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検索対象事例

(ゼンワンヲカシテクレルイケ),イケノヌシ
1990年 長野県
西山の麓に昔大池があり、主が住んでいた。ムラじゅうに集まりごとがあって膳椀が必要になると、紙に必要数を書いて池の中に流した。すると翌朝、池の端にきちんとそろえてあったという。お返しのお礼としてどぶろくを投げ入れることになっていたという。

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(ゼンワンヲカシテクレルイケ)
1990年 長野県
宮の前の田んぼの中に池があり、寄り集まりなどで膳椀が必要なときは、前の晩に必要な数を頼むときちんと用意してくれたという。昭和30年ごろまで池の形になっていたという。
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オウタカミサ,(ワンカシブチ)
1991年 山梨県
村内に人寄せがあって、膳椀が不足なときには前の晩に往太神様の前の池に行ってお願いして翌朝行くと必ず浮かんでいた。ある時、不心得者がいて仲間げんかをしてお椀を割り、不足のまま池に返したので神様は怒ってそれ以来頼んでも聞き入れなくなった。
類似事例

(ゼンワンヲカシテクレルイケ)
1990年 長野県
板越に天池がある。ここに、膳椀を貸して欲しいと書いた紙を浮かべておくと、翌朝、池の端にきちんと膳椀がそろえられていたという。
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オゼンイワ
1989年 長野県
大岩の下に清水が湧き出ていて、それが小さな池を作っている。村人が岩に「明日お膳を10人分貸してください」と言うと、翌朝池に浮いていた。ある時ある人が借りた膳を全部返さないでいると、その後はいくら頼んでも貸してくれなくなった。
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ゼンダナ
1990年 長野県
家で人が集まるときに、手持ちの膳椀ではたりないとき、必要数を神様にお願いすると、翌日膳や椀がその数だけや見晴らしの良い場所に用意してくれた。そこを膳棚と呼ぶという。
類似事例

