テング 1983年 愛媛県 松山城主蒲生家につかえる松本忠四郎が久万山で天狗に笛を吹いて聞かせたところ、お礼に開けてはならないと言って文箱をもらった。ところが、殿様がこれを開けると、「蒲生家断絶」と書いた紙切れが入っており、蒲生家は断絶してしまった。
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テング 1932年 熊本県 肥後の龍峯山の天狗に隠れ蓑と隠れ笠を借りた彦一は町で飲み食いして返さなかった。天狗は怒って彦一が嫌いといった金と餅を彦一の家に投げ付けた。彦一が大喜びで天狗が嫌いと言ったフルイをかぶって出て行くと、天狗は二度と現われなかった。
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クロギツネ 1931年 北海道 昔、松前家が13代道広公の時、尻内山に黒狐がいるという噂が立ち、殿様がその川で裘を作ろうと、家臣にそれを命じた。狐を撃とうとすると暗闇になったが、原谷伴蔵という家臣が「君命だ」というと黒雲は晴れ、黒狐を撃つことができた。この肉を食べた中津源兵衛はやがて聾になり2、3年で死んだ。その後毎夜狐が現れ「皮を返してくれ」と哀願したが、殿様は皮を返さなかったという。
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テング 1973年 三重県,滋賀県 三重県と滋賀県の県境の山に天狗が住んでいた。月夜の晩に炭焼きに行くと、天狗の笛や歌が聞こえてくる。鉄砲を撃ちに行った人が夜、炭小屋に泊まったところ、澄んだ声でオーイと呼ばれた。その人が相手になっていると、突然山が荒れて小石が落ちてきたりした。若者が肩を組み念仏などを唱えていると、小屋が揺れて大木が折れた。翌朝、外には小石も落ちていなければ木も折れていなかった。
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テング 1931年 兵庫県 博奕打が負けて帰る途中の峠で独り言を言っていると天狗が来て、さいと羽扇を交換した。天狗は博奕の稽古をしていたところを村人に見つかり、逃げようとしたが扇がないので逃げることができず、とうとう捕らえられてしまった。
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テング 1938年 福井県 武士が夜通ると、天狗に呼び止められた。毎晩邪魔をするといって天狗が刀を振り回したので、武士も勝負をした。武士が勝ち、天狗の刀を取ったという。その刀は今でも家の家宝になっている。
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テング 1984年 愛媛県 篠山に住む天狗が蕨岡家の老樟に来て、当主助之丞をからかった。助之丞は怒って天狗の翼を射落とし、隠すと、天狗は困って翼と引き換えに永代この家を盗難から守ると約束して帰った。以来当家には盗賊が入らず、「戸たてず庄屋」と呼ばれるようになった。
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テング 1992年 三重県 慶応時代、関ヶ原の合戦で落ち武者となった権兵衛という男が、下野代に住みついた。しかしあるときどこかへ行ってしまう。鐘や太鼓で探し回る。3日目に古野の山から天狗にもらった木の葉でつつんだ団子を持って出てくる。天狗が寺や神社に連れて行ってくれたのだという。空を飛んでいったという。後に権兵衛は死んだ。
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テング 1999年 宮崎県 松叶の七つ山の松の古木に天狗が住んでいた。ある日、松叶の百姓が天狗をからかって、籾とおしで透き見るとどこでもよく見えると話しかけた。天狗はうらやましがって隠れ蓑と籾とおしを交換した。だまされたと気づいた天狗は、籾とおしを投げ捨ててどこかに行ってしまった。
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オオムジナ 1956年 宮城県 文化年間、加美郡宮崎村地方に、福原縫殿という狩の達人がいた。秘蔵のオキ笛を持ってあるとき山奥に入った。夕方になって獣寄せの笛を吹いていると、朝別れたはずの妻が大木に寄りかかっているのが見え、不審に思い仕留めた。しかししとめたあとも妻の姿のままであったので不安になって家に帰ると妻は無事だった。下僕に探しにいかせると、それは年を経た大狢であり、その物凄い形相に村人は皆驚いたという。
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テング 1992年 三重県 男の人が帰る途中に笛の音を聞き、谷底へ落とされるがどこも痛くない。松の木に天狗が住んでいて、天狗の機嫌が悪いときには人を投げ飛ばしていた。天狗は山の守り神だが、くらま山に封じられて以来姿を現さず、松も枯れた。
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クダギツネ 1977年 神奈川県 ある家の先祖は御殿奉公をしていたが、宿下がりのときに文箱を貰い、これを絶対に開けてはいけないと言われた。祖先はこれを大切にしていたのだが、ある時、家人がこれを開けてしまって中にいたクダギツネが飛び出し、各地の病人に憑くようになってしまったのだという。
