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検索対象事例

エンノギョウジャ,シテンノウノゾウ
1929年 奈良県
当麻の寺は聖徳太子の命によって麻呂親王が建立した。その後61年たって親王の夢想に従って、伽藍の地を役の行者練行の地に移した。行者の祈願力によって百済から四天王像が飛来して、金堂に着座した。堂の前にある石は、行者が法を厳修している時に一言主神がやって来て座した石だといわれている

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(イシトカシタウシ)
1976年 大阪府
当寺(四天王寺)創立の時、材石を牛車で運送していた。成就の後、その牛が石と化したのを、天王宮の南に石神の祠として祀っている。
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ニョイリンカンノン,シウン
2002年
いまだ山城国に都がなかった時、聖徳太子の夢に如意輪観音が出現し、この山城国の東山の地は寺塔を建立するのに大変すばらしい土地であり、必ず建てるべきであると伝える。実際聖徳太子が東山を見ると、紫雲が立ち昇っていたので、ここに法観寺と寺塔を建立し、塔に仏舎利を三粒納めた。
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レイボク,ロッカクドウ,クロクモ
1983年 京都府
太子は淡路国の海から得られた如意輪像を、毎朝紫雲が覆う杉の霊木で建てた六角堂に安置した。その後、桓武天皇が平安京に遷都した時、六角堂が小路の中にあたった。都を造営する官使たちは、太子の建立した堂だから移すのもどうかと悩んだ所、黒雲がこの堂を覆い5丈北に退いたので、無事小路を通して都ができた。
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アニダブツ,ショウトクタイシ
1974年 山梨県
甲州塩の山中に長さ10丈ばかり、周囲3丈ばかりの大石が横たわり、水利を妨げ、百姓は頭をかかえていた。寺の本尊阿弥陀仏は聖徳太子の作であり、みなで二夜三日立ち替わり念仏を唱えた。すると雷が落ちて、翌朝見ると大石が割れて、間から水が走り出てきた。それよりこの山を烈石山と言うようになった。
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シガノヤクシ
1956年 宮城県
貞観2年(861)慈覚大師開基のとき、飛騨工匠が村人に一夜で堂を建ててみせるという。村人が夜明け前に鶏の啼く真似をしたので、工匠は天井板一枚張りかねて立ち去った。堂前の坂の中ごろにある蛇石は、材木を運んだ牛が転んで石に化したという。堂に狩野法眼元信の絵馬に手綱が描かれていないので、絵馬から抜け出して畑を荒らしたため、元信に頼み手綱を描き加えてもらったという。
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レイム,シンリュウ
1983年 大阪府
聖武天皇が、平城京の西に救世観音象がおわす霊夢を見、行基に命じてこれを求めさせた。行基が誓いを立て深山に分け入ると、十六童子に導かれてある場所へ至った。その時山川震動して神龍が現れ、観音と自らの掌を行基に与え、仏法守護を誓った。話を聞いた天皇は尊崇し、寺を建てて像を安置した。
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ツエ
1925年 京都府
聖徳太子が比叡山に登り、求世観音を安置する伽藍を建てた際、その側に立て置いた椿の木が成長した。
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アキウオオタキ
1956年 宮城県
名取川の全川瀑で、貞観2年(860)、慈覚大師が不動を祀って山寺立石寺奥の院とした。元和9年(1623)山形城主鳥居忠政が山寺の朱印地を犯して寺と抗争したとき、立石寺中興の円海上人が、三七日大滝に参籠して、忠政調伏の呪詛を修した。満願の日、滝壺に投じた藁人形が高さ55メートルの滝を昇ったという。上人は不動堂前に経壇を築いて去る。よって経壇原という。
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ジョウグウタイシ
2002年 京都府
上宮太子(聖徳太子)の発願によって建立された、山城国の東山にある法観禅寺の仏舎利塔(八坂塔)は、治承年間や正応年間に火災に遭うが、太子の願力が非常に強いものなので、灰燼に帰することはないという。
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シブヤコンノウマル,ヤシャガミ
1935年 東京都
麻布笄町の長谷寺に夜叉明王堂というのがある。源義朝の臣、渋谷金王麿が長者丸というところに築城のとき、城の北隅に鎮地の神として石像を埋め置いた。江戸時代に阿部豊後守の臣安川繁成がその地に住んで井戸を掘りその石像を発見した。これを身近に置いて愛玩していると金王麿の霊がたびたび奇瑞を現すので、ついに奉安したものという。その後石像にかたどった鬼の面を奉納し、祈願すると霊験あらたかといわれ今なお多くの信仰を得ている。
