国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

リュウジン
1967年 茨城県
海賊に襲われて商品を奪われ、惨殺され海に投げ込まれた死骸が7日7晩漂っていた。そして行き着いた所が一本松の岸辺であった。そこで死体は八頭の竜神となり、外浪逆浦に出現した。ここを通ると船にあだ討ちをするというので、村人は慰霊のために神社を建てた。

類似事例(機械学習検索)

チノデノマツ
1967年 福島県
岩城判官正道公が謀反人として殺され、その夫人は一男一女をつれて放浪していたが、海賊に二人の子を奪われ、後この地で死んだ。海賊に奪われた兄弟と別れ別れになった安寿姫は悪者の手から逃れたが、飢えと疲れで世を去った。これをあわれんだ村人は、なきがらを埋め松を植えて祠を建てたが、ある村人がこの松を切ろうとしたら、切り口から血が流れた。直後には切り口すらなくなって元通りになっていたという。
類似事例

ハットウジ,テング
1975年 長崎県
昔、八頭児という天狗がいた。八頭児は神通力を持っており、別に悪さをするわけではなかったが、退治することになった。八頭児は大きな足跡を残しながら逃げたが、川で休んでいた所を捕らえられた。その足跡が今も残っている。
類似事例

(ゾクシン)
1964年 福島県
狩りでは、7日がえり、7人かり場などは忌む。
類似事例

ヤマノカミ
1978年 山梨県
1月17日と8月17日は、山の神様が山で弓を引く日であり、当たると怪我をすると言って山仕事はしない。
類似事例

モウレイブネ
1982年 宮城県
海賊が上半身の幽霊のうじゃうじゃ現れるのをみた。その船をモウレイ船という。
類似事例

カッパ
1977年 福島県
4月7日に、川で水遊びをすると、河童に引かれるという。
類似事例

イッポンマツ
1985年 愛媛県
一本松を切って船にしようとしたら、松の下の川が血になったのでとりやめた。
類似事例

ヤマノカミ
1978年 山梨県
1月17日と8月17日は、山の神様が山で弓を引く日であり、あたるといけないと言って山仕事はしない。
類似事例

タヌキ
1985年 高知県
道行く人が機織の音を聞いたので、狸だと思って切った。しかし切れなかった。庄屋の所で刀を変えてもらって切りつけると、7日7晩渕に血が流れた。狸の仕業であった。
類似事例

(アカミガカッタソラ)
1980年
天明7年(1787)に米価が高騰したため、どこからともなく人が集まって、ほぼ同時期に全国の町で「打ちこわし」が起きた。この時、空は晴れているのに日光が薄く、何となく赤みがかっていたという。
類似事例

イッポンマツ,(ゾクシン)
1968年 愛媛県
島のほぼ中央部に十二社権現があり、以前は小祠があったが、今は松の下に瓦宮があり、ここを「一本松」という。入定した人の霊を祝ったものであるという。この一本松を傷つけたり、枝を折ったりすると、祟りがあるといわれている。
類似事例

ダイジャ
1987年 山形県
有野に7日7夜の大雨があったとき、洪水で神室山から頭が8つで体は1つの大蛇が流されてきた。
類似事例

ダイジャ
1987年 山形県
有野に7日7夜の大雨があったとき、洪水で神室山から頭が8つで体は1つの大蛇が流されてきた。
類似事例

ジンメンイヌ
1992年 山形県
人面犬が出現する場所は、山形市内の7日町一帯である。
類似事例

リュウジン,ウラシマ,リュウグウ
1928年 鹿児島県
奄美大島本島の龍郷は、竜神の本拠地であったといわれている。竜神を祀る天女の社で行われる祭りは龍願といい、ここが浦島の訪れた竜宮であるとされている。
類似事例

モウレイ
1982年 宮城県
モウレイは、海で死んだ人の霊が海に出現するもの。
類似事例

マシャ
1968年 岡山県
酉の日に葬式を出すと、墓へ行く途中魔者が黒雲に乗って死体をとりに来る。死体が奪われると音がして急に棺が軽くなると言う。
類似事例

オニ
1957年 兵庫県
吉井部落では、正月の7日に、カラの鬼と日本の鬼とが交際をした。その時に7色のものを入れて食べたという。
類似事例

リョウマ
1987年 山形県
1235年ごろのこと。大雨で神室山から土が落ちて、7日7晩水が流れて山になった。その上を白い龍馬が歩いていたので、龍馬山というようになった。
類似事例

ヨブコエ,アヤカシ
1992年 広島県
海から「こっちに来い」という声が聞こえてくる。声に呼ばれていったら死ぬ。6,70年前にその声に殺された人がいる。
類似事例

カッパ
1937年 鹿児島県
明治34,5年の事。接骨師が夜水浴びしていると河童に足を掴まれたので、その手を切って持って帰った。毎晩とりに来たが返さなかった。7日目の晩、河童が泣きながら7日を過ぎると付かなくなるというので返した。翌朝骨接ぎ法の書物が置いてあった。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内