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ジンガモリノロウエン 1956年 宮城県 沢口覚左衛門(只野伊賀の末弟)は鉄砲の名人といわれた侍であったが、文化3年(1806)9月初め、同地切込村の百姓源吉方を宿として、そこから3里ほど山奥の陣ヶ森に猟に出かけた。小雨の中、真夜中すぎに森へ着き、鹿をおびき寄せるためにオキ笛*を吹くと、ケタケタと女の声がする。鹿はその声で逃げてしまい、再度吹くと、巨大な狒々らしきけものが現れて踊り狂い、鉄砲で撃った。その時、武士の命である鉄砲を滑り落としてしまい、奇獣も探した見つからず、正八幡・摩利支天に声を出して祈願して鉄砲だけは取り戻した。源吉方に戻り、湯を沸かさせ身を浄め、神々に御礼を申し終わってから皆に一部始終を話して、怪獣の死骸を探しに行こうというと、皆はしり込みした。そのあたりは「四日切」といい、昔から魔の山沢といわれて種々の怪奇や災禍のあった不入の山だという。こうして死骸は得られず、その後その山に入る人もなかった。(*オキ笛:マタギや猟人が口に含んで鳴らす秘密の猟笛。作り方にも秘法があり、妖魔や怪獣を呼び寄せる力があるとも)
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テング 1932年 鳥取県 鳥取の魔尼山には天狗が住んでいた。大工町の西野という家の一人息子が行者風の男にさらわれた。7年ほど後、西野の妻の夢に息子が現われ、天狗のもとで修行中で、披露式の為に屋根に野菜と強飯を用意するように告げた。その通りすると、夜中に風と共に話し声がして静かになった。何十年か後、西野家羽団扇が届けられ、我子の形見かと思った。そして西野家は大火でも焼け残った。
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テング,ハネヤスミキ 1956年 岡山県 天狗が飛来する山は不浄を忌む。彦四郎という男が山に飛んでいって以降、園山に入ることは禁止された。また天狗の羽休み木の近くに牛馬や女が近づくことを忌む。
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テング 1932年 長野県 横川山には天狗が住んでいて笛や太鼓の音がした。藤蔓をとりにその山へ入った男を案内してくれた白髪の老人に、弁当を分けてやるとお礼にと金銀の混じった石をくれ、他の者にやってはいけないと告げた。男が知人にうっかり分けてやると、その知人は三日目に死んだ。
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ヤマバト,ハチマンダイボサツ 1974年 東京都 寛永13年ころ、徳川家光の弓大将であった松平新五左衛門尉直次に与力すべく、人々がある場所で弓の稽古をしていた。人々は徳川家の氏神である八幡大菩薩が弓矢の守護神だったので、同地に八幡宮を勧請することにした。彼らの願いは叶えられたが、その時山鳩が3羽松の枝にとどまったといい、人々は八幡大菩薩の影向と受け止めたという。また将軍家に若君が生まれたのは、社僧が受けた八幡大菩薩の夢告に少しも違わなかった。他に神前で風流の踊りをしていると、亥の刻あたりに神木の松の梢から、提灯ほどの光るものが出てきて、社の上に落ちた。
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キツネ 1984年 愛媛県 河野通直という男の妻が二人になった。姿や発言も同じだったので、しばらくはどちらが本物なのか分からなかったが、食べ物を食べている時に違いが出て、捕らえて拷問したところ、狐の正体を現した。この狐を殺そうとした時、四国中の狐が集まり、この狐は貴狐明神の末稲荷の使者長狐という日本の狐の王であり、これを害した時は国に大災が起こり、化けの神変が断絶してしまうので助けてほしいと願い出た。河野はこれを聞いて不憫に思い、四国中の狐が四国から立ち去れば助けようと誓文を書いて約束した。以来、四国には狐がいなくなった。この誓文が今も河野家に伝わるが、これをなくすと狐たちは戻ってくるという。
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サンチュウノキ 1976年 群馬県 ある、殺生好きな侍が、草履取りと共に山に小屋を掛けて狩に入ったが、獲物が獲れそうになかったので下山しようとしたところ、山の奥からざわざわと音がして、大きな火の玉が小屋に向かってきた。侍が弓で射ると、鉄球にあたったような音がして火は消えた。その後、家まで帰ると侍の母親が怪我をしたという。母の部屋に行くと、侍が射った矢が落ちていたので、草履取りと共に押さえつけた。暫くはうめき声が聞こえたが、やがて静かになったので、見てみると、夜着以外何もなかった。家人も消えていた。
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テング 1921年 徳島県 藩士浅川八衛門は四人の仲間とともに力自慢をしていた。ある時訪れた見知らぬ小僧を八衛門が懇ろに迎え、障子襖を締め切って密談をしているので、母が覗くと小僧は天狗であった。以来天狗とともに八衛門の姿は消えたので、天狗になったといわれている。
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