ノノダケヤマ 1956年 宮城県 延暦2年(783)磐井郡達谷の岩屋の蝦夷の頭目高丸が、駿河の清見ヶ関まで攻め上がった。坂上田村麻呂が勅を奉じて撃退し、高丸を追って神楽ヶ岡で殺し、その党悪路王を斬った。その後、山上に敵味方を埋葬し、大塚を築いて上に観音堂を建て、地主権現の白山の社前に矢を射て蝦夷平定を祈願した。この矢が地に突き立って根を生じ、箆といい、それを山名としたという。
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ハチメンダイオウ,(ユメノオツゲ) 1990年 長野県 八面大王を征伐しにきた坂上田村麻呂将軍はそれを攻めあぐね、牧の満願寺の観音堂で一心に祈った。満願の夜、観音様が夢に現れて、「甲子の年、甲子の月、子の刻に産まれた男子が三三ふしの山鳥の尾を矢にすればきっと退治できる」と告げた。将軍は山鳥の尾を探すよう、国中に命令した。
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ノノミヤ,サカノウエノタムラマロ 1956年 宮城県 白山の社前で、坂上田村麻呂が矢を地面に突き立てて蝦夷平定を祈ったところ、根が生えて藪となった。これを箆(のの)と称し、箆宮権現という。
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シロフジ,サカノウエノタムラマロ 1956年 宮城県 坂上田村麻呂の乗った馬が倒れたとき、藤の鞭を地にさしたところ、根を生じた。
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ヘラタケ 1926年 山口県 ある郷士が遊猟の際、あやまって犬を射殺した。発心して弓箭の業を止めたとき、篦竹を折って地に挿したものが矢竹だといわれている。
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オニクビフキアゲユ,サカノウエノタムラマロ 1956年 宮城県 坂上田村麻呂が、蝦夷の頭目大武麻呂を捕らえて箆岳山で首を斬った。首は泣きながら西の空へ飛び、落ちた所から湯が吹き上がった。よってここを鬼首と称し、湯を吹上と呼ぶ。
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ウマ 1967年 福島県 坂上田村麻呂が大滝根山の石窟に住む大多鬼丸という夷賊征討の出発に際し、清水寺開祖といわれる延鎮上人が仏像を刻んだ余材で鞍馬100匹を刻み田村麻呂に贈った。田村麻呂はこれを鎧櫃に納め戦に出たが、苦戦状態の時どこからか鞍馬100匹が陣営に走りこんだ。兵士たちはそれにまたがり大滝根山に攻め込み勝利した。ところが凱旋の時には鞍馬は皆消えていた。翌日1匹の木馬が三春近在の高柴村で汗まみれになっているのを杵阿弥が見つけ、延鎮上人の鞍馬に違いないと、残りの99匹を自ら刻み補った。3年後には見つけた1匹も行方不明になり、99匹を子孫に伝えた。杵阿弥の子孫は木馬を模作し村人に与えたところ、それで遊ぶ子供は強健に育ち、病気も軽くなったので子育駒の名がたった。
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サルトラヘビ 1987年 岐阜県 高賀山の、頭は猿、胴は虎、尻尾が蛇の化物の目の光で琵琶湖の魚が取れなくなったので、天子の命令で京都から藤原高光が来て、矢作神社で作った強い矢で撃って退治した。
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ハチメンダイオウ,オニ,ヤマドリ,(ユメノオツゲ) 1990年 長野県 有明山のふもとに住む弥左衛門は息子の弥助が幼いうちに八面大王という鬼にさらわれた。立派に成長した弥助はあるとき大きな山鳥を助けた。それから3日して弥助は美しい娘を娶った。そのうちまた八面大王が暴れ始めた。坂上田村麻呂が観音堂で祈ったところ、特定の山鳥の尾を矢にするよう言われた。その話を聞いた弥助は悩んだが、嫁がそれを持ってきた。嫁は山鳥の化身であり、その後姿を消した。その矢で八面大王は退治された。
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オジカ,ヘビ,ムカデ 1938年 福島県 昔、会津若松近くの小野嶽の麓の小野に猿丸太夫が住んでいた。雌鹿を矢で射ようとすると矢は当らず、尾が光っていた。後を追ったが鹿は消えた。日が暮れると、西から蛇体、東から百足が出てきて噛み合っていた。鹿は蛇体が姿を変えて助太刀を頼んだものだと理解し、百足を矢先に唾をつけて射ると退散してしまった。
