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検索対象事例

ダイダラボッチ
1989年 埼玉県
ダイダラボッチ(ダイダラ坊、ダイダ坊)という巨人が昔いて、定峰峠をまたいで腰掛けて昼食をとったその跡が数々の山になったという。巨人の足跡は今でも山中に凹地として残っている。

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デーラボッチャ
1990年 長野県
大昔、デーラボッチャという巨人がいた。南安曇郡穂高町牧のあしの沢・塩尻市洗馬のあしの田・松本市城山のあしの窪などはいずれもその足跡だという。室山はデーラボッチャが作り、背負山は背負子の土が落ちたものであり、松本にある中山は草履の土を払ったときにできたものだという。また、梓川村の火打ち岩はデーラボッチャの火打ち用の岩だという。
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デエダラボッチ
1940年 千葉県
デエダラボッチという巨人の足跡だと言われているところがあちこちにあるとされ、安食町の龍角寺にある足跡は、印西と印東にまたがって小便をしたときのもので、印旛沼は小便がたまったのだという。また、安食町にある大鷲神社の山は、その時に背負っていたものを落としたのだという。
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デエダラボッチ
1940年 千葉県
デエダラボッチという巨人の足跡だと言われているところが、あちこちにあるとされ、根郷村寺崎と太田の間に1つ、根郷村城から大篠塚へ行くところに1つあると言われている。
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ダイダラボウ
1986年 埼玉県
昔、秩父にダイダラ坊という大男がいた。ある年、ダイダラ坊は旅に出ることになった。そして昼飯の時に腰を下ろした所が定峰峠で、粥を煮て食ったところが粥新田峠、使った箸を突き立てた所が二本木峠、笠を置いた所が笠山だという。また、腹いっぱいになったダイダラ坊が大あくびをするのに足を伸ばすと、その足は槻川まで届いた。そして粥を煮た釜は荒川で洗い、その近くに伏せておいた。それが釜伏山である。
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ダイダイボツチノアシアト
1940年 埼玉県
富士と筑波を天秤に掛けて担いだダイダラボッチという巨人の足跡が現存する。
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ダイダイボウ
1989年 埼玉県
物見台跡は「ダイダイ坊の足跡」と呼ばれ、巨人伝説が残っている。対岸の山腹にはもう一方の片足跡があるといい、山岳巨人が伊豆ヶ丘の頂に腰をおろして休んだりしたのかもしれない。
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デーラボッチャ,キョジン
1980年 長野県
昔、飛騨にデーラボッチャという巨人がいた。デーラボッチャが背負ってきて下ろしたのが室山であり、背負子の土を払ったのが背中という山で、縄の土を払ったのが背負縄の山である。デーラボッチャは非常に大きな巨人で、槍ヶ岳に腰をかけて諏訪湖で足を洗ったとか、どこの池にはその足跡だという伝説が残っている。
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デエダラボッチ
1940年 千葉県
デエダラボッチという巨人の足跡だと言われているところがあちこちにあるとされ、酒々井町酒々井の西井戸に1つ、酒々井町の下台の谷上りに1つにあると言われている。
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デエダラボッチ
1940年 千葉県
デエダラボッチという巨人の足跡だと言われているところが、あちこちにあり、成田町論田にもあると言われている。
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デエデエボウ
1944年 山形県
雪が降ると、その上に飛び飛びに大きな足跡のようなものがつくことがある。デエデエ坊という1本足の巨人が通った跡だということである。
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ダイダラボッチャ
1986年 埼玉県
昔、ダイダラボッチャという大男が秩父の方から、モッコに入れた山を二つ天秤で担いで来た。高麗の辺りまできてひと休みしようと二つの山を下ろした。ところが、疲れていたので、一つの山は静かに下ろせたが、もう片方の山はドカッと急に下ろしてしまった。そーっと下ろした山が日和田山で、後から下ろした山は多峰主山であるという。多峰主山は急におろされたので、日和田山より小さくなっている。それからダイダラボッチャは足を洗おうとして日和田山に腰掛け、高麗川で洗った。そこが今の高麗の新井というところだ。
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ダイダラボッチ
1977年 神奈川県
真照寺の裏山は、萱ばかりで木が1本も生えないが、これは、昔ダイダラボッチがこの山をまたぐ時にしりもちをついたからだと言われている。また、ダイダラボッチは海岸の岩を一蹴りして安房の国へ渡ったと言われているが、その時の足跡が岩盤についていたという。
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ダイダラボッチ
1927年 東京都
昔、ダイダラボッチの背負ったきたものをいう。丸い小山があり、丸山と呼ばれている。ダイダラボッチはここで休んで立ち上がろうとしたら、藤の背負縄が切れて荷が落ちたという。
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デイランボー
1987年 長野県
字大原にあるくぼ地は,デイランボーの足跡だとされる。大昔の巨人の足跡だという。
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ダイダラボッチ
1992年 茨城県
ダイダラボッチというユーモラスな大男がいた。堤防を作るのを手伝った時にこぼれた土が峰山になった。
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ダイダラボッチ
1927年 東京都
ダイダラボッチが一休みして突っ立ったときの足跡と称する井戸がある。昔は2つあったが、今は片方しかない。
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ダイダラボッチ
1992年 静岡県
昔巨人が富士山のような山を千頭に作ろうと土を運んでいた。夜明けが近くなったので土を掘り出して行った。その土が丘となって残っている。また大井川を一跨ぎにして水を飲んだ時の足跡が遠州と駿河にそれぞれ足窪と名づけられ残っている。
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デーデッポ
1970年 千葉県
昔、巨人デーテッポがいた。足がひょろ長く、蜘蛛のように長い手の大男だったという。その足跡と称する場所が各地にある。巨人が手をのばして東京湾の貝を食べたのが、菊間の貝塚だという。また、この村の入口にある小山は巨人が足の土を払い落としたあとだといわれる。東京湾を渡って千葉から東へ行ったとも、東京湾の水を飲みきれずに死んでしまったともいわれる。
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ダイダラボッチ
1977年 神奈川県
ダイダラボッチは富士山を担いで西から東へ旅をして相模国まで辿り着いたが、ここでさすがに疲れて休憩した。だが、休憩を終えて富士山を再び担ぎ上げようとしても、びくとも動かなかった。力をこめて踏ん張ったが、縄は切れてしまい、踏ん張っていた足が地面にのめり込んでしまった。この地面にのめり込んだ足跡が鹿沼である。
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ダイジャボウ
1975年 埼玉県
ダイジャボウが二本の箸を立てた。これが二本木峠である。そして、腰をおろした所は休石といい、ダイジャボウの足跡は今でも大霧山山頂や粥煮田の下にある。また、二本木の地名起源に関しては、日本武尊が持っていた箸を捨て、それが根付いて二本の大杉になったからだとも言われている。
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