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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

オオウナギ,シロナマズ
1982年 島根県
せめくらの滝は尼子毛利の合戦の際、毛利の武将が自決した場所だという。昔この滝に耳のある大鰻がいた。武士の霊が渕の主になったといわれていた。旱魃の時に祭ると霊験があったが、いつの頃か大きい骨を残して死んでいた。また、鰻ではなく白鯰ともいう。

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ゲンベエブチ
1956年 宮城県
霊屋橋下左岸の渕、崖の上に源兵衛という者が住む。五月雨のふる夜、渕のヌシの鰻が若い女の姿に化けて源兵衛を訪ね、「明晩、賢渕の蜘蛛と合戦があるから、源兵衛ここに控え居るといってくれれば勝つ」、と加勢を頼む。当夜臆病な源兵衛は約束に背いて家の中で震えていて加勢しなかったので鰻が負ける。夜が明けたとき向岸に大鰻の頭が浮かび、源兵衛はそれを見て気が狂って死ぬ。
類似事例

トウスケブチ
1956年 宮城県
牛越橋下の渕にヌシの大鰻がいる。岸に住む藤助という者が渕で釣りをしていると、渕の底から藤助を呼ぶ声がして、明晩賢渕の蜘蛛が責めてくるから必ず声を立てるな、そうすればおれが勝つから頼む、という。合戦が始まった時、藤助は恐ろしさの余り約束を破ってあっと声を立てたので、鰻が負ける。
類似事例

ゲンベエブチ
1956年 宮城県
昔,渕の崖上に源兵衛というものが住んでいた。梅雨頃,夜更けに若い女がきて「私はこの渕の主の鰻で,明晩川上の賢渕の主の蜘蛛と一騎打ちをする。その時あなたが『源兵衛ここに控えおるぞ』と声を掛けてくれれば勝てるのでよろしくお願いします。」というので源兵衛は承知した。翌晩鰻と蜘蛛の大合戦が始まったが,あまりの怖ろしさに源兵衛ここにいるぞと言えなかった。翌朝見ると鰻の首が噛み切られて源兵衛の家の方を睨んで浮かんでいたので,それを見た源兵衛は気が狂って死んでしまった。その後この渕を源兵衛渕と呼ぶようになった。町の人々が供養のために建てた小祠が近年まで残っていた。
類似事例