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ダイドウヤシキ,オオカニ 1956年 宮城県 坂上田村麻呂が蝦夷を平定して京へ還るとき、玉浦の原野を荒らして人を害する何万という大蟹を、軍兵に命じて、原の一方を立て切り、火を放ち、逃げ惑うのを熱湯を浴びせて退治した。東衛という者に観音堂を建てさせ、軍旗に観音像を描いて与えた。大蟹の倉といった地名が岡二ノ倉に変わった。
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オニ 1976年 長野県 物見岩に鬼が住んでいた。坂上田村麻呂が矢を命中させ、首と尾を飛びちらした。鬼の首は名九鬼、尾は柏尾に落ち、その名がついた。
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ハチメンダイオウ,オニ,ヤマドリ 1990年 長野県 将軍の命令により、弥助も山鳥の尾を探した。褒美をもらって嫁に着物でも買うつもりだったが、見つからなかった。嫁は話を聞いて探しに出かけ、翌日山鳥の尾を持ってきた。嫁は山鳥であり、魂のこもった尾を弥助に差し出して消えた。弥助はそれで矢を作り、将軍に捧げ、それで八面大王は退治された。弥助の家には褒美の品々が運び込まれたが、弥助とその母親は呆然とするばかりだった。
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オニ 1969年 三重県 坂上田村麻呂が鬼ヶ城の鬼の目をヨモギとススキの矢で射た。節句にヨモギとススキを屋根に投げる由来。
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オシドリ,フジン 2002年 栃木県 犬伏町下の谷に鴛鴦塚がある。太田二郎左エ門尉式宣という弓術の達人が、鳥獣を射ていた。ある日三毳山で狩をしていたが終日獲物がなく、帰ろうとしている時に阿曽沼の東岸で鴛鴦を見つけて射て持ち帰った。その夜熟睡していると忽然として戸外に声がして、妙齢の婦人が歌を詠み、号泣した。3、4回それが続いたので一喝し戸を開けると一羽の鳥が飛び去った。不審に重い夜が明けてから鴛を射たところに行ってみると、鴛が菰の茎を咥えて死んでいた。式宣は悔悟して、自ら塚を築いて鴛を併せて埋葬し、入道した。
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カリヤスソウ,サカノウエノタムラマロ 1956年 宮城県 坂上田村麻呂の母、阿久玉御前が産をするとき、のぞかぬようにという約束を破って父の刈田麻呂がのぞくと、阿久玉御前は大蛇の姿になって横たわっていて、血の中に田村麻呂が生まれていた。阿久玉御前の血がかかって染まったので、刈安草の茎が赤いのだという。
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サルトラヘビ 1987年 岐阜県 高賀山の化物退治に藤原高光が来て、粥川の鰻に道案内してもらった。高賀山の瓢ヶ岳の池に瓢箪に化けて浮いている、と神様に教えられ、矢で撃って退治した。その矢を納めたのが矢納ヶ淵。
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ヤ,ヤマトタケルノミコト,ツチグモ,ツキ 1930年 福島県 日本武尊が槻の木をもって矢を作り、八人の土蜘蛛を退治した。その箭がここに根をおろし、巨木となった。
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シカ 1983年 京都府 将軍・坂上田村丸が鹿を猟した時に賢心と会って翁の話を知った。その話を聞いた妻は、病を治すため多くの鹿を殺生してきた自分たちの罪は深いので、その教え通り大悲の像を安置しようと言った。すると仏殿を建てようとした場所に多くの鹿が現れ、その場を平地にしたので、仏殿を建て像を安置した。
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サルトラヘビ 1987年 岐阜県 高賀山のさるとらへびという化物が暴れた。朝廷の命令で京都から藤原高光が来て、高賀山の瓢ヶ岳の池に瓢箪に化けて浮いていたさるとらへびを矢作神社で作った強い矢で撃って退治した。
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