カシゼンワン
1936年 岐阜県
日和田に滝のように水の落ちるところがあり、一の滝という。昔は膳椀が必要なときはここで頼めば翌朝に必ず川岸の岩上に頼んだ数だけ膳椀が置いてあった。しかしある時傷をつけて返したものがいて以後借りることができなくなった。
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ゼンワンフチ
1961年 山梨県
笛吹川の一ノ釜を膳貸淵ともいい、人寄りで膳椀が入用の時には何人前貸して下さいとお願いすると、滝壺から浮いてきて貸してくれた。使用後にはお礼の供物を添えて投げ入れた。ある時数を不足して返した者があったのでそれ以来は貸さなくなった。
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ゼンザエモンイド
1985年 長野県
井戸があった。心がけのよい人が膳を借りに来ると、翌日には用意されていた。それをきちんと返さなくてはいけなかった。ある時強欲な人が借りて、返さなかったことがあり、以来井戸から膳が出てくることはなかった。
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カマブチ
1989年 長野県
風巻下の家では、祝い事の時などに必要な数の膳・椀を淵に向かって唱えると、次の日には川岸にきちんと用意されていた。ある時、椀を一つかいてしまったがそれを断らずに返した。以来、何度唱えても貸してくれなくなったという。
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ゼンワンブチ
1986年 埼玉県
箕輪山霊巌寺近くの高麗川の淵には大蛇が住むと言い伝えられている。この辺りの住民は祝儀不祝儀があると、膳椀をこの淵に貸りに来ていた。淵に向かって「どうか十人前の膳椀をお貸し下され」と頼むといつの間にか浮かび上がってくる。終われば丁寧に礼を述べて返すのだが、ある時村の者が膳椀を返さなかったら、その後誰が行っても浮いてこなくなった。ある年大洪水があって淵が埋まってしまった。そしてそこから一匹の大蛇の頭骨が発見された。村人は膳椀淵の主として手厚く弔い、霊巌寺の宝物とした。
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マルイワノカシワン,ユメマクラ,ミズノカミサマ
1987年 長野県
若夫婦に男の子が生まれたのでお祝いをしようと思ったが,客用の膳や椀がない。ある時二人の夢枕に白い衣をまとった美しい女が現れ,「お前達はいつも水を大事にしているので,膳や椀は私が貸してやろう。夕方,必要な数を紙に書いて丸岩の割れ目に投げ入れておくように」と告げて消えた。二人が言われたとおりにしてみると,翌朝丸岩の前に頼んだとおりの膳と椀が並べてあった。きれいに洗ってもとの場所に置いておくと,何時の間にか膳や椀は消えていた。その後村の者が頼んでも同じように貸してくれたが,ある者が数をごまかしたので水の神様が怒ったのか,二度と貸してくれなくなった。
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リュウグウ
1943年 群馬県
寛平元年に大洪水があり、水がぬけた跡が大きな沼となった。龍宮城へ通じているといい、灯りがともったりした。手紙を書いて流せば、食器を貸してくれた。返すときも手紙に書いて流せば、椀はひとりでに沈んだ。ある者が借りた盃を1つ返さなかったところ、二度と貸さなくなった。その者の家では、盃を家宝としている。
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カッパ
1927年 長野県
昔、井戸のような池があり、手紙を書いて浮かべると膳椀を貸してくれた。池から河童が田植えの手伝いにも来たが、あるとき、田植えの振舞のオセチにタデをまぜて食わせたところ、姿を見せなくなった。
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センコノタキノオゼン,ミズガミサマ,ユメマクラ
1987年 長野県
昔,病気の母親と暮らす若者がいた。若者は親孝行で,働き者だったが生活は楽にならない。母親の回復を水神様に願掛けしていたが,よくならない。一度でいいから母親に甘いものを食べさせてやりたいと思っていた。ある夜,夢まくらに水神様が現れて「千古の滝の傍で『お膳を下さい』と三度唱えればお膳が出る。ただし食べ終わったらお膳は元の所に返さなくてはならない」という。若者がお告げの通りにすると,ご馳走の並んだお膳が現れた。母親の病気はだんだんよくなり生活も楽になってきたが,隣人が若者の後をつけ,同じようにお膳を出してそのまま返さなかったので,水神様が怒って,それっきりお膳を出してくれなくなった。
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オナンガブチ
1991年 山梨県
昔、おなんという下女が粗相をして主人に叱られ、桂川の支流に身を投げた。これをおなんガ淵と呼ぶ。その後、村人が膳椀何人前と書いて、付近の岩の上に置いて頼むと、翌朝その数だけ用意された。ところがある時、10人前借りて5人前しか返さぬ人がいて、その後は貸さなくなった。その膳が淵の近くの神戸和彦氏方と都留市夏狩町の宝鏡寺に保管されているが、それは黒い漆塗りで、それに朱で稲の蒔絵が描いてあるという。
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(ワンカシブチ)
1987年 山梨県
東山梨郡三富村の笛吹川一の釜では、人寄りがあって多数の膳椀が必要の時、淵か川に行って頼むと、翌朝それだけの数が岸の岩の上においてある。用済の器具はよく洗ってお礼を言って岩に置くといつのまにかしまわれる。しかし、心のよくない者が返すときにその数をごまかしたり、壊して返したのでそれからは頼んでも貸さなくなったという。
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ヤマンバ
1983年 愛媛県
山中にヤマンバがいて、村で婚礼などがあると食器や膳を借りに行った。返す時に食べ物の残りがないように洗って返すとひどく怒った。ある年の大水でヤマンバの家が流された後に、小祠を建てて祀っていた。
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シンジャ,イケヌシ
1974年 富山県
越中蓑谷山の縄池で、貧乏な者が宴用の器が無い事を池の傍で呟いたところ池から朱椀朱膳が現れた。以来人々の願いに応じて食器を貸してくれたので家具貸の池と呼ばれるようになった。ある時老婆が返さなかったら洪水により老婆は死に、食器は貸さなくなった。
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ドクジャ
1976年 静岡県
桜村に池の社という方5町程の2つの池がある。毎年8月彼岸の中の午の刻に半切り桶に赤飯を盛って水泳が達者なものが池の半ばまで押し行き池の真中で手放す。池の水が渦巻いて桶は水中に沈む。伝えによると昔、国主が入国した頃、妾とこの池辺りに遊興した。すると俄かに池に波が立ち妾が池に引き込まれてしまった。国主は怒って池に焼いた石を投げ入れさせ続けた。7日7夜続けたところ毒蛇が死んで浮かんできた。頭は牛のようで、背に黒い鱗があり、白い角が生えていた。また肥後の阿闍梨皇円の霊魂がこの池に入ったとも言われる。
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ゲンベエブチ
1956年 宮城県
昔1人の僧が、毎年盆中に米ヶ袋の家を歩いて棚経をあげ、盆棚のお下がりを馳走になっていたが、何年たっても年を取る様子がない。ある年、またやってきて一軒の家で麦飯を馳走になる。そばで3,4人の若者が下の渕で毒流しの相談をしているのを聞きつけ、盆中の殺生は止めなされと固く戒めて帰る。源兵衛という者が跡をつけていくと僧は渕の中に消える。源兵衛が毒を流すと大鰻が浮んだので割いてみると、腹の中から麦飯が出る。
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