タタリ 1997年 長野県 旅の山伏がこの辺りに来て、病気が重くなり、葬ったが墓守を忘れて近所には原因不明の災いが続いた。行者が拝むと山伏の墓と分かり、お祭りすると災いが消えた。
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ヤマブシ,タタリ 1929年 北海道 あるとき上国の山伏が祈祷を行い、大漁となったら自分の願いも叶えて欲しいと言った。漁の時期は過ぎていたが、祈祷の結果、大漁となった。しかし村人は約束を守らず、憤慨した山伏は絶食して死んだ。そして遺言どおり、不漁の時でも上国だけは鯡が大漁であった。山伏の祟りによる不幸もあり、神に祭ることにした。
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タタリ,ヤマブシ 1935年 長野県 山伏が百姓に道をたずねたが、諍いになって殺された。何年か後に疫病が流行り、一人の病人が、神がかって告げるには、殺された山伏の死骸に木の根が絡んで苦痛なので、静かな場所に移してもらいたいとのことである。さっそく鎮め祀ったのが大平霊社である。
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〔ショウニンデン〕 1956年 宮城県 土地や豪族の屋敷内を無断で通ったという理由で、山伏が殺される。それを埋葬した土地の所有者がみな祟りをうけたので塚を築いて祀った。前にある田を上人田といって、その地主になると不幸が多く恐れられている。
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ガケノタニノジゾウソン,ヤマブシ 1975年 愛媛県 昔大飢饉があり、人々が雨乞いをしたが効果がなかった。どこからともなくやって来た山伏が崖の谷で滝に向かい念仏を唱えて断食の荒行を始めると雨が降ったが、山伏は死んでしまった。村人はそれを悼み、滝の傍らに地蔵堂を建てた。
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(ゾクシン) 1975年 愛知県 山の宮と同じお堂に若宮が祀られている。山伏が死んだときに近隣住民が祀ったものだが、下の病を治してくれるという。
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テング 1930年 山伏にあなたの故郷の神事を見ようと誘われ、たちまち空を飛んで氏神の社についた。森の梢で神事を見ていると、山伏に「寒いので火にあたりたくないか」と問われ「そうしたい」と答えると、山伏は団扇を持ち、扇ぐと火が燃えた。しばらく経って立ち去る時に、山伏は「今燃えたのはあなたの伯父の家だ」と言った。
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テングサマ 1970年 岡山県 山伏寺の福寿院には病気祈祷の人のほか、狐憑きの人もよく来た。福寿院の墓地のそばには天狗様が祭られており、天狗腰掛の松もあった。
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ヤマブシヅカ 1984年 長野県 恋仲になった家臣と姫がいた。家臣が山伏の姿となって落ちのびるが、その先で男は死んでしまった。山伏を葬って女は尼になった。終戦後ここを通った旅僧が山伏塚を見て霊験を感じ、西の方角に向って念じよと言い残していった。
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マリシテン,ヤマブシ 1983年 岡山県 天正の頃、村人が村にやって来た作法知らずの山伏を切り殺してしまったところ、悪疫が続いた。これは山伏の祟りであろうということになって祀ったのが、現在ある摩利支天なのだという。
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オテロウサマノイシ 1981年 長野県 御寺尾様(伊賀良社)の石の前で山伏が死んでいた。以来、その石の前で喋るとこだまが返ってくるという。
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ツカ 1957年 愛知県 塚と呼ばれている山伏の墓はよく祟る。原因不明の病はたいがいこの塚の祟りである。
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キツネ 1989年 長野県 山伏が、池の畔で昼寝していたきつねを池に蹴落とした。山伏が帰ると、突然辺りが暗くなって葬式行列が後からついてきた。山伏が桜の木に登ると、行列は棺をその桜の根元に埋めて帰った。夜更けに墓から死人が出てきて山伏に迫ったので、山伏は木から飛び降りて死んでしまった。
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ヘビ,タタリ 1986年 長野県 病人やけが人が続くので拝んでもらったところ、蛇の祟りだと言われた。あるとき、草刈りにいって草と一緒に蛇の頭を刈ってしまったことが原因だという。そこで、その蛇の祠を祀ることにした。
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シリョウサマ 1966年 長崎県 病人があるとか、不幸が続いたようなとき、ヤンボシ(山伏)やモノシリ(枯シバトリ)の考えを聞くと、それは死霊の祟りということになって、祀りはじめる。
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(タタリ) 1981年 長野県 山伏が村人と争って殺され、生き埋めにされた。しばらくして夜な夜な法螺貝の音が響くようになり、熱病が流行った。村人の一人に山伏が憑き、手足が縛られて苦しいと口走った。山伏の骨を拾い、供養すると熱病も治まった。それが法力様で、ご神体はその山伏の頭蓋骨。
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ムエンサマ 1943年 茨城県 大島の無縁様は女性からの信仰が篤い。無縁様は女の親子の行き倒れを祀ったとも言われ、夢に山伏が現れ祀ってくれと頼んだという。
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タタリ,ユキヨシサマ 1935年 長野県 宗良親王の子、尹良親王が松尾村を通る際、草履の紐が切れたので、一足譲ってくれるよう百姓に頼んだが断られ、裸足のまま去って、山中で土匪に殺された。その後、松尾村では祟りで、足を病む者が絶えなかったため、『ゆきよし様』といって社に祀られた。
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ヤマブシ 1929年 北海道 鰊の不漁が続いたので、村人が山伏を呼んで祈祷を行った。十七日間の絶食の末、神託を得たと山伏が言った。人々は喜んで、新しい網などをそろえた。しかし、いくら待っても鯡は一匹も寄ってこない。そうしているうちに、鰊漁の時期が過ぎてしまい、さらに村は窮地に陥った。
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ヤマンバ 1981年 静岡県 倉木山の山姥が福沢の子守りの子を食べてしまったので、焼石を食わせて退治した。山姥は苦しみ、天竜川に入って死んだ。祟ってはいけないと、浅間山に小さな社を建てて祀った。
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