇を神様にしていた。話者にはその寺にあった銀紙の幣束がきれいな娘に見え、その前の花が狐に見えた。この住職はこうして人を騙して財産をこしらえて伊勢に戻ったが、すぐ死んでしまったと聞いた。人を騙してはいけない。
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ダイジャ
1970年 愛知県
全久院の住職のもとに美女が血脈をもらいに来た。その礼として鱗を置いていった。住職が美女の帰る姿を見たら大蛇だった。雨乞いの時、水を張った大盥に鱗を浮かべ、血脈に祈りをこめ、その後に鱗を海倉淵をすすぐと夕立になるという。沈めると大洪水になるという。
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リュウノウロコ
1970年 和歌山県
雨乞いをする雨の森というところに竜の鱗が埋められていると伝えられている。昔、与国寺の僧がここに来て海の中から手に入れたもので、3枚あるという。
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ジョウギニョライ
1956年 宮城県
本尊は、小松内大臣重盛が宋の径山寺仏照禅師に黄金を布施して逆修を営んだとき贈られた阿弥陀如来画像。重盛の遺命により筑後守貞能がこれを奉じ、肥後入道と称して常陸国に隠れ、さらにこの地に永住して平家一族の冥福を祈った。建久9年(1198)7月7日貞能が没するとき、死後墳墓の上に堂を建て、尊像を本尊とせよと遺命したのが起源。仙台地方では、古来、一生一度の願が叶うとされている。
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リュウジョ,リュウオウ,リュウジン
1970年 大阪府
光善寺にある竜女池は、この池の主であった竜女が蓮如上人に献じた池だと伝えられている。池の中には、竜女が残した鱗を祀る蛇塔がある。
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ジュウオウドウノジゾウ
1970年 滋賀県
十王堂の木像のお地蔵さん(恵心僧都作)を京都の仏師に洗濯に出した。ある晩、堂守の夢に「切られそうになっている、すぐ迎えに来てくれ」と知らせがあった。急いで駆けつけると、まさに鋸を掛けようとしていたので、引き取って持ち帰った。仏師はあまりに古い木なので、分割して2体の地蔵に作り変えようとしていたのだった。この地蔵は今もある。
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オンンメサマ,ウブメ
1977年 神奈川県
昔、大巧寺の上人が川にかかる橋を通りかかったところ、赤ん坊を抱いたウブメに出会った。冥土の苦難を訴えるウブメに上人が経をあげて回向してやると、その心は鎮められた。数日後、美しい女が上人の前に現れ、お礼として1包みの金を置いていった。上人はこれで宝塔を作ったのだが、それが今日も大巧寺にある。
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リュウ,ウロコ
1970年 大分県
竜ヶ淵に竜が棲んでいた。京都のある僧が修行のために淵の傍らに小屋を建てて昼夜読経をしていたら、ある夜竜が現れた。竜は僧の教えにより昇天し、銀色の鱗を残して去った。竜源寺にはその鱗が残されている。
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ビジョノレイ
1967年 福島県
昔、僧に恋した美女の霊が、この僧の元に通い美しい子を産んだ。信濃久野の宗慶という沙門が噂を聞いて来たが、この地で果てた。美童はそれを聞き自らも同じ年に死んだ。それを葬ったのが道童塚といわれる。
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