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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ミシマミョウジン,ダイジャ
1928年 東京都
往古、三宅島で三島明神(事代主命)が大蛇退治をした時、各島々の神も働いたので褒美を与えることになった。そのとき、利島の預り明神が褒美に貰った水を神津島の長浜に置き忘れてしまった、長浜明神がそれをとって隠してしまった。そのため、利島では今でも水が不自由で、神津島の長浜には清水の流れができたのだという。

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カイジン,ドクヘビ,ダイジャ
1929年 東京都
神代の昔、三宅島中根の漁夫が不漁の為に大漁と引きかえに、海神に向かって娘を差し出す約束をした。だがすぐに後悔し、かわりに妾を差し出したが、毒蛇(大蛇)は許さずどこまでも人々を巻き込み荒れ狂って娘を追い続けた。娘は神々の加護により神通力を得、白い鷹、白い鳩、虫になり逃げ回りながら守られた。神々は大蛇を退治して切り裂き、島に撒いたので、三宅島には今も蛇が多い。
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スイジン,ダイジャ,ヘビ,ダイサンオオジ
1929年 東京都
大昔、近江の琵琶湖に住む漁夫が、不漁の続く際娘を捧げるかわりに大漁を祈った。すると魚が良く捕れ、水神が蛇となって娘をもらいに来た。娘は白鳩になって逃げ出し新島まで追い詰められた。新島の三島明神の大三王子は怒って大蛇を斬り、頭を八丈島、尾を大島、銅を新島に飛ばした。だから八丈島の蛇は人に食いつき、大島の蛇は人に巻き付くのだという。
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ダイジャ
1928年 東京都
昔、大蛇の首が八丈島に、胴が新島に、尾が三宅島にどこからともなく飛んできた。三宅島にいたオドリという明神が作った剣をつくり、サシドという明神はその剣で尾をズタズタに切り裂いた。そのため、三宅島には蛇がすまなくなったという。
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ミズウミノヌシ,ダイジャ
1928年 東京都
昔のある日、漁夫は船に一杯の魚と引き換えに、湖の主の大蛇に三女を嫁にやることになった。蛇が迎えに来たとき、娘は鳩になって富士山の山頂に逃げた。そこにいた事代主命は娘を連れて大島から三宅島に逃げた。そこにわなを仕掛けて大蛇を酔わせ、火之迦土に作らせた霊剣で、差出命が大蛇を斬り殺した。蛇は3つに斬られ、尾は大島に、頭は八丈島に飛んでいった。だからそれらの島では蛇が多いのだという。
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ダイジャ
1956年 東京都
差出明神が大蛇を退治した。大蛇の血で赤くなった浜が血走り浜。新島に尻尾を縛ったので新島の浜は窪んでいる。退治した太刀が御笏神社にあるので三宅島に蛇は寄り付かない。
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ダイジャ
1956年 東京都
箱根の漁師が、大蛇に娘をやる約束をしてしまった。末娘が行くことにすると、日頃信心していた三島明神が三宅島に来いと言う。火土寄神が剣を作り、差出明神が退治した。
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ダイジャ
1994年 愛知県
鵜がたくさんいる鵜の山のふもとには大きな池があり、この池の水を抜くと鵜が逃げてしまうので水を無くしたことはなかった。上野間の人が池の水を抜きにいったが、池に大きな大蛇がいたので驚いて帰った。しかし別の人が池のいりを抜き、その人は祟りで病気になって死んだ。以来、いりを抜くときは必ず御神酒を供えるという。
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ダイジャ,ハト,ツツジ,カミノイカリ
1916年 東京都
新島の白鳩を大蛇が追いかけた。差地山の躑躅で目を突いて飛べなくなった白鳩を大蛇は殺して三宅島に逃げようとした。しかし新島の大三皇子と母神が大蛇を退治し、骨は八丈島に、胴は三宅島に、屍は新島にそれぞれ分けた。そのため新島の蛇は人に食いつかず、三宅島には蛇が住まず、差地山の躑躅は花が咲かなくなったという。
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ダイジャ
1990年 福島県
鹿島神社の「お池」には枝振りのいい柳があり、その水は神の水とされていた。あるとき、邪悪な人がお池で汚れた服を洗ったら、柳に大蛇が現れた。その年は災難や病気で村が全滅するかと思われるくらい人が死んだ。それ以来、汚い格好の時にはお池をさけるほど敬っている。
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ダイジャ
1967年 茨城県
住吉神社の前に大蛇が居た。後に神の池に移り、池の水は干上がった。
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ニイヤミョウジン,ダイジャ
1935年 群馬県
