ヒトツメタタラ 1972年 和歌山県 那智山中に住む「1つ目たたら」は1眼1足の怪物で釣鐘を被って身を防ぐ。そのため多くのものが倒されたが、狩場刑部左衛門という弓の名人が、99本の矢を打ち尽くした後、母からもらった呪矢で射倒したという。
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ヒトツメダタラ 1926年 和歌山県 那智山に出た一つ目だたらを色川村の狩場刑部左衛門が射止めた。那智寺山は色川村の所有となった。
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ジンガモリノロウエン 1956年 宮城県 沢口覚左衛門(只野伊賀の末弟)は鉄砲の名人といわれた侍であったが、文化3年(1806)9月初め、同地切込村の百姓源吉方を宿として、そこから3里ほど山奥の陣ヶ森に猟に出かけた。小雨の中、真夜中すぎに森へ着き、鹿をおびき寄せるためにオキ笛*を吹くと、ケタケタと女の声がする。鹿はその声で逃げてしまい、再度吹くと、巨大な狒々らしきけものが現れて踊り狂い、鉄砲で撃った。その時、武士の命である鉄砲を滑り落としてしまい、奇獣も探した見つからず、正八幡・摩利支天に声を出して祈願して鉄砲だけは取り戻した。源吉方に戻り、湯を沸かさせ身を浄め、神々に御礼を申し終わってから皆に一部始終を話して、怪獣の死骸を探しに行こうというと、皆はしり込みした。そのあたりは「四日切」といい、昔から魔の山沢といわれて種々の怪奇や災禍のあった不入の山だという。こうして死骸は得られず、その後その山に入る人もなかった。(*オキ笛:マタギや猟人が口に含んで鳴らす秘密の猟笛。作り方にも秘法があり、妖魔や怪獣を呼び寄せる力があるとも)
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オニマツ 1987年 長野県 角先渓谷の奥に大岩があり,「鬼ヶ城」と呼んでいる。大昔,ここに鬼が住んでいて,この辺一帯を荒らしまわったという。ある時坂上田村麻呂が攻めたが,どうしても降伏しなかった。金縄山の観音様に祈願すると,桑の木を矢にして攻めよとの霊告があったので,そのようにしたところ,忽ち鬼が降参してきた。捕らえて金縄(金のくさり)で縛って,松の木に繋いだが,その場所を「金縄山」,繋いだ松の木を「鬼松」,そこに祀った地蔵を「鬼松地蔵」という。
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ダイジャ 1961年 静岡県 昔、大蛇が長者が原の方から天城山の池へ通っていた。その当時、尾張の針屋が刀をさしてきた。大蛇がその人を呑もうとすると刀が自然にぬけて大蛇にむかい、針屋は呑まれなかった。それを見ていた人が刀をすりかえたので、その次には呑まれてしまった。針屋の娘が大蛇を退治しに来て、小杉原のアネガクボとイモウトガクボというところで、大蛇を射た。最後の矢が大蛇の目に当たり、蛇は転げて岩にはさまった。その岩はジャガバサミという。また、大蛇の歯と使った矢を伏倉のナカインキョが蔵している。
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バケモノシミズ,サンボンツメノカイブツ,オオオニ 1938年 福島県 五十人小屋場という山中の平地に小屋を掛け、猟をしていると、夜中に3本爪の怪物に小屋を引掻かれた。猟師の大将が水行をして山の神に念ずると治まった。その日、清水にゆくと、5升鍋ほどの頭をした大鬼が出たので、大将は自分の力不足を感じ、狩人の大将を辞して山を下りるというと、皆も大将とともに山を下りることに決めた。帰る途中で親子連れが山に行くのにあったので制止したが、親子連れは取り合わず山に入り、行方知れずになった。
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オニ 1985年 和歌山県 昔、川から鬼が上がってきた。そこで弓を引いて鬼を撃った。撃たれた鬼は流され、オシキで掛かった。オシキは川の難所である。
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セリザワノサラヤシキ 1956年 宮城県 昔,芹沢という者が武芸の腕によって禄とこの土地を賜った。それから三代後の当主の時の話。ある正月,同家の女中が主人秘蔵の錦手の皿十枚を箱に納める際,一枚を落とし毀してしまった。しばらく隠していたが遂に露見し,一刀のもとに斬り殺された。その後毎夜のように同家の水屋に女中が現れ,「一枚,二枚,三枚・・・九枚・・・おお・・・」と恨めしげに訴える。主人は自らの仕打を悔い,女中の霊を慰めるために石地蔵を刻み,自分の山の頂に建てた。また不吉の刀を地中に埋め,小祠を建てて祀ってやった。以後女中の声も聞こえなくなったという。今でもこの山を地蔵山と呼ぶ。なお旧芹沢家には別人が住んでいるが,その後は何の変事も起こらないという。
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オニ 1976年 長野県 物見岩に住んでいる鬼は、坂上田村麻呂に矢を放たれ逃げ出し、名九鬼の人たちに助けを求め、そこが名九鬼と名づけられた。
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オニ 1976年 長野県 物見岩に鬼が住んでいた。坂上田村麻呂が矢を命中させ、首と尾を飛びちらした。鬼の首は名九鬼、尾は柏尾に落ち、その名がついた。
