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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

イナリ,シロギツネ
1984年 長野県
足利の遺児永寿丸に仕える者の中に琴が上手な女性がいたので、里人はその音色に熱心に聞き入った。ある日永寿丸が白狐に従って山を下り始めた。途中で白狐が動かなくなったのでそこに寺を建て、境内に白狐の稲荷を祀った。

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ビャッコ
2004年 長野県
飯田市願王寺の伝説では、永寿10年に将軍足利義教と鎌倉の足利持氏が戦った。持氏の末子永寿丸は山中に逃げ延びたが、父祖の業を継ぐため松川の里山に下りた。そこで不思議にも現れた白狐の指示で信仰していた鎌倉稲荷の堂をつくる。鎌倉に戻った永寿丸は、大日如来と稲荷を本尊とした願王寺を建設した。正徳5年(1715)に松川が洪水に襲われ願王寺が被害を受けた。そこで僧弁存が再興を図ると、白狐が現れて現在の地を示したという。
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キツネ
1999年 滋賀県
昔、牧のオンバのキツネ谷に村の女達が柴を刈りに行くと、悪い狐がいて騙して困った。そこで小祠を設け、稲荷さんを祭祀すると狐の気が納まったのか、それっきり騙さなくなった。
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ハクゾウス,シロギツネ
1932年 大阪府
昔、稲荷を信仰する寺僧の下へ3匹の白狐が現れた。白狐たちは猟師を生業とする僧の甥を恐れ、僧に化けて甥に殺生を止めるよう諭した。これを聞いた僧も同様に諭したため、甥は殺生を止めた。白狐は代々今日まで境内の御堂に住むと伝えられる。
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サンボンアシノキツネ
1932年 大阪府
白蔵主という僧が、鎮守である稲荷神を篤く信仰し奉祀していた所、ある日三本足の狐を得た。これは神が与えたものと考え懇ろに養育した所、狐も白蔵主に慣れてよくその心を悟り、賊難を防ぎ、凶事を未然に告げるなど、その不思議なことは言葉に尽くせぬほどであったという。
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タケコマジンジャ
1956年 宮城県
承和2年(835)4月、参議小野篁が国司に任ぜられ多賀国府に下るとき、京の稲荷山の分霊を陸奥に勧請するため長櫃に収めて下った。途中、千貫松のふもとで八声鳴いて白狐が長櫃から飛び出し、武隈の森に走り込む。ここに社を建てよという神の告げとして分霊を祀る。陸奥に下った能因法師が、篁卿の建てた社の所在を竹馬に乗って遊んでいる童子に教えられたというので、寺を開き竹駒寺と称して別当とする。
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キツネ
1977年 東京都
安永の頃橋場真崎稲荷の後ろの神明社に狐が住んでおり、近所の茶屋の老婆が呼ぶと出てくるので、おいで稲荷と呼ばれた。狐は老婆の娘に憑いて、奥州の故郷に帰ると告げ、形見に一首歌を書いた扇子を置いていった。
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キツネ,オナバケハラ
1913年 茨城県
昔、老狐が猟夫に狙われて逃げ、百姓の家に入って助けられた。老狐は、その恩に報いようと、美人に化けて百姓と夫婦になり、二男一女ができて睦まじく暮らした。ある冬の夕、爐を囲んで話をしていると、ふと末の女の子が1首の歌を遺して姿をかくしてしまった。それからこの辺りを女化原と呼ぶようになった。女化稲荷は老狐を祀ったものだといわれている。
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〔サンミイナリ〕
1986年 埼玉県
天海僧正が喜多院の住職をしている時、三人の子供が訪ねてきて弟子となった。ある日天海僧正が日光へ出掛け、三人が境内で掃除をしていると、師が空の上から呼んでいた。三人は追いかけてそのまま行方がわからなくなった。その後、僧正は池の中ですりこぎとすり鉢とほうきを持って死んでいる三匹の狐を見つけた。これは稲荷が狐を子供の姿に変えて自分の所につかわしたに違いないと思い、三匹の狐を手厚く葬った。これが今の三位稲荷である。
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ダイジャ,キツネ
1988年 奈良県
ある婦人が菅田の森の子狐を哀れがり、自分の子と乳兄弟として育てた。狐はそのお礼に刀鍛冶の弟子になって宝剣子狐丸を打ち、婦人に送った。婦人はその威力で大蛇を退治し、剣を布留明神に奉納した。今その刀は石上神宮にある。
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キツネ
1930年 兵庫県
ある家に美しいお嫁さんがいて、美しい声で毎日歌っていたところ、声に惚れた狐が憑いてしまった。この狐を祓うため、全国の狐の総大将である伏見のお稲荷さんから護符を頂いてきたところ、嫁が急に恐ろしい顔で、「京都から2本さした侍が来る」といった後、狐が落ちた。狐が腹の中で毎日の食べ物を食べてしまっていたため、嫁は痩せて骨と皮だけになってしまっていたという。