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ヒカリモノ,レイボク,レイム,ダルマ
1935年 群馬県
碓氷川が氾濫した時、夜中に光り物があった。翌朝見ると古木で、えもいわれぬ芳香のある霊木なので、観音様がひきよせられたのだろうと少林山の観音堂に納めた。数十年後に一了居士なるものが霊夢を見て登山し、一刀三礼の敬虔振りで霊木から達磨の座禅像を彫り上げた。その当時また碓氷川に流れよった古木があり、この古木にあった大きな穴は丁度達磨像の龕に丁度よかったという。それらの話を聞き伝えた人々の参詣が盛況を呈し、ついに寺を開いたのが少林山達磨寺である。
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テング
1995年 和歌山県
度重なる火災で仮の堂になっていた法燈寺に、杉の坊という旅の僧が泊まった。その僧に寺の建立を依頼したところ、杉の坊は天狗の大親分で、配下の天狗を引き連れて一晩で七堂伽藍を打ち建てたという。
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テング
1974年 和歌山県
たびたび火災に遭う法灯寺に上州赤城山から杉の坊という僧が来て造営してやろうと述べた。礼を言いに赤城山へ使者が行き里人に聞くとそれは大天狗だと言った。造営の約束の日、一夜のうちに七堂伽藍が完成していた。
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ニンギョ
1970年 滋賀県
観音正寺には人魚のミイラがある。これは聖徳太子が人魚の願いを聞いて、この寺を建立したという伝説に因むものである。今も本堂に安置されている。また昭和40年頃から人魚の土人形を作り分与している。
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(アミダノシュツゲン),クハウメウ,タクセン
1983年 京都府・大分県
僧行教が筑紫宇佐八幡宮に参籠し修行していた所、八幡宮から託宣があり、王城の近所に移り天子を守護しようと告げた。その後、行教の袈裟の上に阿弥陀の三尊が現れたので、これを写して絵像にした。行教が筑紫を発ち山崎に登ると夢告があり、覚めると峰に光明があったので,そこに八幡宮を勧請した。
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バトウカンノン
2002年 香川県
下麻庄田の峰の観音堂にある馬頭観音は、元は麓にあった。庄田を通る道で、その霊威のために通行する馬がすくんで困っていた。そこで現在の峰に上げたのだという。
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ヤ,ミナモトノツネモト,タケ
1930年 埼玉県
六孫王経基が武蔵守としてきたときに、満願寺の阿弥陀堂を建立しようとして、域外にでて北の方向へ矢を射てその場所を決めた。ここを大御堂という。その周辺には竹やぶがあって、箭竹のようであった。それは、経基が射た矢が此処に落ちて成長したものと記した石碑があった。
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ヤマノテラドウウンジ,ダイジャ,シロキツネ
1956年 宮城県
女とその懸想した男が大蛇となってから500年経た暦応元年(1338)、加州金沢の大乗寺三世明峯素哲禅師が陸奥に弘教し、岩沼竹駒神社の初午に参詣した時、老翁からこの話を聞き、その案内で大菅谷保の藤左衛門の家に泊った。翌未明山ノ寺の南の丘に登って大蛇の棲む寺跡の湖水を見、7日の間祈祷したのち一喝して杖を投ずると2頭の大蛇が現れて逃げ去る。そのとき白狐が飛び出して禅師に感謝し、永く寺の守護を約する。禅師が祈祷した地に寺を建て実相寺という。
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キジン
2004年 京都府
麻呂子親王が自ら薬師像7体を刻み,天照大神の加護を受けて鬼神を退治する。
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ジゾウボサツ,セイメンコンゴウ
1983年 愛媛県
柿の木部落に地蔵菩薩を信じる兄と青面金剛を信じる弟がいた。弘法大師がやってきて兄弟に感心し、それぞれ仏像を刻んだ。後世、松が鼻に地蔵堂を、松尾坂麓に青面金剛の堂を作った。乱世で失ったが、その後北宇和群広見町深田の庄屋河野勘兵衛通行が松が鼻で石を枕に寝ていると夢地蔵菩薩が現れ、掘り出して供養すれば婦人のお産を安泰にする、と告げたので掘り出して祀った。これが現在の子安地蔵である。その後再び夢のお告げと二匹の猿の導きで松尾坂の青面金剛も掘り出し、お堂を造り祀った。これが現在の庚申堂である。
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