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シュテンドウジ,オニ 2000年 京都府 昔々、京都の羅生門に出る鬼の腕を渡辺という武将が切った。その後、渡辺の母親に化けた鬼が腕を取り戻したので、6人の武将が大江山の酒呑童子を退治しに行くことになった。道中、右の口から酒を注ぐと千人の力が出、左からだと千人の力が落ちる不思議な銚子をもらい、それを使って鬼を酔わせ、首をはねることに成功した。
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ウシオニ 1992年 山口県 天徳2年(958年)、新羅国の牛鬼が鬼ヶ城山に砦を築いて里人に危害を与えていた。その頃、大歳神社の宮司の娘を鬼ヶ城山の鬼が見初め、夜毎のぞき見するようになった。10月14日の夜、宮司は鬼の片目を弓で射た。鬼は山へ逃げ、頂上で死んだ。それ以来、鬼ヶ城山の頂上には片目の蝿が出るようになった。
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サンチュウノキ 1976年 群馬県 ある、殺生好きな侍が、草履取りと共に山に小屋を掛けて狩に入ったが、獲物が獲れそうになかったので下山しようとしたところ、山の奥からざわざわと音がして、大きな火の玉が小屋に向かってきた。侍が弓で射ると、鉄球にあたったような音がして火は消えた。その後、家まで帰ると侍の母親が怪我をしたという。母の部屋に行くと、侍が射った矢が落ちていたので、草履取りと共に押さえつけた。暫くはうめき声が聞こえたが、やがて静かになったので、見てみると、夜着以外何もなかった。家人も消えていた。
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オニ 1979年 岐阜県 天暦年間の事。鬼が瓢岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。鬼は姿を巧みに隠したので高光は瓢岳と高賀山に6つの社を祀り、虚空蔵菩薩からお告げと白羽の矢を受けて鬼を射止めた。鬼の首をはねた刀を洗ったら鰻に変じたので、虚空蔵菩薩のお使いとして、この村では鰻を食べない。この鬼の首が念興寺にあり、持ち出すと天が荒れるといわれている。
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ヨウキ,キジン,ウナギ 1929年 岐阜県 今から九百年程前、村上天皇の頃、瓢ヶ岳の岩窟に妖鬼が山砦を築いて土地の民を悩ませた。鬼人の退治を命じられた九条関白藤原氏の八男右少将正三位藤原高光請卿は多くの部下を連れてこの地に来られた。鬼人は妖術に長じ変幻出没自在で手強く大牛、雉、十二ヶの瓢の化身となって現れ、矢に打たれて消えた。高光は神に祈ってようやく鬼人を仕留め、神の使いの鰻を川に放った。以来、粥川の鰻を食べると神罰を受けるという。
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オニ 1979年 岐阜県 鬼が粥川の瓢ヶ岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。鬼は姿を3つの瓢に変じたので、高光は心願をかけて鬼を射止めた。この鬼の首が念興寺にある。
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ダイジャ,ネコ 1997年 高知県 刑部さんという人が洞穴に住む大蛇を退治しようとした。矢を用意していたら猫が側にやってきた。そした煙草の脂をつけた矢も作ったが、そのときは猫はいなかった。洞穴の中の蛇に矢を射尽くしたが全部跳ね返された。そこで煙草の脂をつけた矢を射かけたら大蛇は死んだが、刑部さんも祟りで死んだ。そこで大蛇と刑部さんのたたりを恐れて神社に祀った。
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ウシオニ 1992年 山口県 鬼が城山は、鬼が岩窪にいたから、そう言うのだという。また、鬼が美女を慕い夜毎通っていたが、家の主が気づいて斬ると、血を流しながらこの山に逃げて死んだから、こう言うのだともいう。
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ダイジャ 1971年 福島県 八幡太郎義家が今の塙町を通りかかると1人の男が崖を掘っていた。理由を尋ねると、男の父が湖の大蛇にのまれ、その敵を討つために崖を掘って水を干上がらせようとしていると答えた。義家がそれを手伝わせて水がひくと大蛇が現れた。そこで義家は弓張堂から大蛇を射殺した。このときの弓が矢祭山に置いてある。そして、大蛇の骨は源八山竜沢寺にあって、薬になるといって人々が削っていく。
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オニ 1985年 和歌山県 昔、八木尾の村に夜な夜な9匹の鬼が来て里人を悩ましていた。それで、郷士が鬼退治に行って8匹の鬼を退治した。大将鬼である残りの1匹は助けてやった。そのお礼に鬼は、雷を落とさないことと蛭が人に食いつかないようにすることを約束した。
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