ナナハカ 2000年 大阪府 近世大坂で盛行した七墓参りには、現在の藤井寺市・羽曳野市・松原市・堺市東北部にある古墓所を廻るものがあった。『恵我村地誌資料』によると、七墓は別所・小川・藤井寺・こづつ・中村・我堂(一所不明)で、いづれも行基開創伝承を持つ。8月13日にこれらを参ると、楽な往生ができるとされている。
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ナナハカ 2000年 大阪府 近世大坂で盛行した七墓参りには、大坂七墓と呼ばれる大坂三郷にある七つの古い墓所(梅田・浜ノ寺・吉原・野田・小橋・鳶田・千日)を廻るものがあった。近世大坂の風俗地誌『摂陽落穂集』によると、例年7月15日の夜に七墓を廻り、夜通し鉦を打ち鳴らして回向を行えば、葬式の日に雨風の難を免れる、とある。
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ナナハカ 2000年 大阪府 近世大坂で盛行した七墓参りには、現在の交野市倉治の七墓を参るものがあった。『交野市史』民俗編によると、倉治では七墓・七宮参りといい、特定の7所ではなく、任意の墓もしくはお宮を7ヶ所回っておくと達者になる、とされている。
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シチニンミサキ,シチニンヅカ 1928年 愛知県 天龍渓を中心にした村には七人塚もしくは七人みさきとよばれる塚が多くある。「みさき」とはこの地方の伝承を根拠にすると、亡霊というべきものである。落武者7人を葬った、旅の法印7人を殺した跡であるとか言われている。ここでは、7人の狩人が犬を連れて山へ入り、そのまま帰らなかったことから、塚を築いてみさきを祀ったのだという。
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シチニンカリュウド,シチニンミサキ,シチニンヅカ 1927年 静岡県 七人狩人の墓として伝えられる塚がある。七人みさきとも七人塚とも言う。7人の狩人が山に入ったまま行方不明になった。7人のミサキ(霊)を祀り、塚をつくった。
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ギョウキノトク,タタリ 1975年 徳島県 阿波国海部郡比和左村薬王寺から土佐国までの間の八坂という地に、行基庵がある。昔この地を遍歴していた行基が、鯖売りに鯖を1尾乞うたが、鯖売りは行基をののしった。そこで行基が、鯖売りの馬が病気になるという歌を詠むと、たちまち馬が病気になった。あわてた鯖売りが無礼を詫びたので、馬の病気が止むという歌を行基が詠むと、すぐに病気は治ったという。皆がその徳に感嘆し、行基のための庵を結び、その御影を写し本尊にしたところ、多くの人が参詣したという。
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ボサン 1956年 宮城県 葬送の後、初七日までは毎朝墓参に行く。野獣や墓泥棒などへの警戒のためだと言われるが、一説には仏さんが淋しがるから七日まで行くのだという。
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(スガワラノミチザネ) 1973年 福岡県 菅原道真が太宰府で死んだとき、その近くの四堂のあたりに埋葬しようとしたら、棺を乗せた車が途中で止まって動かなくなった。そこでこの地を墓所としたという。
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シチニンミサキ 1983年 岡山県 北房町下呰部では、山麓にその山で転んだり谷に落ちたりして死んだ人の墓が7つあって、それは七人御崎として祀られている。
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シチニンミサキ 1943年 高知県 七人みさきの起源は、昔、遍路が道で死んでいたのをある村のものが弔わずに、樽に入れて沖へ棄てたものが海岸に漂着し、何時の間にか崖下に埋まったそばに松が生え、夜に火玉が飛ぶようになったという。そこを通ると必ず病気になる。その後、7人の遍路が死に、これを女遍路の祟りとして祀るようになった。
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シチニンミサキ 1990年 愛媛県 非業死した霊を祭ったものを七人ミサキと呼ぶ。西条市木曳野のオタキチサンがいう小祠には、七人ミサキとも呼ばれ、昔石川源太夫とその部下六人が討ち死にし、その霊に村人が出会うようになったので祀ったという。
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ジゾウ,シ,(ゾクシン) 1916年 福岡県 新墓に地蔵を立てると、七墓建てるまで死人が続くと言われている。
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オタチキサン,シチニンミサキ 1985年 愛媛県 戦死、水難などで非業死した霊を祭ったものを七人ミサキと呼ぶ。戦国の昔、石川源田悠人その部下六人が討ち死にした。その後、夜に死んだ主従七人が話しながら通るのに村人が出会うので、七人の霊を祀った。
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シチニンミサキ 1957年 愛媛県 御荘町節崎(ふっさき)の大きな用水池のほとりには七人ミサキが祀ってある。七人ミサキは7人の命を取らねばならないと言われ、毎年人が池で溺死するという。祀ってある場所は、昔の偉い侍が亡くなって埋められた場所で、以前に石グロや人骨が掘り出された。また、溺れかけた子に聞くと、池の向こう側で女の人がおいでおいでをしたのだという。
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シチニンヅカ,クセヤマ 1966年 静岡県 七人塚は、狩人7人が7頭の犬をつれて、山で行き倒れになったものを祀っている。七人塚のあたりはくせ山と言われ、山師たちが嫌う場所。
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シチニンミサキ 1965年 高知県 長宗我部元親の長男が島津征伐で戦死し、次男と三男が家督争いをして、次男と7人の家来が殺された。その7人が成仏せず、風になってさまよっているのが七人ミサキ。
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オシチノボウレイ 1996年 東京都 大正の終わり頃、お七の亡霊が出るという噂が何度かたった。円乗寺の門前に毎夜現れるということが新聞に出た。昭和30年代まで亡霊が出るという噂があった。
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シチニンドウジ 1943年 香川県 大抵七人童子という。丑満時に四辻を通ると逢うという。月の7日と7つ時には外へ出ないものとされていた。
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カブトイワ 1985年 愛媛県 古城の跡に甲山と呼ぶ石があり、梅の古木がある。河野氏の一族七人がここで滅んで村民に祟ったので、7月14日にこれを祀るようになった。
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ギョウニンヅカ,ヒトミゴクウ 1956年 宮城県 広瀬川が深沼で海に注いでいたころ、川の流れが定まらず住民が水害に苦しんだ。1人の行人が、「土中で21日間鈴の音がしたら、流れが定まり水害はなくなる」といって生き埋めになる。住民が塚に節を抜いた竹をさして毎日鈴の音を聞いたところ、21日で絶えた。その後、川は名取川に合流して水害はなくなった。他にも行人塚あり。仙台市青葉区上愛子(生き埋め伝説)、仙台市青葉区川内(榎塚とも)、栗原郡高清水町経ヶ崎(行人万海が生き埋め、満開壇とも)、仙台市若林区北八番丁全玖院(詳細はC0310742)。
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