トウスケブチ
1956年 宮城県
藤助が渕で釣りをしていると水底から呼びかけられた。声の主は長年渕に住んでいる鰻で,「明晩賢渕の蜘蛛が攻めてくるので声を立てないでほしい,負けてしまうから」と藤助に頼んだ。明晩合戦が始まると藤助は余りの恐ろしさに声を上げてしまい,鰻が負けた。その時鰻の首がものすごい形相で睨んだので,藤助は気が狂って死んでしまった。以後藤助渕と呼ばれるようになった。
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フチノヌシ,オオウナギ
1957年 神奈川県
音坊という男が渕で大鰻を釣り上げたが、あまりに大きいので首を切って担ぎ出そうとしたが水の中に落ちて男は死んだ。ゆえにそこをオトボウ渕と名付けられた。
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ウナギ,ヘビ,アオイヒ
1987年 和歌山県
400余年前、美しい乙女と若者が旅を続けていたが、ある夜若者が乙女の前から姿を消した。乙女は狂乱して探したが見つからず、滝に身を投げて死んでしまった。その後、滝壺に雌雄の白鰻が住んでいるのが見つかった。乙女が身ごもっていた赤ちゃんの化身だろう。丑の刻、青い火がゆれて赤ん坊の泣き声が聞こえたという。
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ゲンベエブチ
1956年 宮城県
お盆の頃町内の若者達が鰻捕りの相談をしていると坊さんがやってきて「お盆中に殺生などやるものではない」と説教していった。源兵衛があの和尚は渕の主らしいといったので,仲間達は一層勢を得て毒揉みをした。すると大きな鰻が浮かび上がり,腹を裂いたら先刻の和尚に馳走した麦飯が出てきた。源兵衛はその祟りで死んでしまったので源兵衛渕と呼んだ。
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コイ
1931年 大阪府
昔、不思議な輝きを持つ鯉が獲れた。余りにも珍しいのでしばらく養っていたが死んでしまった。それをある寺の住職が懇ろに供養したところ、住職の夢に1人の武士が現れ、自分は徳川方と戦って討ち死にした大坂方の者で、あの鯉は自分であることを告げた。
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〔カシコフチ〕
1956年 宮城県
昔,男がこの渕で釣り糸をたれていると,1匹の蜘蛛が男の脛に粘々するものをつけ,向こうに行ってはまた何かつけて帰ってくるということを繰り返した。男がそれを傍らの柳の大木になすりつけておくと,やがて柳の木が根こそぎ渕の中に引き込まれてしまい,渕の底から「賢い,賢い」という声がした。蜘蛛はこの渕の主であったという。それからこの渕を賢渕と呼ぶようになった。伝説源兵衛渕の主の鰻と闘って勝ったのはこの蜘蛛であろう。
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ナマヅ
1980年
豊前国に千丈が滝という大きな滝があった。そこにある観音堂の前の、みたらしの池に架かっていた橋の上で、大塚庄右衛門とせがわとう助の2人が涼んでいたら、池の中から1尺ほどの鯰が躍り出て、空中へ飛び去った。すると急に暴風雨が起こったという。
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オニ
1979年 岐阜県
天暦年間の事。鬼が瓢岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。鬼は姿を巧みに隠したので高光は瓢岳と高賀山に6つの社を祀り、虚空蔵菩薩からお告げと白羽の矢を受けて鬼を射止めた。鬼の首をはねた刀を洗ったら鰻に変じたので、虚空蔵菩薩のお使いとして、この村では鰻を食べない。この鬼の首が念興寺にあり、持ち出すと天が荒れるといわれている。
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フドウタキノオオウナギ,サンガイダキノオオカニ
1956年 宮城県
不動滝のヌシの大鰻と、三階滝の大蟹の合戦。大鰻は美女に化けて遠刈田の籠山の猟師に加勢を頼んだが、臆病な猟師は約束を破って鰻が負け、澄川は七日間血に染まる。
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ヤマウバ,オオイケノヌシ
1984年 愛知県
福富新蔵という郷士が、岩の上で異形の大女が髪を振り乱し、月の光で鉄漿をつけているのを見た。矢を射掛けると手ごたえがあり、血をたどっていくと与八郎の家に着いてその妻が臥せっていた。しかし寝所にその姿はなく、血痕がありそれをたどって行くと美濃各務の広池の岸まで続いていた。ここで名を呼ぶと白い苧綛が流れ寄り、拾い上げてみると血に染まったそれは先に見た山姥の髪ほどの長さの白髪の束であった。このことから与八郎の妻は山姥でありこの大池の主であったと解釈され、白髪は持ち帰られて供養された。このことからこの池を苧がせ池と呼ぶようになった。与八郎と山姥の子である京丸は長じて母の正体を知り、山姥の化身であった母の供養の為に寺を建てて弔った。
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オウギュウ,フチノシュレイ
1975年 愛知県
東上村の北の雌滝と呼ばれる深淵で、六左衛門という男が鮎を獲ろうとしたところ、水が大いに逆巻き、淵の中から大きな黄牛が現れ、吽々と吼えて襲ってきた。六衛門は淵から上がり宿に帰ったが、急に発熱しうわ言を言い出して、3日後に死んでしまった。深淵から牛が出るのは奇妙だが、淵の主霊だったのだろう。
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ヨウキ,キジン,ウナギ
1929年 岐阜県
今から九百年程前、村上天皇の頃、瓢ヶ岳の岩窟に妖鬼が山砦を築いて土地の民を悩ませた。鬼人の退治を命じられた九条関白藤原氏の八男右少将正三位藤原高光請卿は多くの部下を連れてこの地に来られた。鬼人は妖術に長じ変幻出没自在で手強く大牛、雉、十二ヶの瓢の化身となって現れ、矢に打たれて消えた。高光は神に祈ってようやく鬼人を仕留め、神の使いの鰻を川に放った。以来、粥川の鰻を食べると神罰を受けるという。
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ウナギ,タキノヌシ
1985年 和歌山県
平治川の滝には大きな鰻がいるが、捕ってはならないと言われていた。昔、ある人が捕ろうとしたら死んでしまった。夫婦と子供が5人いたが、家もなくなってしまったという。
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メッコヌマノカイ
1956年 宮城県
沼のほとりに身を隠していた平氏の残党の従僕で茂右衛門という弓の名人が,沼に大魚が2尾泳いでいるのを見つけ,そのうちの1尾を射た。矢はその目を貫いていた。その夜彼の夢にもう片方の大鮒が現れ,「私達はこの沼の主の夫婦鮒だが今日夫があなたの矢で殺され,生き長らえる望みも無くなった。あなたの殺生が恨めしい」といって消えたので茂右衛門は後悔したが,翌朝未明ふらふらと沼のほとりに歩いていった。岸辺には2尺余りの雌鮒が片目を潰して死んでいた。数日後村の人が沼のほとりで片目を刺されて死んでいる茂右衛門を発見したが,その手には大きな片目の魚を握っていた。彼の目を刺したものはわからなかった。それ以後沼の鮒は皆片目となり,それを捕る者もいなくなった。その沼を「メッコ沼」というようになった。
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オニ
1979年 岐阜県
鬼が粥川の瓢ヶ岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。白鰻が道案内をしてくれて、高光は鬼を射止めた。この鬼の首が念興寺にある。
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ダイジャ,ビジン,ウナギ
1939年 香川県
川淵に美女の亡霊が現れて髪を梳くという噂があった。旅の僧がこれを退治しようと祈ったところ、大蛇の体は縮まり、鰻になって去り、上流に滝が出現した。それが雄瀧雌瀧。
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ウマ,サカナ
1931年 奈良県
昔、後醍醐天皇が石上神宮に参詣にきたとき、近くの内山村で薨去した。そのとき、馬があまりにも嘶くので、侍臣が怒って首をはねてしまった。その馬の亡魂が石上神宮の池で魚になった。そのため、この池の魚は草を食べるのだという。5、6寸の大きさの鮎に似た魚で、特に珍魚というわけでもないらしく、大和神社の池にも同じ魚がいる。
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