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検索対象事例

ショウグンヅカ
1975年 京都府
桓武天皇が平安京に遷都した時、人をかたどった8尺の土偶を作り、甲冑を着せ、太刀を佩かせ、帝都に向かわせて、これを埋めて京の鎮護とした。もし京に変災があれば、必ず鳴動するといわれている。明応2年には、実際に将軍塚が鳴動したという。

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ショウグンヅカ
1977年 京都府
桓武天皇が、平安京遷都のおりに、群臣諸博士を召して、王都長久の方法を審議し、土で8尺(約240センチ)の人形を作り、甲冑を着せて弓矢を持たせ、東山に埋めて、京の守護神とした。これが将軍塚である。治承3年7月に3度続けて鳴動した。
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ショウグンヅカ
1977年 京都府
桓武天皇が、平安京が長久であるようにと、土で8尺(約240センチ)の人形を作り、甲冑を着せて弓矢を持たせ、東山に西向きに埋めた。泉涌寺の上にある塚がそれである。鳴動したのは、保元元年は大乱の兆しとして。治承元年は平清盛の福原遷都の兆し。明応2年と享禄3年の時は、ともに足利将軍の時代であった。慶長3年の時は、豊臣秀吉死去のためであった。
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メイドウ
1976年 京都府
将軍塚は変があるとき必ず鳴動する。筆者が幼少の時、地震も無いのにこだまのように聞こえたことがあった。ある和尚の話によれば、天明6年4、5月頃から鳴動を続けたという。怪しんでいると、9月6日の夜丑の2刻に鼓のような音が聞こえた。天明8年の大火の前兆だろうか。
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レイボク,ロッカクドウ,クロクモ
1983年 京都府
太子は淡路国の海から得られた如意輪像を、毎朝紫雲が覆う杉の霊木で建てた六角堂に安置した。その後、桓武天皇が平安京に遷都した時、六角堂が小路の中にあたった。都を造営する官使たちは、太子の建立した堂だから移すのもどうかと悩んだ所、黒雲がこの堂を覆い5丈北に退いたので、無事小路を通して都ができた。
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メイドウ
1974年 京都府
京都の東山の花頂山の峯にある将軍塚は国家に障りがあるときは鳴動するという。
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メイドウ
1976年 京都府
平家都落ちの時、将軍塚が鼓のような音を立てて鳴った。
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レイム,シンリュウ
1983年 大阪府
聖武天皇が、平城京の西に救世観音象がおわす霊夢を見、行基に命じてこれを求めさせた。行基が誓いを立て深山に分け入ると、十六童子に導かれてある場所へ至った。その時山川震動して神龍が現れ、観音と自らの掌を行基に与え、仏法守護を誓った。話を聞いた天皇は尊崇し、寺を建てて像を安置した。
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カンコウ,スガワラノミチザネ
1935年 香川県
高松の嫁入り人形、稲穂持天神にまつわる話。官公は、仁和2年正月16日から5年間讃岐の国司を勤めた。ある年降雨がなく、池や川も枯れ、田植えも出来ず百姓は苦しんだ。それを見た官公は、讃岐に限り雨が少ないのは自己の不徳のせいと、讃岐綾歌郡府中村の城山で斎戒沐浴し、祭文を城山神に捧げて雨を祈った。それが神に通じ、天忽ちにして曇り大雨が降り、農作物は蘇生し、農民は喜んだ。
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(カミナリ),(イシノカラビツ)
1982年
享保12年5月23日、御成りがあった際に、江戸より3、4里程外の麻間の地の、くれひの明神と言う社の大木の松の下に、石の韓櫃が埋められてると言う伝説が有り、誰も見た事がないことをお聞きになった。ならば掘ってみろと仰せられたので百姓10人程で3、4尺程掘ったら、たちまち空が曇り、雷が3つ百姓に落ち、百姓たちは微塵になった。将軍の前にも1つ落ちた。
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ショウキ