昔、利根郡にある山麓の長者に、三人の美形の娘がいた。或る日、田舎には珍しい美青年がやって来て、娘をほしいという。断ったが夕刻になると訪れる。不審に思った長者が氏神の新屋明神に祈った。翌夕、明神のお告げに従って青年に笄を渡し、鶏が鳴かない内にこれで溝を掘れという。青年は難なく掘って最後の一掘り直前に、新屋明神のご加護により鶏が鳴いた。青年は大蛇で、逃げた後に石が残った。
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ダイジャ
1956年 東京都
大蛇が悪戯したので三島明神が家来に退治させた。大蛇の頭は八丈島に飛んで蝮に、胴体は御蔵島に飛んで青大将に、尾は大島に飛んで縞蛇になった。刀を作ったのが打出明神、私がやると言った家来が差出明神。
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ダイジャ
1990年 鳥取県
日光地区は昔、大港だった。出雲の国造が勅命で上京の折は大洪水で困ったが、供の三女が海に入り水神の妻となると、沖から大波が来て港が閉まり、白砂の道が出来て国造は無事上京した。以後は数町歩の大池となり、竜神、魔物のすみかとなった。千年後、鹿野城主亀井武蔵守が日光池の干拓を行うと、雷鳴が轟き滝の如く雨が降り、海岸に大魚が打ち上げられた。これは池の大蛇に違いないという話になった。以後、武蔵守は体調が悪くなり、寝ていると枕元に美しい女官が立つ。占い師によると池の大蛇のなすわざという。そこで日光大明神の社を建立した。
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ホウドウセンニン
1931年 兵庫県
法道仙人が清水山から法花山から馬に乗ってきたとき、松の木をひき抜いて投げたのが今だに横たわっている。法花山の西の口から入山したとき、鞭の先で岩を突くとそこから水が出て、今はそれが泉になっている。どんな旱魃でも枯れないのだという。また、玄米を積む船の船頭が、鉄鉢が米を乞いにきたときに米を入れずにいたら、米俵がすべて法花山に飛んで行った。船頭が謝ると仙人は米俵を船に戻したが、一俵だけ途中で落ちた。そこを米田村というようになった。
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オロチ
1971年 滋賀県
近江の国、栗本郡と野洲郡の境に大川があった。三上山で2川に分かれそのうち南川は土山に当り大渕となっていた。その渕に昔から大蛇が住んでいて、近辺の住民は困っていたが手の打ちようがなかった。嵯峨天皇のとき、雷が鳴り天地振動することがあり、時の博士が占うと先の大川に住むおろちが天皇の命を奪おうと振動させているということだった。そこで天皇は近辺の農民を招き大蛇を退治すべしと命令した。近隣農民数万人が打寄ってついには退治した。その時の出来事から様々な地名がつき、また褒美として大光明寺を給わった。
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ダイジャ
1933年 東京都
1月24日に行う行事にまつわる蛇退治の伝説がある。昔、事代主命が蛇退治をした時、御子神ならびに御后神などが飛行して三宅島の頂上に集まって謀をしたことを祭るのだという。
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リュウジン
1928年 徳島県
王余魚谷に住んでいた貧しい猟師はある日、深山で美しい妙齢の婦人に出会った。婦人は竜神から紀州の那智の瀧と、この王余魚瀧に住めといわれ、来てみたところよい住処なのでここに住むといった。そして、自分がここに住んでいることは誰にも言うなと猟師に口止めをした。旱魃の時には雨乞いに霊験を顕したという。その後、洪水で社が流されたが、漁夫に発見されたときには何の破損もなかったと伝えられている。
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カッパ
1991年 山梨県
長浜の五郎吉が千鳥足で謂陽浜を家路に向っていると、河口湖から河童が現れて湖中へ引きずり込もうとした。しかし、河童の頭の皿には3つの穴があいており、この穴に指を突っ込むと河童は神通力をなくすといわれており、そこへ指を入れると、河童は路ばたへ倒れて謝った。火傷の妙薬の秘伝と引き換え命を助けられた河童は、甲らから秘伝の巻物を出して五郎吉に渡すと一目散に河口湖へ逃げ込んだ。その後、近郷近在から五郎吉のところへ秘薬を買いに来る姿が後を絶たなかった。
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ダイジャ
1915年 鳥取県
昔、池に大蛇が住んでいて、時々人間に害をなした。領主の亀井家がこれを聞き、踏鞴師に命じて、池の水を熱湯に沸かさせた。その後大蛇は海岸に出て砂浜の上で死んだが、その祟りにより領主の亀井家は一家残らず疱瘡で死んで血筋が絶えたという。
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ジョウロウ,オンリョウ
1929年 香川県
直島には、よい泉があって水汲みにやってくる人もいる。その帰りには、故意に何か置いてくる。忘れ物をしたと考えた妖魔が、次の機会を狙ってくるので、すぐには手を下さないと言われているからである。
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