ヤマノタロウ,カワノタロウ 1950年 熊本県 2月朔日に山の太郎と河の太郎が交替するので、この日は太郎朔日と呼ばれる。
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ヤマタロウ,カワタロウ,ヤマワロウ,ヤマワロ 1999年 宮崎県 山太郎は山の神で、2月1日を太郎朔日といい、山太郎と川太郎が交代する日。山太郎は山わろうともいう。
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カッパ,ヤマンタロウ 1992年 熊本県 球磨郡では、2月1日を太郎朔日という。山ン太郎という河童が山から下って川に入る日なのでそういう。
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ヤマンタロウ,カワンタロウ,カッパ 1949年 熊本県 河童は年に二度、山と川を去来する。山にいるときは山ン太郎、川にいるときは河ン太郎と呼ぶ。
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ヤマンタロ,カワンタロ 1974年 熊本県 旧2月1日は太郎朔日であり、この日にヤマンタロが球磨川に入りカワンタロになる。仲よくなるとヤマンタロは仕事を手伝ってくれる。
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ヤマンタロウ,カワンタロウ 1985年 熊本県 ヤマンタロウとカワンタロウは2月1日(太郎朔日)に入れ替わる。
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ヤマノカミ,サル,イヌ 1982年 新潟県 2月9日、12月9日は山の神祭りで、この日山に入ると猿が犬に乗って走り回っており、その場に出会うと死ぬとされている。
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カッパ 1929年 大分県 春と秋の彼岸になると、雨の降る夜にヒュウヒュウと声をたてて水路に沿って通るものがある。通った後には赤子の足跡のようなものがある。これは河童が山と川を往来するのだと言われている。
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ヤギョウサン,クビキレウマ 1920年 徳島県 大の晦、小の朔日を夜行日といい、真夜中に悪魔が盛んに横行する。十字路は最も多く集まる場所で、人が行き当たると道に迷いまわる。悪魔の大将やぎょうさんは首切れ馬に乗っており、通行するときは馬の鈴の音がする。
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(ゾクシン) 1982年 新潟県 7月(旧6月)朔日はムケノ朔日といい、この日は人間や蛇が皮を脱ぐといわれ、半日から1日仕事を休む、など。
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カッパ 1989年 鹿児島県 年に2回、お彼岸のころに朝早く山から川筋を通って「ピーヒョロー」という河童の声が聞こえてきた。河童は夏に川へおりて冬は山へもどるという。
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ヨブコエ 1990年 秋田県 4月の朔日に山へ行ったら、人の声がして雪がおちてきた。
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カッパ 1973年 富山県 12月1日を川渡りの朔日、川浸りの朔日という。餅を川に投げたり食べたりすると水難をまぬがれ、河童にとられることもないという。
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コエ,ヤマタロウ 1952年 夜に山道を歩いていると、山太郎がホォーイホォーイと呼びかけてくることがある。
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カッパ 1964年 福島県 12月1日はカッパレ、カッパリヤの朔日という。仕事を休みにしてぼた餅を川に流す。川の好きな子どもがこの日、友達の河童にぼた餅をやった。あとで河童がいうには、河童の親が病気で、子供の生肝を食わせれば治るというので肝を狙っていたが、ぼた餅をもらったので殺せなかった。ぼた餅を食わせたら治ってしまった。だからこの日にぼた餅を食わないと川を越せない、河童に引かれるという。
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テング 1943年 山形県 ある夏の非常に月の良い晩、1時半頃に大勢の人が声高に喋りながら登ってくる声が聞えたが、翌日尋ねてみるとそんな者はいなかったといわれた。天狗の道中というものだろうと気味悪くなり、それからしばらくは夕方になると妙に淋しい気分になって困ったという。
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タノカミ,ヤマノカミ 1982年 新潟県 2月16日と10月16日は各地で田の神まつりが行われる。春は田の神が山や家や天竺からおりてくる日、そして山の神が田の神に戻る日という。春は山の神が田の神になり、秋は田の神が山の神になるといい、田の神・山の神を同じ神、また、別々の神とするなどあるが、概して両者の交代説が濃いようだ。
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カッパ 1953年 鹿児島県 ある青年がヒョイヒョイという河童の声を追いかけ、翌朝その付近を見ると道にたくさんの足型がついていた。また昔飛脚が走っているとヒョイヒョイと河童の声が聞こえ、幾百もの者が追いかけてきて、飛脚はほとんど失神状態になった。
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ガワッパサマ,カッパ 1949年 鹿児島県 河童は、春の彼岸には南から北へ、秋の彼岸には北から南へ移動すると言われている。ヒュウヒュウという音が聞こえると話しを止めて、今「がわっぱ様」がお通りなされる、と言って謹んで聞く。
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(サイショウガツリュウゲン),シンエン 1983年 坂本の日吉山王の神猿が言うには、今年は天下が豊作だといい、また1匹は人々が多く死ぬといい、またもう1匹は今年も明け新年と改めればよいだろうと言ったので、5月1日を元旦として災難を除けたという。80歳ほどの老人が言うには、自分が8歳ぐらいのときに、年の半ばで正月の祭りを行ったのを覚えているという。猿が話した事を「明言神猿記」と題して売る者もいた。
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