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検索対象事例

ナナハカ
2000年 大阪府
近世大坂で盛行した七墓参りには、現在の交野市倉治の七墓を参るものがあった。『交野市史』民俗編によると、倉治では七墓・七宮参りといい、特定の7所ではなく、任意の墓もしくはお宮を7ヶ所回っておくと達者になる、とされている。

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ナナハカ
2000年 大阪府
近世大坂で盛行した七墓参りには、大坂七墓と呼ばれる大坂三郷にある七つの古い墓所(梅田・浜ノ寺・吉原・野田・小橋・鳶田・千日)を廻るものがあった。近世大坂の風俗地誌『摂陽落穂集』によると、例年7月15日の夜に七墓を廻り、夜通し鉦を打ち鳴らして回向を行えば、葬式の日に雨風の難を免れる、とある。
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ナナハカ
2000年 大阪府
近世大坂で盛行した七墓参りには、河内七墓と呼ばれる現在の東大阪市と八尾市にある、行基の開創伝承を持つ7つの墓所(長瀬有馬・岩田・額田・神立・垣内・恩智神宮寺・植松晒)を廻るものがあった。『中河内郡誌』によると盆の14日に七墓を参れば、迷惑を掛けずに極楽往生できるといい、その際は寺奥にある火葬場の穴を必ず越えるとされた。
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ナナハカ
2000年 大阪府
近世大坂で盛行した七墓参りには、現在の藤井寺市・羽曳野市・松原市・堺市東北部にある古墓所を廻るものがあった。『恵我村地誌資料』によると、七墓は別所・小川・藤井寺・こづつ・中村・我堂(一所不明)で、いづれも行基開創伝承を持つ。8月13日にこれらを参ると、楽な往生ができるとされている。
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シチニンカリュウド,シチニンミサキ,シチニンヅカ
1927年 静岡県
七人狩人の墓として伝えられる塚がある。七人みさきとも七人塚とも言う。7人の狩人が山に入ったまま行方不明になった。7人のミサキ(霊)を祀り、塚をつくった。
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シチニンミサキ,シチニンヅカ
1928年 愛知県
天龍渓を中心にした村には七人塚もしくは七人みさきとよばれる塚が多くある。「みさき」とはこの地方の伝承を根拠にすると、亡霊というべきものである。落武者7人を葬った、旅の法印7人を殺した跡であるとか言われている。ここでは、7人の狩人が犬を連れて山へ入り、そのまま帰らなかったことから、塚を築いてみさきを祀ったのだという。
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シチニンミサキ
1990年 愛媛県
非業死した霊を祭ったものを七人ミサキと呼ぶ。西条市木曳野のオタキチサンがいう小祠には、七人ミサキとも呼ばれ、昔石川源太夫とその部下六人が討ち死にし、その霊に村人が出会うようになったので祀ったという。
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ダンジュクサン
1969年 滋賀県
菅並ではダンジュクという神が田中甚平家、大黒久雄家、田中昭家、嵐敏雄家、横山康作家、高橋源左衛門家、谷井美則家の7軒で祀られており、7ダンジュクと呼んでいた。
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シチニンミサキ
1983年 岡山県
北房町下呰部では、山麓にその山で転んだり谷に落ちたりして死んだ人の墓が7つあって、それは七人御崎として祀られている。
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コウシンサマ,コウシンクヨウトウ,コウシンマチ,コウシンマツリナド
2001年 青森県
七庚申の年とは、十干十二支の組み合わせによって庚申待ちが通常年に6回、旧暦の場合は7回行われる年を言うが、南部地方では、この年について「ケガジがない」とか「豊作の年」であるとか言う。現在の信仰形態については、その庚申講の組織、宿となる家、庚申の晩に行われる勤行などについて報告されている。上北町上野では、この神様は子供の神様でもあるとされており、墓参りの際には、お申様(オサルサマ・庚申塔)にも供え物をする。
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シチニンヅカ,シチニンオチ,シチニンミサキ
1927年 愛知県
七人落ち、または七人塚と称する塚がある。狩人の神として信仰される。猪を獲るときに押し潰された跡だという。七人ミサキともいう。
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シチニンミサキ
1983年 岡山県
津山市下横野では、七人御崎が祀られているところは、一揆の首謀者7人が殺されたところだといわれている。
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シチニンヅカ,クセヤマ
1966年 静岡県
七人塚は、狩人7人が7頭の犬をつれて、山で行き倒れになったものを祀っている。七人塚のあたりはくせ山と言われ、山師たちが嫌う場所。
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シチニンミサキ,オンリョウ
1985年 愛媛県
鷹狩りの鷹を食べた一家七人が山之内の里人に訴えられ斬首された。その後、山之内の者が斬首の場所を通りかかると必ず何か災害を受けた。一家の怨霊の祟りとされ、七社権現として祀った。これも七人ミサキの一種である。
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オタチキサン,シチニンミサキ
1985年 愛媛県
戦死、水難などで非業死した霊を祭ったものを七人ミサキと呼ぶ。戦国の昔、石川源田悠人その部下六人が討ち死にした。その後、夜に死んだ主従七人が話しながら通るのに村人が出会うので、七人の霊を祀った。
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ジゾウ,シ,(ゾクシン)
1916年 福岡県
新墓に地蔵を立てると、七墓建てるまで死人が続くと言われている。
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ボサン
1956年 宮城県
葬送の後、初七日までは毎朝墓参に行く。野獣や墓泥棒などへの警戒のためだと言われるが、一説には仏さんが淋しがるから七日まで行くのだという。
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シチニンミサキ
1957年 愛媛県
御荘町節崎(ふっさき)の大きな用水池のほとりには七人ミサキが祀ってある。七人ミサキは7人の命を取らねばならないと言われ、毎年人が池で溺死するという。祀ってある場所は、昔の偉い侍が亡くなって埋められた場所で、以前に石グロや人骨が掘り出された。また、溺れかけた子に聞くと、池の向こう側で女の人がおいでおいでをしたのだという。
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オシチノボウレイ
1996年 東京都
大正の終わり頃、お七の亡霊が出るという噂が何度かたった。円乗寺の門前に毎夜現れるということが新聞に出た。昭和30年代まで亡霊が出るという噂があった。
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シチニンドウジ
1943年 香川県
大抵七人童子という。丑満時に四辻を通ると逢うという。月の7日と7つ時には外へ出ないものとされていた。
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ナガレシチベエバカ
1975年 愛媛県
小鴨部の谷山のドゾの谷に住んでいた七兵衛が、洪水で家ごと流されて死んだ。その後、部落で病人・死人が出たり不作だったりと悪事が続いた。七兵衛の祟りだと言うようになり、墓を作って祀るようになると、嘘のように消えたという。
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