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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

シビト
1982年 満州
終戦後の満州にて、話者はよく死者に声をかけられたが、親しかったものであれば、それほどいやな気持ちにならなかった。

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(シノヨチョウ)
1935年
話者の兄の話。日露戦争の頃、長兄は大連に、病気だった次兄と話者は家にいた。長兄のもとに次兄がたずねて行き、枕元で話をした。その時は、長兄も「病気が重いのによく来てくれた」と喜んだが、よく考えたらおかしい。しばらくして電報で次兄の死を知らされた。
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(トイギキ)
1984年 新潟県
死んだ人の声が聞きたい場合、恐山に行く人もあった。
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ミコ
1967年 福島県
死んだ人をおろして話をしてみたいと思えば、年齢と男女の別を巫女に話す。巫女が祈祷の文句を唱えると、たちまち仏がつく。死んだ夫ならその口ぶりで話すという。話の下手な巫女でも仏が乗り移ると別人のように次々とことばを述べる。終わるとあくびをして正気にかえる。あとで聞いても何を話したのか覚えていない。熟練した巫女には亡者の姿まで見えると思われていた。
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クチヨセ,シシャ
1937年 鳥取県
親近者の死後に口寄せにより死者の言葉を聴くといった迷信はなお存在する。
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(ゾクシン),ユウレイ
1933年 鹿児島県
瀬々の浦では臨終に際し、幽霊になって親しむ者の家々を、生前の御礼を言って廻ると言う。青瀬や片の浦では死んでからお礼に廻るという。
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シシャ,リョウ,ナガレボトケ
1949年 愛知県
死んだ人の話をしたり、聞いたりすると漁が多い。不幸は漁師にはいいものという。流れ仏が南へ流れていくのを見ると大漁だが、北へ流れていくのをみるとよくない。
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(シノシラセ)
1967年 栃木県
人が死ぬ前には魂が親類をまわって、声をかけるという。
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タマシイ,ユウレイ
1973年
出羽の国では、人が死ぬとき、10回に7、8回はたましいが出て友人や親戚を訪ねる。それはただ黙って座っているだけだ。生前のものを魄と言い、死後に出るものを幽霊と言う。
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(シシャノレイ)
1950年 沖縄県
死者の霊が縁もゆかりも無い人に憑いて、物の在処などを語ることがある。
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シニン
1972年 三重県
夜、墓に行くと死人が話をしている。
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ワカ,ゴセンボウ,ゴゼ
1964年 福島県
わか・ごせん坊・ごぜなどは、死人の口よせなどをやる。
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クチヨセ
1977年 神奈川県
百か日には、口寄せに死んだ人の霊を招いてもらい、死者と話をする。
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(リンシタイケン)
1982年 群馬県
1967年前後のこと、話者が手術して苦しんでいると、先に死んだ人たちが次々来てこっちへ来いと誘われ、手を引張られたが、そこに変な人が来て「ばかめ、この者は入場券を持ってねえからだめだ」としかりつけたら友達たちは消え、目が醒めた。付き添いの娘に「どうした、ずいぶんくるったようだったが」といわれた。あのままだったらあの世に行っていたかもしれない。
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ヘイタイノレイ
1995年 鹿児島県
太平洋戦争中、悪石島沿岸には多く日本兵の死体が揚がった。その埋葬を手伝った島民は、夜間霊に襲われ、寒気がして眠れなかったという。霊は、ネーシ(巫女)の口を借りて、島民たちに礼を述べたという。そのために島民たちに憑いたという。
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(ゾクシン)
2001年 沖縄県
人に声を掛けられたら一声ではなく三声で返事をしなければならない。一声だと亡霊だとみなされるからだという。
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シシャ,トチバナシ,クチヨセ
1937年 鳥取県
死者のあるとき、「とちばなし」、口寄せを行うことは今も昔も変りない。
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オモカゲ
1974年 東京都
勉学熱心な人が重病であっても人を訪ねて勉学の話をしていたが、死ぬ前にたまたま会えず、それだけを遺恨に思いながら死んでいった。その後も相手の家にその面影が現れる。
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タマシイ
1972年 千葉県
話者が戦争中、戸をドーンと叩く音を聞いた。その時間、話者のおばが亡くなっていた。魂が知らせに来たらしい。魂は死ぬ前には墓に、死んだ跡は生家に行くと言う。
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イチコ
1977年 神奈川県
昔は、死者の言葉を聴くためにイチコに口寄せしてもらった。イチコが拝み鈴を鳴らすと、その中に死者の気持ちが移り、話が出来るようになるのだという。
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ヒトダマ
1992年 宮崎県
人が死んだとき、近親者に仏前の鐘が鳴るような音が聞こえることがある。人魂が挨拶に来ている。人魂はただちに寺へも挨拶に行き、お寺の鐘をかすかに鳴らすので、僧は檀家の不幸を知るという。
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