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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ユイショガキ
1994年 愛知県
時志の氏神は位が高かったが、禰宜が熊本の本宮へ替わっていくときに一緒に由緒書を持ち去ってしまった。それ以来、向こうの氏神が栄えたという。

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〔キュウキ〕・ビンボウガミ
1973年 埼玉県
文政4年の夏頃、番町のある武家の用人が、主用で下総の知行所までいく途中、草加の宿でみすぼらしい身なりの法師に会う。話を聞くと法師は貧乏神で、番町の武家から出て行くという。これまでは先代両主の遺徳によって家は滅びず、また他家に移るのでこれからは繁栄すると言った。実際にその家は豊かになり、貧乏神が移るといった家は衰えたという。
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タケミヤジンジャ
1994年 鳥取県
亀井茲矩公が武宮神社を山の中に移したら、病気や災害が続いたので、亀井氏が津和野に転封になったあと、今の場所に戻した。
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テンペンチカイ
1978年
元禄年中は世の中が穏やかではなかった為、宝永と改元された。しかし天変地怪は続いたので天子は自らの不徳を嘆き、10歳の東宮へ国を譲り、宝永6年より本院御所と称し別に御所を造営し移られた。その後本院御所は奇怪が続き、程なく崩御があったので、御凶殿となり、建物は取り払われ空き地となった。
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(シンポウガフル)
1977年 京都府
後土御門院の延徳元年3月に、京都の吉田山に太神宮が飛び移ってきたので、本当のご神体である神宝が光を放って降りたと吉田兼倶が密奏し、ここに神明社を建てた。
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カジ
1977年 三重県
丁酉の年の11月13日夜、勢州の山田一志あたりで火事が発生した。これは宝永2年に群衆が太神宮へ訪れて師職が大金を稼ぎ、敬神の念を忘れたからだといわれていた。
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カミカクシ
1974年 京都府
嘉永元年八月十九日、久美浜町の綱家の当主が氏神につれられて諸社順拝にでかけた。家の者が心配して探したが、三日目の早朝ひょっこり帰宅した。翌年の同じ日に再び当主はいなくなり、神の真筆の御神号などをもちかえった。
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タテイシイナリ
1922年 山口県
ある日立石稲荷に行くと、代人に立石神の奥方が乗り移り、息子の中国が酒色に耽り行方知れずになっていて、これを憂い盲目同然となった。汝は立石神とその弟石光に気に入られているので、何とか帰って来られるよう取り成しして欲しいといわれた。次に中国稲荷神が乗り移り、父より勘当を受け帰参できない。帰参出来るように父弟の信任している卿と名を交換して欲しいといわれた。次に代人に父神を下げさせて、母子の請願を取り次ぎ、名義の交換を相談した。取り成しは許容され、中国神は帰参出来ることになった。
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ダイジャ
1956年 東京都
事代主神が奥様の啀姫の他に后様という妾を持ち、そちらに夢中になったので啀姫が嫉妬し、大蛇になって后様を追いかけ、崖から落とした。后様を祀ったのが后神社。
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ダイジングウサマ,ヒノタマ
1967年 栃木県
1920年ころのこと。火の玉が飛んできて毎夜石田家の裏の柿の木に止まって、評判になった。足利の長岡の神社の神主に見てもらうと、大神宮様が合祀を嫌って逃げ出したのだというので、別の社に移したところ、出なくなった。後日、行商人がピカピカ光る砂石を拾って、不思議に思って聞いてみると、それが大神宮様の御神体だった。以来大神宮様の御神体は砂石である。
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ワカミヤサマ
1958年 愛媛県
太宰氏が村へ来たとき、若宮様の祠を払いのけて、その跡に屋敷を建てた。しかし病人が絶えないので祈祷してもらうと、「高貴な人を祀ったところなので祀りなおせ」とのお告げがあった。そこでお封じを誂えてもらい、今でも盆ごとに祀っている。
