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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

オキズフシノサト
1956年 宮城県
源頼朝平泉東征の古戦場、韮神山の西北ふもと、起きず伏しの里では、旧正月7日に韮神山と館山の間に甲冑綴りの靄がこめるのを見ると、必ず病気になるといい、この日は朝寝をする。

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ヤクシニョライ
1989年 長野県
源頼朝が非公式に信濃を回った折、落馬した後目が見えなくなっていた。神仏の祟りではないかと尋ねると、西に一里ほど行った正面に大島山瑠璃寺という薬師如来を祀る寺があり、その前では必ず乗り物を降りなければならなかった。頼朝は詫びに鎌倉の館にある桜を献ずる誓いの証に山桜を一枝地にさした。すると、目が見えるようになった。
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ウテンノキザシ
1956年 宮城県
朝焼けがしたとき、日暈(ひがさ)月暈(つきがさ)が出た時、蔵王に帯のごとき雲が連なる時、頭痛や打ち身などが痛む時、諸病が悪しき時、からだの痒い時、夕方に子供が騒ぐ時、馬がよく眠る時、猫が顔を隠して眠る時など。
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(ゾクシン),ヤクビョウガミ
1935年 山口県
正月7日の朝には疫病神が札を配って歩くので、朝寝をする。朝、戸を開くときには、門口で線香を焚けば病気にかからない。疫病神は線香を嫌う。
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タヌキ
1979年 徳島県
昔、お薬師さんのお堂では、狸のいたずらで、南向きに寝ても、起きると北向きに寝ているということがよくあった。
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シロオオカミ,シロギツネ
1937年 福島県
源頼朝が墨虎という豪族を討つため、京より背負ってきた山神、稲荷神に断食7日7夜して祈願した。10月15日に白狼と白狐が現われて、足跡が点々と霊山の北の山王祠まで続いていた。神のお告げと喜んで攻めた。
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ヌエ
1941年 愛媛県
上浮穴郡中津村のに源頼政の親子が住んでいたが、頼政が京に就職した。池に祈りに行った母は鵺となった。頭は猿で、体は龍の如く、そして、尻尾は八本あるという。その鵺が父二峰村を通った時に息を吹いたから、今でも多いこの村の霧が生じたという。
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ヤクジン
1976年 東京都
天保8年2月下旬、次女の乳母が日暮れに急に寒気立ち、夜着を被って打ち伏せていたところ、翌朝になり、昨夜より風呂敷包みを背負った男が側にいると言った。これは疫神かと、種々の札を枕元に掛けたところ、男は立ち去ったといって全快した。ところが上野の祭礼に主人とせがれとで行ったところ、急に歯が痛くなり、家に帰ると治った。すると乳母が再び寒気を訴えた。そこで刀を抜き乳母を峰打ちにしたところ、男がすぐに立ち去るので、障子を開けて欲しいと言った。障子をあけると乳母はそこで倒れたが、そのまま起き上がり正気となった。早く塩をまいて箒で掃き清めよ、と言った。
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オオヤマブシ
1976年
謙信が夜、雪隠に行ったとき、大山伏が立っていた。怪しいと思いにらんだところ、消えうせた。これ以来謙信は病気がちになり、ついには死んでしまった。信玄の死去を聞いて、心が緩んでいたからだと言われたという。
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テナシジゾウ
1922年 静岡県
悪戯な地蔵がいて里人は困っていた。源頼朝が森で昼寝しているとき、地蔵が美女に化けて近づいたが、頼朝は正体を見破ってその両手を刀で切り落とした。石地蔵が切られた手をあらった手みだれ川には、血で染まった赤い石がたくさんある。また頼朝が昼寝した森はまどろみの森といい、まどろみ稲荷が祀ってある。
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ネムリ
1926年 京都府
大正4年5月4日、食事をあまり取らずに醍醐から岩間、石山と山道を歩いたところ、3時ごろに急に眠くなって寝てしまった。苦しいどころか、とても気持ちよかった。
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ヤマグモ
1933年 京都府
夏の頃、頼光が瘧病を患った。ある日の夜更け頃、燭の影から長さ7尺ばかりの法師が歩み寄り、縄で頼光を捕まえようとするので頼光が刀で斬りつけた。血の跡をたどると、北野の裏の大塚の中で4尺ばかりの山蜘蛛がうなっていた。頼光はこれに取り憑かれたために病になっていた。
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ヤマノカミサマ
1968年 佐賀県
旧暦の1月20日は二十日正月で、山の神様の集会日。この日に山に入ると、蜂に刺されたり病気になったりするといい、山に入ることをしない。
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ツユナシノサト
1956年 宮城県
今東照宮の立っている玉田ヶ崎のふもと、福沢の蜂屋長者の家に、1人の美しい女の召使がいて、毎夜長者の家を抜け出し、夜の明けないうちに帰っていた。ある日、長者にひどく叱られて家を出たきり帰ってこなかった。翌朝女が寝た跡らしい草むらに、一首の和歌を書いたものが落ちていて、「風も吹き雨の降るをもいとはねど今宵ばかりは露無しの里」とあって、それ以来福沢一帯に夜露がおりなくなり、女の寝ていたところを伏寝という。
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ホウソウ,サル
1935年 滋賀県
天皇が疱瘡にかかるときは坂本山王の社にいる猿が必ず疱瘡になるという。天皇のかさが軽ければ猿の病も重く天皇の病が重ければ猿はとみに軽くなるという。後光明帝崩御のとき坂本の猿は軽い疱瘡だったという。次の新帝が病気のとき坂本の猿も軽い疱瘡だったが、被衣をあつらえて猿に着させると猿は間もなく死に、帝は本復したという。
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タイラノサショウショウアリモリシュジュウ
1922年 愛媛県
夕方白手ぬぐいの頬被で伊予の国今出を通ると、人の影が朦朧といく手をふさいで、白布を戴くからは源家の加人に極った、と切りかかった。この里で自刃した平有盛の霊であった。これを気に平家大明神を祭って、その地を琵琶谷と称えるようになった。
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ヨリトモ,サザエ
1935年 千葉県
頼朝が房州に逃れて勝山沖の浮き島に遊んだとき、ここの栄螺の角のために手か足かに怪我をした。そこで栄螺の角を封じてしまったといい、今日なおこの島の栄螺は土地の人からは角なし栄螺と呼ばれている。
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イワシミズハチマングウ
1983年
奥州合戦の時に、源頼義軍は水に渇し士卒が大いに苦しんでいた。その時頼義が石清水八幡宮を拝し、岩を突いたところ、清水が湧出したという。
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カミ,(ゾクシン)
1933年 兵庫県
飾磨郡では、朝早く外出するときは、道の角を正しく曲がらないと、神と行き逢って病気になることがあるという。
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クビナシウマ,ヤギョウノカミ
1984年 愛媛県
上須戒村と高山村の境にある小笹ヶ城から多田村の小笹ヶ城までの道を、毎月27日の子の刻に烏帽子、狩衣を着した貴人が、頭のない白馬に乗り、舎人を一人連れて通る。これを人々は夜行の神と呼び、出会うと熱病を受け死ぬと伝えるため、27日の夜はその道を通る者はいなかった。しかし、ある時高山村の百姓がこれに出会い、道の下の岸陰に隠れていると、夜行の神が足を止めて「この道の下に人がいる」と言ったが、舎人が「この者は下人です」と告げたのでそのまま通り過ぎ、命拾いをした。
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クビナシウマ
1968年 愛媛県
梅の子付近で源氏と平氏が戦った時、馬が首を切られたため、その付近では毎晩首なし馬が出るといわれている。
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