イシイモ,コウボウダイシ 1956年 宮城県 昔、空腹の弘法大師がこの下愛子の村を通るとき、一軒の家で老婆が煮ていたうまそうな里芋を所望したところ断られた。翌日からこの家の畑の芋は固くて食えない石芋にかわってしまった。
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コウボウダイシ 1967年 福島県 昔弘法大師が諸国を遍歴してこられ、ある百姓家で里芋の煮たのを分けてくれと言ったが、石芋だといって断られた。やがて大師が去った後、食べようとすると、里芋は石のように固くなって食べられなかった。さらに家の周囲には水が一面にたたえられていたという。
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コウボウダイシ,サトイモ,イシイモ 1935年 群馬県 弘法大師が諸国行脚中に、薄根村の老婆に里芋を所望したが、老婆は里芋を惜しんで大師に与えなかったので、それ以後里芋は皆石芋になったという。
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コウボウダイシ 1930年 山梨県 湯村のある一部では里芋が出来ない。昔、弘法大師が、婆に、洗っている里芋を分けて欲しいと頼んだが、婆は分けなかった。弘法大師は芋を食べられなくしてしまうと言って立ち去り、その後里芋が出来なくなった。
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コウボウダイシサマ 1983年 山梨県 お婆さんが川でじゃが薯を洗っているところへ弘法大師様がきて、芋をくれないかといったが、お婆さんが小さすぎてあげられませんという意味で言ったのを、弘法大師様が「石芋で食べられませんよ」とうけとって石にしてしまった。しかし、その後で、お婆さんがわけを話すと食えるようにしてやるといった。
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コウボウ 1931年 東京都 昔、乞食のような風体の旅僧がきて、畑の芋を求めたが、芋をやるのが惜しくて「この芋は固くて食えない」といって断った。旅僧は「そうか」と言ってさっさと帰ってしまったが、それ以来、その土地には固くて固くて食えない芋ができるようになったという。
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〔オオウチノミズナシガワ〕 1986年 大分県 弘法大師が田代の川で芋を洗っていた老婆に芋を所望した。老婆が洗っていない芋を渡したので,大師は川に杖を刺して水を枯らした。一方その下流の新屋敷では洗った芋を与えたので,水の無い川底に杖をついて水を湧き出させた。
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ニチレンショウニン,イシイモイド 1977年 神奈川県 昔、1人の女が井戸端で芋を洗っていたところ、みすぼらしい旅の僧がそれを恵んで欲しいといってきたが、女はそれを聞き入れなかった。すると、帰ってこの芋を火にかけても半煮えで石のようにかたいままであったため、女は芋を捨ててしまった。芋は井戸に落ちて芽を出し大きな葉をつけた。女はそれを自分のものだと言って掘ったのだが、芋は1つも出てこなかった。それ以来、井戸からは清水が湧き出してこなくなってしまった。
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イモ,コウボウダイシ,ナナフシギ 1929年 愛媛県 市外の吉藤に弘法大師が来た。そうして民家に食を乞うた時、民家では芋を煮て食べていたのに弘法大師に出さなかったのでそこの芋は石の様に堅くなった。(松山七不思議)
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ゴウロクイモ,コウボウダイシ 1956年 宮城県 下愛子の老婆に芋をもらえなかった弘法大師は、今の大梅寺門前に来かかり、いよいよ腹が減ったので、とある家で一飯を請うと、その家の老婆は貧しいながらも親切にもてなしたので、大師はよろこんで、この家の芋だけうまい芋にした。これを郷六の弘法お授け芋といって仙台第一の美味と称される。
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ダイコンガワ 1986年 大分県 貧しい身なりの旅僧(弘法大師)が,芋や大根を洗ったり洗濯をしている老婆にそれらを所望したが,断わったり,洗わない芋を与えたので,その川の水が無くなった。
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〔イマタワラノミズナシガワ〕 1986年 大分県 貧しい身なりの旅僧(弘法大師)が,芋や大根を洗ったり洗濯をしている老婆にそれらを所望したが,断わったり,洗わない芋を与えたので,その川の水が無くなった。
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〔ソウダノミズナシガワ〕 1986年 大分県 貧しい身なりの旅僧(弘法大師)が,芋や大根を洗ったり洗濯をしている老婆にそれらを所望したが,断わったり,洗わない芋を与えたので,その川の水が無くなった。
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〔タキオノミズナシガワ〕 1986年 大分県 貧しい身なりの旅僧(弘法大師)が,芋や大根を洗ったり洗濯をしている老婆にそれらを所望したが,断わったり,洗わない芋を与えたので,その川の水が無くなった。
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コウボウワラビ 1967年 福島県 山中にわらび平という所がある。弘法大師回国の折、道に迷い炭小屋を見つけ宿を頼んだが断られ、仕方なく他の小屋を訪ねたところ、老婆が快く聞き入れてくれたが、山中なので汁をつくっても実を買いに行くこともできずに申し訳ないと言うと、それは不自由だろう。裏の草原の山わらびでも取ってきたらどうかと言われた。わらびは取ってもすぐには食べられないというと、大師は、私の教えるのは大丈夫だというのであった。不思議にその通りで少しも苦くなかった。それ以来、この草原に生えるわらびを弘法わらびというようになった。
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コウボウタイシ 1989年 長野県 弘法大師が立ち寄って「泊めてくれ」と頼んだが、食べるものがないので泊められないと断ると、自分でわらびを取ってきたのでそれを煮た。味を付けようと思っても塩がないと家人が言うと、大師は「出してやる」と言って岩をつつき水を出した。その水はしょっぱかったので、それでわらびを煮たという。
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ヒルコ,ノビル,コウボウダイシ 1956年 宮城県 弘法大師が滝ノ原入口に通りかかったとき、咽喉が渇いたので水を所望した。そのあたりは水の便が悪かったので、老婆は水を惜しんで「その辺のヒルコ(野蒜)でも食ったらよかんべ」といった。大師は、そうかといって行ってしまったが、それ以来、この家の畑は何を作ってもヒルコになって、それ以外の作物は育たなくなった。
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コウボウダイシ 1967年 茨城県 昔、半兵衛の家に弘法大師がやって来て、おばあさんに1夜の宿をたのんだ。おばあさんは食べるものがないからと、断ったが、弘法大師が裏山のアクの強いワラビでいいからという。それを取ってくるとアクのないワラビになっており、この時から、このあたりのワラビにはアクがなくなった。
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オヘンロサン 1973年 三重県 昔、弘法さんのお遍路さんが来たとき、よもぎもちを作っていた。「一つくれ」と言うのに、「これは苦くて食えん」と答えると、引き下がった。それ以来、そこのよもぎは苦くて食べられないという。
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ナナフシギ 1916年 徳島県 阿波の七不思議。弘法大師の怒りにふれたためいくら茹でても煮えなくなった食わずの芋。弘法大師が杖を河原に突き立てて水が地下をくぐって流れるようにしてしまった干河原。幹が多数に分かれている千本杉。一木の地蔵。谷の左右から生えた藤が一緒になったもやい藤。擂鉢れんぎ。弘法大師の納経を埋めた経塚。
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