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テングサマ,スイテングウ
1975年 新潟県
孫ジイさんが祈祷をしていると下女に神が憑き、ここを出て中峯に行くと告げた。その後風の音が聞こえ、1ヶ月ほどは神がかりも起きなかった。4ヶ月後、中峯様が戻ってきたと告げられ、祈祷殿を建てると、病気祈祷の参拝者も多くなった。ジイは神主となった。
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ソノカミ,カラカミ,シンタク
1983年 京都府
往古の大内裏の時、園神・韓神は宮内省にあった。長岡京を平安京に遷す時、宮内省を建てるためこの神を他所に移そうとしたところ、長くこの場所にとどまり帝都を守護しようという神託があったので、そのまま宮内省に置かれたという。大内裏炎上の後今の地に移され、今では本荒神と呼ばれている。
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ミョウケンサマ
1968年 愛媛県
妙見様は元は二神で一番高い山の上に祭られていたが、沖の船を転覆させるので、沖が見えない少し下の谷間に移動して、庄屋の二神氏のまつり神と合祀した。霊験あらたかだが、女人禁制である。妙見様は犬とキジが大嫌いなので、二神には今でもそれがいないという。
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ジゾウ
1958年 三重県
「いふく寺」下の泉は眼病や重いお産に効くとされていた。そのそばに地蔵尊があり、流行神として人気があった。あるとき地蔵の帰属をめぐり論争になり、地蔵尊を「いふく寺」境内に移したが、とたんに人気がなくなり参拝者も跡を絶った。
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サトウガミ
1992年 宮崎県
座頭が上京の途中、峠で休んでいると、強盗が現れて金を奪った。座頭は「金は増えるが祟りがあるぞ」といい、その通りに強盗の子孫には不幸が続いたので、そこに座頭神を祀った。それは今の吉野宮神宮で、そこを座頭坂という。
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カギサジ
1974年 滋賀県
天智天皇3年に、近江国栗太郡に住む磐城村主殷という人の妻が、ある時庭に出ていたら、空から鑰匙が2つ落ちてきた。それを夫の殷に渡したところ、それから家は栄えたという。
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ダイジャ
1959年 千葉県
ある貪欲な村人に無実の噂をたてられて悶死した住職が、後年大蛇になって寺に現れ、怨みを晴らしたいからあの村人に引導を渡すなと現住職にいった。日をおかずその村人は死に、その葬式のとき天が俄かに曇って棺に大落雷があり、村人の死骸は付近の神社や地蔵様に四散したという。
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チノカミ
1991年 静岡県
引越しの時に地の神を置いていってしまい、祀るものがなくなって、その家は死に絶えた。
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イセオドリ
1973年
寛永元年の2月上旬から、諸国で伊勢踊が大流行し、泊舟伝馬人夫と号する神を、伊勢太神宮に送ってきた。吉田家に下問すると、鎮座以後、祭礼を怠っていないに、伊勢内宮・外宮の神が飛んでいくはずがない、これは諸民の児戯だ、と答えがあった。将軍家でなお詮議をし、以前に伊勢踊が流行った後に、大坂で兵乱が起き、徳川家康が死んでいるので、これは不吉の予兆であると評定がまとまった。その邪神を野外に送り捨てると、踊に関わっていた人馬の疲弊も止まった。
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クマノジンジャ
1956年 宮城県
平安末、仙台市と名取市の境の前田に1人の巫女がいて紀州の熊野に年参りをしたが、老後長旅に堪えず、保安4年(1123)、名取川を音無川に見立て、岸に新宮証誠殿、その西に本宮、高館山に那智権現を勧請して、熊野三所権現と称した。巫女は老いて名取老女と呼ばれた。あるとき、熊野の修験が陸奥に下り証誠殿に参籠すると、枕辺に子童が現れ、陸奥に名取老女がおり久しく見えぬが、これを渡してほしいといって消え、枕辺にナギの葉があって「道遠し年もいつしか老いにけり思い起こせよわれも忘れじ」と三十一文字が書いてあった。修験が陸奥に下って老女にこれを伝えると、感激に涙を流して三社を案内したという。
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