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検索対象事例

シチニンミサキ
1985年 愛媛県
大正年間、七人が乗った舟が嵐にあった。七人は助けを求めたが、島の人は危険であるため助けに行かず、七人は遭難して死んだ。30年後、18歳の青年が海の中で死んだ。その後も同様のことが起こったので、七人ミサキの祟りだと言われるようになった。

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シチニンミサキ
1983年 愛媛県
大正年間、七人が乗った船が遭難したが、島の人は危険であるため助けなかった。その30年後、夜船の番をしていた青年が水死した。その後も同様のことが起ったので、それは七人ミサキの祟りであると言われるようになった。
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シチニンミサキ
1960年 愛媛県
40年前に魚島の沖で7人の人が乗った船が嵐にあって遭難したが、誰も助けに行かなかったのでみな死んでしまった。それから30年後のある日、港で18歳の少年が右の足に錨を、左の足には石をくくりつけて海の中で死んでいた。また昭和30年5月にもある船で同様の死体が見つかった。20年前に死んだ青年の幽霊という。島の人は7人ミサキのたたりという。
類似事例

シチニンミサキ
1983年 愛媛県
旱魃がおこった時、農民間で水争いがおこり、農民七人が殺されて人に祟りをなした。これを七人ミサキという。
類似事例

シチニンミサキ
1985年 愛媛県
干ばつの年、農民の間に水争いが起こり、農民七人が殺されて祟りをなした。これを七人ミサキと言う。
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シチニンミサキ
1978年 高知県
水死人の怪異としては七人ミサキというのも知られているが、よくこれについて知られているのは、海辺の特定の場所に伝承されていることが多い。これに憑かれると舟が動かなくなり、また七人の友が誘い込まれたりなどするのだという。
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シチニンミサキ
1983年 愛媛県
水死人を見たら七人ミサキといって取り上げなければならない。見捨てると祟りがおこる。
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シチニンミサキ
1943年 高知県
七人みさきの起源は、昔、遍路が道で死んでいたのをある村のものが弔わずに、樽に入れて沖へ棄てたものが海岸に漂着し、何時の間にか崖下に埋まったそばに松が生え、夜に火玉が飛ぶようになったという。そこを通ると必ず病気になる。その後、7人の遍路が死に、これを女遍路の祟りとして祀るようになった。
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シチニンミサキ
1965年 高知県
海に行くと七人ミサキに憑かれることがある。海で死んだらあとを誘う。七人とると最初の死人は仏になれるという。拝んでくれる人に頼んで、落してもらう。
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ミサキ,イキアイ
1985年 愛媛県
海難事故等で死んだ人の霊をミサキと言い、人を一人殺すと成仏するといって恐れられた。ミサキに行きあって災いを受けるのをイキアイと呼び恐れた。ミサキには天ミサキ、海ミサキ、七人ミサキがある。
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シチニンミサキ
1985年 愛媛県
水死人を見たら、七人ミサキといって、七人取りあげなければならない。見捨てると祟られ、よくないことが起こる。
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シチニンミサキ,オンリョウ
1985年 愛媛県
鷹狩りの鷹を食べた一家七人が山之内の里人に訴えられ斬首された。その後、山之内の者が斬首の場所を通りかかると必ず何か災害を受けた。一家の怨霊の祟りとされ、七社権現として祀った。これも七人ミサキの一種である。
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タタリ
1965年 岩手県
1885年のことと伝えられる。高田市矢の浦に嵐で舟が漂着した。そこに川から女が箪笥にすがって流れてきて、助けを求めた。しかし舟に乗っていた12人の男は箪笥だけを取り上げ、女を見殺しにした。そのタタリがあって、11人まで離村・放浪するはめになった。村に残った男も妻が不治の病にかかって神経衰弱になり、夫婦で海に身を投げた。親戚が葬式を出してイタコに聞くと、箪笥と女の件を語り、家にオカイドリ(うちかけ)があるはずだといった。はたしてオカイドリがあったので、親戚の者はそれを寺に納めた。12人の男の家はすべて絶えた。
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ユウレイ,ヒノタマ
1956年 東京都
昭和初年、三重の商船学校の練習船が難破して7人が亡くなった。その附近で夜、イカ釣りをしていたら火の玉が沖から転げてきた。その霊だろうと思って水とご飯をくれてやったら、火の玉は消えて、後ろから照らすように見えた。
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ナナツノカメ
1929年 鹿児島県
7人の子供が浜で船に乗って遊んでいるうちに流されて亡くなった。母親はどこの島へ流れ着いても神になって祀られるようにと祈って死んだ。子供らが大事に持っていた7つの瓶は村に祀られており、年の吉凶を占うことで知られる。
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ヒイミサマ,ボウレイ
1928年 東京都
大島の泉津村で一揆が起こったとき、30人あまりが神津島に流されることになったが、1月24日に暴風雨のために全員が海に消えた。その亡霊が泉津村にくるので、24日の晩は海を見てはいけないといわれている。もし、船を見ると祟りがあるといい、この晩は真っ暗にして火をたかない。また、日が暮れると戸を閉じで外出しないのだという。
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オタチキサン,シチニンミサキ
1985年 愛媛県
戦死、水難などで非業死した霊を祭ったものを七人ミサキと呼ぶ。戦国の昔、石川源田悠人その部下六人が討ち死にした。その後、夜に死んだ主従七人が話しながら通るのに村人が出会うので、七人の霊を祀った。
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シチニンミサキ
1943年 高知県
七人みさきにであうのは船に乗っているときや磯にいるときで、天候の悪い日である。目には見えないが体がぞっとして、熱が出る。沖で遭難したものや、横死した者の亡霊が祟っているためで、人ひとり殺すと、ひとつの亡霊が正しい仏になれるため、常に人間に取り憑こうとしている。
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カワノヌシ
1975年 山形県
大正十三年の冬、最上川を舟で嫁入りする一行の乗った舟が突然ひっくり返って波にのまれた。七人の村人が助からず、花嫁はさがしても見つからなかった。最上川の主にみこまれたのだろうといわれている。
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シチニンカリュウド,シチニンミサキ,シチニンヅカ
1927年 静岡県
七人狩人の墓として伝えられる塚がある。七人みさきとも七人塚とも言う。7人の狩人が山に入ったまま行方不明になった。7人のミサキ(霊)を祀り、塚をつくった。
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ミノガメ
1939年 岩手県
大正元年頃、若者3人が沼で漁をしていると頭に毛をかぶった大亀が現れ、口から毒気のある息を吐いた。3人は逃げ帰ったが、それが原因で皆死んだ。
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