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検索対象事例

コンジキノフドウミョウオウ,チショウダイシ
2002年
智証大師が石龕に篭って行う間に、金の人が現れて、「私の形を写して帰依するのが良い」といった。誰かと問うと、「金色の不動明王である。私は法を護るために、常に汝の身に従う。すぐに法を極めて、衆生を導きなさい」といった。そのため礼拝恭敬して、その形を記した。その像は今でもある。

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チショウ,キフドウ
2002年
智証大師の黄不動は、以前に我が国でも現れ、また波間でも現れた。現れて真言を秘するために今まで現れなかったといったという。
類似事例

コンジキノフドウミョウオウ,チショウダイシ
2002年
智証大師が強風のため琉球国(人食いの国)に漂着する。そのとき風がやみどこにも行けなくなる。陸の上を見れば数十人が鉾を持って徘徊している。大師が一心に不動尊を念じると、先に日本で現れた金色の不動明王が現れる。すると辰巳の風が吹いてきて、戌亥を指して飛ぶように進んだ。
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タイシュン,ドッコショ,ホウ
1977年 京都府
大元明王の法は、法淋寺の常暁が入唐して将来した密教の法であるが、平将門の乱が起きた時、泰舜は剣輪の法を行い、彼が土印を結んだ時に壇上の独古杵がたちまちおれてたという。その日に将門は討たれたといわれている。
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チショウダイシ
2002年
智証大師が帰朝の後、坤の方に向かって水を灑ぎ、印を結んだ。門弟が問うと青龍寺が炎上しているので火を消すためだと答えた。3年して、法全和尚の門弟から青龍寺が燃えている時に美香の大雨がやってきて炎上を消したとあった。
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キツネツカヒ
1936年
陰陽師その他の述者においては、式神の使役はそれがなすことのうちの1つであったが、狐使いにおいては霊狐を使役することがそのなすことの全てである。全国的に流布した飯綱法、愛宕法、茶吉尼法などの霊狐を使役する妖術は、社会生活上の障害となって随分悪風を残したと思われる。例えば、室町時代の管領・細川政元は、飯綱法や愛宕法を習得した狐使いであったといわれている。
類似事例

キツネツキ
1991年 愛媛県
昔、狐が憑いた人がいた。法院で祈祷してもらったが、治らなかった。
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グハザウ,タタリ
1975年 京都府
宅間証賀法印という僧が、栂の尾で春日・住吉2神の像を写そうとした。明恵上人は、この像を写せば必ずたたりがあるからと法印を止めたが,法印は強いて模写した。すると法印は、都に帰る途中で落馬して死んでしまった。不思議な画像もあったものだ。
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エンマオウ,ジゾウボサツ
2001年 奈良県
金剛山寺(矢田寺)の満米上人は閻魔王の招請を受けて、閻魔王宮に赴いて菩薩戒を授けた。喜んだ閻魔王は満米を阿鼻地獄の見える岳上に案内して、鉄扉を開くと、そこには受苦の衆生と共に猛火の中にいる地蔵菩薩の姿があった。地蔵菩薩は満米に、「私は釈尊の付属を得て悪業の衆生を救うために炎の中にいるが、一毛の縁も無い者は救えない。人界に帰って苦を恐れる者は私に結縁するよう人々に伝えなさい」といった。
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メジロフドウ
1974年 東京都
豊山新長谷寺の目白不動明王像は弘法大師の作とされるが、弘法大師が荷沢河にいた時、大日如来が現れ、その後不動明王に変わり、自ら手に持った剣を振って、左の手を払うと、火煙がさかんに燃え出た。その尊体を写して作ったという。
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チショウ
2002年
智証大師が唐から帰った後、日本でにわかに灑水を取り出し、戌亥の方角に向かって灑いだ。後に唐土に消息を尋ねる書状を贈ると、清涼山寺が火難にあったとき、日本の方から団水がきて火を消したと返事があった。これが智証の灑水である。
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イヅナ
1954年 島根県
大言海に「小天狗が狐にまたがった像、陀吉尼天を狐としてその霊を使役し妖術を行うのを伊綱の法といい、いずな使いという。」とある。
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シロイモヤモヤ,ヒトノカタチ
1999年 栃木県
家で白いもやもやが現れて人の形になり、しばらくの間そこにあるように見えて消えた。
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イヌガミ
1936年 徳島県
精神に支障を来たした婦人を祈祷したところ、「私は犬神である」、「私は狸である」といった内容の言葉を発した。
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フドウミョウオウ,ビシャモンテン
2001年 奈良県
経助上人入滅の際、毘沙門天・不動明王が西方へ導いた。
類似事例

(ゾクシン),シャシン
1933年 栃木県
3人で写真を写すと、真ん中の人が死ぬという。
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クダギツネ,キュウビノキツネ
1962年 神奈川県
支那から日本へ逃げてきた金色で九尾の狐が、正体を見破られ、野州の那須野原へ飛んで殺生石になってしまった。ある和尚が法術の法を盗んで石にかけると、石は割れ、眼には見えないクダの狐が幾千となく天に飛び散り、日本国中に隅々にまで広まり、あっちこっちで人に憑いたりするようになったのだという。横浜市港北区十日市場町原村で採集の事例。
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ムシノシラセ
1936年 鳥取県
岩倉の私の家に熊澤某なる人が訪ねて来て、金を借りていった。程なく金を返しに来たが、金を持って帰ると金を無心した弟がいなかったという。翌日、弟は死んだということであった。
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レイ
1937年 鳥取県
愛人、愛児の霊を呼び出し色々物語りすることを農山村一般に流行している。これにより病人の治療法、家の不幸の救済法を知ろうとするものが多い。
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ガラッパ,ガラッパドン
1982年 鹿児島県
河童を見た人が、帰って夕飯になる頃から頭が痛み出し熱が出た。法者に見てもらうと水神の祟りだといわれた。法者の指示通り河童を見た所に米や塩を供えてくると治った。
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ヘビ
1931年 長野県
古浅間山の法院坊という穴に大蛇が住んでいた。ある時蛇掘川が水のためにいっぱいになり、蛇が流されてきた。その時蛇は大きな石を背にかぶってきた。その石を笠石と呼び、今も川の中にある。
類似事例

ドウチサマ
1990年 山形県
見附には道智様が来てのどが渇き、杖をついたあたりに水が出てきたという道智様の水がある。病気したり年取ったりして「道智様の水飲みたい」って言うと長くないという。
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