カッパ,ヒヤウスベ,イシ,スイジン 1914年 佐賀県 潮見神社に祀られている澁江氏は代々河童の主で、社の側に河童の誓文石がある。その由来は、昔、澁江氏が河童に「もしこの石に花が咲けば人を獲っても良いが、咲かない限りは人を襲ってはいけない」と約束させたことによる。そのため、潮見神社は水難にあったことがない。毎年5月5日になると、澁江氏が河童に筍をごちそうすることから、水神に筍を供するようになった。
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ヒョウスベ 1963年 ヒョウスベが菅公に悪戯をしたが腕を切られてしまい、やっと返してもらった代わり、何か御礼をしましょうと約束したという。その時詠んだ歌が「ヒョウスベの約束せしを忘るなよ川立男我も菅原」である。
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アマゴヒワカ 1975年 広島県 備前国の水野義風という武士が、主人に命じられ雨乞いの歌を詠んだ。百姓は喜んでこれを持ち帰り、産土神に供えて効験を得たという。それから今に至るまで、日照りの時にこの歌を出して祈ると、必ず雨が降るという。
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(アメヲトメルワカ) 1974年 烏丸光広という公家が雨を止める和歌「祈るより水せきとめよ天河これも三島の神の恵に」を詠んだところ忽ち止んだという。また春日祭で上卿を務めた時も「ふらばふれみかさの山の雨なればさしては何かくるしかるべき」と詠んで雨を止めたという。
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レイム 1929年 岩手県 宮古町本町の西方に郷社八幡宮には歌碑がある。寛弘元年一条天皇の頃、阿波の鳴門で争いが起こり朝廷令を諸道に伝えて之を鎮静しようと試みた。たまたま横山の祠官某がある夜霊夢によって神歌を得た。急いで阿波へと出立して、その歌を誦えると忽ち鎮静して海面は鏡のようになった。
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〔オオカミナリ〕 1975年 紀州対山公が鰹釣りに出られた時、雷で船中に火の玉が落ちた。しかしそれを毛氈で掴んで海に投げ込み、小謡をゆうゆうと謡われた。
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アンバヤシ 1939年 千葉県,茨城県 あんばやしは疱瘡ばやし、ショウセンばやしとも言われており、花見秋の片祭、鎮守の祭等の神いさめに唄われ、広く一般に知られている。
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ガワッパ 1975年 熊本県 水に入る時「樋の口さんの一の孫」と唱えれば水難を免れるという。
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アマゴイノク 1981年 川柳作家の島津富という者が酒の席で語ったところ、ある時田舎の逗留していた時、雨が降らなかったので、百姓らが雨乞いの句を請うた。津富は固く辞したが聞かなかったので、精進潔斎して「しろしめせ神の門田の早苗時」という句を詠み、それを神前に供えると大雨が降り出したという。
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カッパガミサマノミタラシイケ 1956年 宮城県 磯良神社,通称河童神様の御手洗池はどんな日照続きでも水の涸れることがなく,それが用水堀に続いていた。昔,近所の安彦甚之丞という者が,ある夏仲間と二人で用水堀をくぐって泳ぎ回っているといつのまにか水底から水の無い所に出た。そこには立派な家があり,窓から覗くと美しい娘が機織をしていた。「ここは人間の来る所ではない。早く帰りなさい。」「ここに来た事を三年経たぬうちは人に語るな。語れば必ず禍がある。」と言われたので,夢中で逃げ出すと何時の間にか元の用水堀に出ていた。一人はつい口を滑らせてしまい,原因不明の高熱で急死してしまったが,甚之丞はなかなか話さなかった。
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カッパ,ヒョウスンボ 1930年 宮崎県 150年余り前、佐土原にやんぼしが住んでいた。ある夏やんぼしの息子がヒョウスンボにとられた。怒ったやんぼしはホウゴツを書いて川に流した。するとヒョウスンボはシガツロに上って死に、それを祀ったのが今の水神様である。
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ワカノトク,カジワラカゲスエ 1974年 群馬県 和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。源頼朝が浅間三原狩鞍の時、激しい雷雨に見舞われた。そこで梶原景季が狂歌として「昨日こそ浅間はふらめ今日は又みはらし玉へ白雨の神」と詠んだところ、しばらくして晴れたという。
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ジゾウサン,ネツビョウ,ジビョウ,(ゾクシン) 1961年 愛媛県 水難除けの地蔵が河ヶ平にあり、もし子供が水死したときにはその子を遊ばせてくれるという。また、熱病の時には自分の年の数ほどの川石と三角形の握り飯を供えると治るといわれている。耳病の時には土器に穴をあけて糸を通したものか、竹皮の草履2足か、紅白の前垂れかけを供えるといいという。
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(ゾクシン),カワンカミ 1936年 熊本県 川に小便をしてしまったときの歌よみ(唱えごと)。「川ン神さん川ン神さん、どうぞ、小便ばさせち下はいまっせ」。
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ワカノトク,ノウインホウシ 1974年 愛媛県 和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。伊予守実綱が太山祇社で雨乞いの際に、能因法師が「天河苗代水に塞きくだせ天下ります神ならば神」と詠んだところ、たちまち大雨が降り続いたという。
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フクタロウ,カワタロウ 1935年 神奈川県 相州金澤村の漁村、重右衛門の家に持ち伝わる箱に、水難疱瘡の守り神と記してあり、家の中に祭ってあった。享和15年5月15日夜に重右衛門の妹の夢の中に童子が来て、私はこの家に久しく祭られるが、未だによく知るものがいないので、一社を建ててくれ。そうすれば水難疱瘡麻疹の守り神として擁護するといった。妹はそれを親類に告げ、箱の中を見ると異形のものがいた。面は猿のようで四肢に水かきがあり、頭には凹んだところがあった。それを福太郎と称した。その後他の家に出したがそこでも夢告があり、水神と勧請した。またさまざまな霊験があったという。
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ミソシ 1958年 石川県 河童(みそし)は人畜を害さないと約束し、神社の柱に手判をしてかえった。その跡は今も残っているという。
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ヘビ,ナイジン 1936年 岩手県 草刈をしていて蛇を傷つけてしまったところ、子供に蛇の祟りがあった。お水神様を祀るとおさまった。
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シロスベ 1975年 香川県 泳ぐ時に「白スベよ、よう、昔菅原の川で鹿と合戦の時に清正公大神宮様に助けてもらった恩を忘れたか、アビラウンケンソワカアビラウンケンソワカ」と唱える。
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テング 1932年 群馬県 上総の千葉左衛門経政は、一子相満を船尾山水澤寺にあずけた。相満が14歳になったとき、行方不明になった。経政は息子を和尚が隠したと思い寺に火をつけた。炎の中に白髪の老人が現われ、背後に息子の姿が見えた。息子が天狗にさらわれた事を知った経政は谷間で自害した。村人は憐れんで経政神社を建てて、その魂を祀った。
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