2003年 沖縄県
鬼界島の征伐から尚徳王が戻るとき、小鐘が浮かび上がって王の船に付き従った。引き上げようとしたが動かなかった。王自身が引き上げると簡単に持ち上がった。そこで以前、鳥をうった矢が突き立ったところに応神天皇・神功皇后・玉依姫を安置して護国の神としたという。
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ジ,コマイヌ
1974年
天皇が即位をする際は兕の像を造って庭に置くという。この兕は一角の獣であるという。
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レイキ
1976年
聖武天皇の天平元年に、背に天王貴平知百年という文字のある亀が献上された。
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ユメ,サル
1935年 熊本県
木葉猿の由来。孝徳天皇のころ、都の落人が虎の葉の里に詫住まいしていた。元正天皇の時代、養老7年正月7日に衣冠正しい老翁が枕元に立ち、汝罪なくして都を出て、この山里に詫住まいしているので、宇多郡深草の社に鎮まる春日大明神を遷し奉るべしといった。その後ある日旅人がやってきて大和の国春日の神勅を持ってきた。そのため虎の葉の里に春日大社を遷した。10月9日を生日の足日と定めて雨山の赤土をかきとって海山の神つ物を捧げてその楽を奏し、その平盆の余った土を投げると、猿の形を現し、忽然として飛び去った。人々が奇異な思いをしていると、鼻高く面赤く身の丈1丈あまりなのが現れ、汝等雨山の土でましらを作れば、真榊の真幸といって消え去った。
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ネズミ
1974年 大阪府
大化元年冬12月に天皇が難波長柄豊碕に遷都したところ、老人等が言うには、春から夏にかけて鼠が難波に向かったという。これは遷都の兆だという。
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キンケイ
1913年 愛知県
異国の王様の使者を埋めたという塚があり、俗に王塚と称している。その塚には金鶏も一緒に埋められており、時折鳴くことがある。その声を聞くと幸を受けるという。
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テンメイ,ショウグンヅカメイドウ
1974年 京都府
寛政7年8月24日の日暮れ前から東の方角がしばしば鳴った。大きな鼓を鳴らすような音だった。暁になって鳴りやんだという。昔から将軍塚鳴動というものがある。
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ツチグモ
1988年 奈良県
一言主神社の土蜘蛛塚は、神武天皇がカツラの網で土蜘蛛を捕まえ、頭と胴と脚に切り分けて埋め、その上に石を据えたあとだという。カツラの網を使ったので、この地を葛城と呼ぶようになった。
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ハレゴイ,ワラニンギョウ,カシマナガシ
1937年 秋田県
雨続きのとき、武士姿で等身大の藁人形を作り、藁で作った馬に跨らせて鎮守の社前へ置く。各戸では1尺5寸ほどの藁人形を各自屋上に置く。すると3日ほど以内に雨はやむ。
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ヒトバシラ,レイ,カネノオト
1992年 岐阜県
天正13年、秀吉が築城した大垣の天守には人柱に旅の六部が生きたまま塗り込められた。その霊が篭っているので、真夜中の丑三つ時に「チーン、チリン」と鉦の音が聞えてきたという。また、天守台の基礎工事の折に旅の山伏が埋められたとも。かつて天守閣には人柱の持っていた金剛杖があった。
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イヌソトバイシ
1956年 宮城県
嵯峨天皇の時代、年を経た大猪がいて、頸に二階枝の松を生やし、京の人々をおびやかした。小野篁は、勅をうけて会津磐梯山に猪を追跡するときに遭遇した、番二、番三郎という兄弟に加勢を命ずる。兄弟はかしこまって大きな白犬をつれて猪を追跡、蔵王の麓で発見する。白犬が大猪と格闘したところを兄弟が一矢ずつで射とめたが、白犬も重症を負って死ぬ。その供養の塔婆であるという。
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