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タケベラタロウ
1956年 宮城県
昔、巡礼の和尚さんがある村に入ると、1人の娘を真ん中にして家内中泣いている家があった。毎年秋の稔りのとき、向こうの山の神様に若い娘を人身御供として供えねば、田も畠も荒らされる、今年はこの家の番だという。和尚さんがその山の社に隠れていると、夜になって大勢の者がやってくる音がして「あのことこのこと聞かせんな。竹箆太郎に聞かせんな。近江の国の長浜の、竹箆太郎に聞かせんな。」と歌う。和尚さんは近江の国へ捜しに行くと、竹箆太郎とは小牛のようなブチ犬だった。和尚さんは竹箆太郎を連れて帰ってきて娘の身代りに長持の中へ入り、やってきた者たちと対決した。翌朝村人たちが行ってみると多くの猿が死んでおり、針金のような毛をした一番大きな猿が竹箆太郎にのどを深く噛み切られて死んでいた。それからはみんな安心して暮らすことが出来た。
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トケイイナリ
1956年 宮城県
宇津野左衛門四郎為忠という郷士の屋敷に、年を経た白狐が棲む。ある夜賊に襲われ、左衛門四郎は悉く賊を斬ったが最後に相討ちになり深手を負って死ぬ。間もなく息を吹き返すと、身に一痩も負わず、傍に白狐が斬られて死んでいた。主人に化して賊の目を欺き、身代りになったのだった。埋葬した場所に稲荷の祠を建て左衛門四郎稲荷という。のち斗瑩山光明寺が別当となり、山号をとって斗瑩稲荷という。
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キツネ
1982年 宮城県
及川氏の先祖が魚を馬につけて売りに行くとき、人間に化けた狐に魚をよく取られたので、次に声をかけられたときにきっちり縛りつけて捕まえた。同輩は殺そうとしたが及川の先祖は助けてやれと意見し、狐は助かった。その夜、狐が及川家の田圃で唄を歌いながら田植えをし、その田圃はその年豊作になった。それから及川家ではお稲荷さんを祀っている。
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キツネ
1933年 長野県
高島藩の家老職であった千野兵庫に随頓という家来がいた。そのころ剣術の稽古所にズイドンズイドンという音が毎晩聞こえるようになった。音を立てていたのは狐だった。その狐を殺すと随頓もいなくなった。
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キツネ
1977年 東京都
元禄の頃、本所小梅の稲荷の社に狐が住んでいた。近所の茶屋の老婆が呼ぶと姿を現すが、他の人が呼んでも出てこなかった。
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ヘビ,カニ
1976年 京都府
昔、綺田に美しい女がいた。ある時、村人が蟹を食べようと沢山取っていたのを、女は魚と交換して助けてやった。次の日、女の父が蛇が蟇を呑んでいるところを見つけ、蟇を逃がしたら娘をやると言った。蛇はすぐに蟇を放して去った。その夜、どこからか男が現れ、昼の約束の通り来たという。まだ娘に話していないというと去った。娘はそのことを聞いて仏前で読経をはじめた。蛇が現れ閨に入った。村人が戸を開いて中を見ると、女は無事で、蛇が数万の蟹に挟まれて死んでいた。村人はその所に寺を建立し蟹満寺と号した。
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フルギツネ,タヌキ
1984年 長野県
急に飛び出した狐を馬が踏み、狐は一目散に帰っていった。以来林では美女がくれた重箱を家に持ち帰ると中身は馬糞であったという狐に化かされる噂が立った。そこで村人は稲荷様を祀るようになった。葬式の真似をする狸もいた。
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キツネ
1937年 福井県
禄高を減らされた武家が伏見稲荷を勧進したところ、元の禄高に復帰した。この家の武士が住居を新築する時、この稲荷をともに移して祀ると出世した。稲荷堂の下に穴を掘り、狐の出入りを自由にして油揚げを供えていた。狐が移動する時、城壁の上に座っているのを見たが、そのうち狐が白くなっていったという。
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キツネ
1964年 福島県
幕末の頃の話。安斎氏の先祖が難産で苦しんでいたとき、狐が来てのたれ死にしていた。神下ろしに聞くと、それは京都伏見稲荷のお使いで、それが祟っているというので、供養に石祠を建てた。御仁稲荷と呼んでいる。
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ゲンゴロウギツネ,コジョロウギツネ
1975年 奈良県・三重県
大和国宇多に人の手助けをする源五郎狐がいた。あるとき飛脚に頼まれ文箱を運んでいるとき山中で犬に殺された。伊賀国上野の広禅寺にその妻だと言われる小女郎狐というものがおり、寺の手伝いをしていた。延宝のころのことだがいつの間にかいなくなった。
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